第2話カワイイ俺のカワイイ決心②

「お? 可愛いお客がいると思ったら、ユウちゃんじゃないか」


 後方から飛んできた自身の呼び名に振り向くと、通り過ぎたボックス席には手を振る二人の中年男性。週に数度足を運んでくれている、開店当初からの常連さんだ。

 この人達は自身が女装を嗜むタイプではなく、単純に可愛いオトコの娘を愛でに来店されている。

 ニコリ、とこの店一番人気の"ユウ"の笑顔を作って、彼らの元へと歩を進めた。二人はちょっと驚いたような顔をした後、嬉しげに目を細め、


「悪いねワザワザ。そういうつもりじゃなかったんだが……」

「つい声かけちまったけど、もしかして仕事じゃなくてプライベートかい?」

「はい、お友達とお茶をしに。それと……」


 俺は可愛らしく口元に人差し指を立て、小悪魔風の笑みを浮かべる。


「ついでにあいらがしっかりお仕事してるか、抜き打ちのチェックに」

「はははっ、だってよあいらちゃん!」

「今日は気が抜けねぇなぁ」

「酷いですーっ! いつもちゃーんとお仕事してますもんー!」


 メニュー表を両手で抱え込み抗議する時成に、こちらの様子を伺っていた周囲のお客も沸き立つ。

 楽しそうに笑う二人に、「ではまた今度、僕の勤務の時に。ごゆっくり」と頭を下げ、俺に気づいた他のお客様達へも手を振りながら時成の元へと戻る。俊哉は肩身狭そうに、困り顔で縮こまっていた。

 まあ、今のは仕方ない。「いくぞ」と小声で告げながら袖口を引っ張ると、「うん」と安堵したように頷き後ろをついて来る。


 時成に案内されたのは入り口直ぐのフロアではなく、通路を進んだ先に位置する、半個室タイプの席が左右三つずつ並ぶ部屋だ。

 テーブル毎に、足元だけが見える長さのカーテンで区切られている。一席の許容人数は、おおよそ六名程度。大人数のお客様や、スタッフとではなくご自身同士での会話を楽しみたいというお客様を案内する事が多い。

 見ればカーテンは全て開いている。どうやら、今の時間は俺達以外の使用はないようだ。

 お陰で他の目を気にすることなく、"悠真"として寛げる。 "ユウ"でいる間は口調から仕草まで、しっかりと"気をつけて"いるのだ。


「お好きな所にどうぞー」


 促す時成に「ん、ありがと」と頷いて、俺は迷うこと無く奥の席を陣取った。白い壁を背にして、オレンジ色の机を挟んだ紺色のソファーに腰掛ける。

 やや遅れて、俊哉も俺の対面に腰掛けた。


「さっすがユウちゃん先輩ー。お見事ですー」


 薄く息を吐き出す俺にお絞りを手渡しながら、時成は愉しそうにクスクスと笑う。その言葉と表情の揶揄する所がわからないのだろう。俊哉はお絞りを受け取りながら、不思議そうに首を傾けた。

 気づいた時成は次いで俊哉へとメニュー表を手渡しながら、「いえねー」と変わらず笑みを浮かべ、


「さっきの対応ですー。ユウちゃん先輩は、お店が盛り上がる所までぜーんぶ計算してやってますよー」

「え? そうなの!」

「こーやってお休みの日に来てくれるのもそうですー。従業員同士が仲良しなことをアピールした方が、お客さんは喜ぶんですよー」

「そうなんだ。あ、だから今日、お店に来たの?」


 声の感じからして、おそらく俊哉は頭上に疑問符を浮かべながら、純粋な目を向けているのだろう。俺は一瞥もせずに、時成から受け取ったメニュー表を追いながら「まぁな」とだけ返した。

 ウチのようなタイプの店は、お客様あっての商売だ。

 時給アップの為にも、売上向上に貢献して下さるリピーターは掴んでおきたい。更に言えば、歩合制であるチェキの指名をくださるお客様も、一定数は確保しておきたいのが本音だ。


