第42話 高校生空手道選手権大会3
絵理の試合が始まる。彼女は開始と同時に踏み込み、左前蹴りを放つ。ガード。着地した足をひねって踵を相手に向け、体を回して膝を抱え込む。先の試合が頭に残っていた相手はすぐに後ろ回し蹴りが来ることに気がつき、前蹴りを防いだガードを固めた。絵理が放った蹴りは相手の肩上、空を蹴り抜いた。その蹴りはせいぜい相手の髪を揺らしただけ。外したと思ったのか、相手はほくそ笑んだ。絵理がミスするはずがない。川東空手部は確信していた。絵理はさらに体をひねって足を回し、踵を相手のこめかみに打ちつけて振り抜いた。ぐらついて膝をつく相手。すぐに二本の白旗が挙がる。相手選手が脳震盪を起こしたのか、主審はコート脇に待機していた医師を呼ぶ。試合場から下ろされる相手。ひとり取り残された絵理。開始から一〇秒も経たずに起きた出来事だった。
正面、主審、いない相手に十字を切り、絵理は試合場を後にする。ゆっくりと立ち上がる涼。すれ違うふたり。
「アタシはやったわよ」
「ああ。わかってるよ」
涼が顔を上げて正面を見据えると、中央には真奈美が普段は見せないような厳しい面で涼の到着を待っていた。
午後三時、夕暮れさえまだだという時間なのに高校空手大会地区予選団体の部の閉会式が終わり、部員たちは地下の控え室に戻っていた。
絵理は俯いて歯を食いしばり、決して涙を流そうとはしなかった。葉月も文子も晴も声こそ出さなかったが、三人とも静かに泣いていた。ほかのどの高校生も泣いていない。皆、明日の個人戦を見据えて早々に帰り支度を整えていた。
「……悪いな」
ぽつりと呟いた涼のことばに頭を振ったのは葉月だった。
「これはきっと、感動の涙です。負傷した足で戦おうとしたあなたに対する、敬意です」
「それはダメだ」
涼はやんわりと文子のことばを否定する。
「仲間が負けたときは悔し涙じゃないと。それで、つぎは自分が勝つんだって心に誓いな」
「押忍……」
「エリーも泣いていいんだぜ」
「バッカじゃないの? なんでアタシが、あんたのために泣くのよ……」
涼は笑って、鼻をすする絵理の頭を撫でた。
「強くなりてえなぁ」
そう呟く涼を、皆は見ないように顔を伏せた。
「仲間が泣かなくてもいいくらい、強くなりたい」
月曜日の放課後、大会の翌日ということもあって空手部は休みだった。しかし、全員が武道館に集まり、稽古に励んでいる。団体戦の翌日は個人戦があった。空手部に所属していれば誰でも出られるその試合は団体戦に出られなかった選手たちが多く参加していた。戦績はというと、涼は足の怪我のせいで棄権。文子は初戦で判定負けを喫した。晴は二回戦目で敗退。涼が倒した重量級の選手とあたり、力負けした。絵理は初戦で西園と戦って勝利し、準決勝まで進んだがそこで真奈美に破れた。しかし、三位決定戦で勝利を収めた。葉月は初戦で真奈美と戦い、技ありを取られても最後まで戦い抜いて判定負けとなった。それぞれが次は勝つと意気込み、休んでいる場合ではないと武道館に足を運んでいた。来ずにはいられなかったのだろう。涼は脛にギプスを巻いて松葉杖をつき、パイプ椅子に座って四人の稽古を見守っていた。絵理の指導で行われる稽古はひたすら回数が多く、基本稽古だけで文子と葉月は疲弊しきっていた。
「ほら、休憩終わりッ。ミット打ちするわよ! その次は組手もするからさっさと立ちなさいッ」
「回数が多ければいいというものではないかと……」
絵理はへたりこんだ文子の抗議を一蹴する。
「何言ってんの。人、十度、我、百度! 真奈美なんてきっと二〇〇回はやってるはずよ。アタシたちは二千回やらなきゃ勝てないわよッ」
ムムッ、と葉月は立ち上がり、ミットを手にした。
「フミ、やろう」
「葉月……あなたはいつからそんなに熱血に?」
涼の仇を討てなかったことが悔しかったのだろう。葉月は真奈美の名を出せばすぐに対抗意識を燃やすようになっていた。涼はそんな葉月を見て笑い、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、ふたりの指導はあたしがやるよ」
「あら。座ってなくて平気なの?」
「座ってるほうが無理かな」
馬鹿ね、と絵理は肩をすくめる。
「じゃあ、頼むわ。晴、あんたは攻める稽古をしなくちゃね。ひとまずミット二千回蹴るまで終わらせないわ!」
「わたしはあっちの部長さんに対抗してないんだけど」
そう言いつつも晴はその稽古を拒否しなかった。
「とりあえず、フミも葉月もやることは一緒かな。力と技を身につけること。そのためには……」
「二千回蹴る?」
「そんなに蹴らなくていいさ。まずは二〇回。一本も手を抜かずに全力でな」
文子は葉月からミットを受け取り、体に密着させるようにして構えた。
「ワン・ツー、気合入れて二〇本、気合入れて!」
「押忍!」
「一!」
武道館内に破裂音が響き渡る。一本突くたびに彼女たちは強くなる。
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