「働く以上、報酬は多いほうがいいだろ。人気商売ってのは"種まき"が必要なんだよ」

「って、悪ぶったコト言ってますけどー、本当は仕事熱心な真面目さんなんですよねー先輩は」

「うるさい、あいら。オムライスプレートにアイスラテ!」


 ぶっきらぼうに注文を言いつけて、会話を無理やり遮断する。

 茶化されるのはともかく、こうして努力を本心から褒めるようなニュアンスは苦手だ。反応に困る。

「照れなくてもいいじゃないですかー」とクスクス笑う時成は、きっとそんな俺の心情もわかってやっているのだろう。

 まったく、こういう所は可愛くない。


「俊さんはどうしますかー?」

「え、と……じゃあ俺もオムライスと、ウーロン茶で」

「はーい、かしこまりましたー」


 時成は注文用紙にピンクのペンを走らせると、「少々お待ちくださいね」と頭を下げた。

 さっさと行けと手で払ってやるも、何故か嬉しそうな笑みを向けてくるら、コイツは質が悪いのだ。

 カーテンが引かれる。足音が遠ざかり、店内に流れるBGMのアニソンと大ホールのざわめきが空間を覆う。と、「ふーん」と俊哉の満足気な声。


「この間も思ったけど、いい子だね、あいらちゃん」


 親戚の子供を褒めるような調子で、ニコニコと微笑む俊哉。

 俺は「そうだな」と頬杖をつき、透明なグラスを持ち上げ、水を一口ふくんだ。


「いい奴だよ。よく気が利くし、しっかりしてる」

「へー。ユウちゃんが褒めるってコトは、よっぽどなんだね」

「……俺だって、褒める時は褒めるだろ」

「数えるくらいしか聞いたことないよ。でも安心した、伸び伸びやれてるみたいで」

「お前は俺の保護者か」

「"ユウ"ちゃんのルーツを知る幼馴染としては、やっぱりね。あいらちゃんに感謝しなきゃ」

「……」


 どちらかと言うと、保護者は俺の方だろ。

 出かかった言葉を飲み込んだのは、確かに俊哉の協力も大いに貢献しているからだ。

 実のところ、未だに買い物に連れ出す機会も多々ある。下手に機嫌を損ねてもう付き合わないと言われても困るので、ここは沈黙を貫いておいた方が得策だろう。それよりも。

 すっかり時成に信頼を寄せた様子の俊哉に、一抹の不安が過る。


『おれ、バイなんで』

『……は?』


 時成はある日突然、まるで明日の天気を口にするように、サラリと告げてきた。

 あまりにも唐突すぎて、拾った言葉の意味を脳が理解するまで、たっぷり十数秒を要した。そんな俺に、時成はただ穏やかな笑みを貼り付けて、


『気持ち悪かったら近寄りませんから、遠慮なく言ってくださいー』


 これまた何でもないように、付け加えられた宣言。

 黙って過ごす事も出来ただろうに、こうして口にするのはきっと、過去の様々な経験がそうさせているのだろう。

 時成の事だ。尋ねれば許した範囲で答えただろうが、わざわざ深堀りするつもりはなかった。


『……別に、人それぞれだろ。俺はノンケだけど、お前のコトはいい後輩だと思ってる』


 そう返した俺に向けたられた表情は、面食らったようにも、心底安心しているようにも見えた。

 偏見はない。別に、誰が誰を好きになろうと、構わないと思っている。嘘はない。

 だがこの幼馴染は、誰にでも優しく、尚且つ押しに弱い。本人の意図しない所で時成に"勘違い"をさせてしまいそうだし、それこそ本気で来られたら、よく分からないまま受け止めてしまいそうで心配なのだ。

 "同情"は、多くを傷つける。一番良くない。

 これは事前にそれとなく匂わせて、予防線を張っておいた方がいいのでは。


「どうかした?」

「……いや、何でも」


(考え過ぎだな。それに、俺の口から言うべき内容じゃない)


 適当に誤魔化して、もう一口を含んでから水滴の覆うグラスをコトリと下ろす。

 時成は隠していないと言っていた。俊哉も、誰ソレ言いふらすようなヤツじゃない。

 けれども俺が告げるのは"ルール違反"だろう。そうなった時は、そうなった時に考えればいい。


「そういや、由実ゆみちゃん元気にしてるか?」


 思考を切り替え、不自然にならないように別の話題を提供する。

 由実ちゃんというのは、俊哉の三つ違いの妹だ。

 実家が近い俺達は、家族ぐるみで仲が良い。俺の両親は多忙だった為に、幼少期は何度も俊哉の家で世話になっていた。故に由実ちゃんは俺にとっても妹のような存在であり、由実ちゃんも俺を『悠兄』と呼んでくれている。


 俺も俊哉も、大学に通い始めると同時に一人暮らしを始めた為、実家から高校に通う由美ちゃんとは中々会う機会も減ってしまった。最後に会ったのは、先月だったか。

 それでも由美ちゃんの家族である俊哉ならば、俺よりも彼女の近況を把握しているかもしれない。そう思ったのだ。

 狙い通り、俊哉は朗らかに頷き、


「うん、元気にしてるみたいだよ。昨日も連絡があって……って、そうだった」

「どうした?」

「ユウちゃんに一個相談っていうか、お願いがあるみたいでさ」

「俺に?」


 俊哉は「すっかり忘れてた」と慌てた様子でスマートフォンを取り出し、画面へ指を滑らせながら何かを探し始めた。


「最近、男装女子? っていう人にハマってるみたいでさ。なんか、一緒にデートしてくれるんだって」

「……は?」


 思わず間の抜けた声が出た。

 男装女子、とはその名の通り、男装をしている女性のことだ。ある意味、同業者である。

 近頃は喫茶店だけではなく、お客の要望に沿ったデート……もとい、"エスコート"と称して街を一緒に回ってくれるサービスが存在しているのは知っていた。

 それに、由実ちゃんがハマっている?

 鈴のような声で『悠兄』と紡ぎ、頬を桜色に染めながら手を振ってくれていた、あの、由実ちゃんが?

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