第41話 葉月の試合
文子が判定負けし、あとがなくなった川東高校空手部。つぎの試合は中堅の葉月。相手は平均以上の体格とはいえ、数値的には葉月よりも多少上のていど。たとえ体重判定に持ち込んだとしても再延長になるだけの差。
中央に立ち、向かい合う。
「構えて……始めッ」
先制攻撃は葉月。お互いに疲れがあるせいか、力がこもっているとは言い難い応酬だった。気勢は同等。葉月のほうがやや積極的な攻めであったが、有効打は出ない。打開策が出せないまま体力が削られ、時間が過ぎてゆく。それがもどかしかった。気持ちとは裏腹に弱い自分。
時間が切れ、判定になる。引き分け。延長戦。試合が再開すると、相手は急に攻めることをやめて受けに徹し、パターンから外れた攻撃以外はすべてガードしきった。葉月がさらに一歩踏み込み、ローキックを放とうとした瞬間、相手は休んで回復した体力をすべてぶつけるように左下突きを打つ。それに気がついた葉月は腕で腹部をガードしたが、勢いに負けて尻餅をついた。相手は葉月の頭があった場所に上段廻し蹴りを放っており、尻餅をつかれたことで空振りしたことに舌打ちをした。転ばなければ一本負けになるところだった。葉月は審判が制止する前に立ち上がって構え直す。正攻法ではダメだ。綺麗でなくとも、ただ勝つことだけを考えねば。
葉月は絵理の闘いかたを思い出す。自分よりも強い相手を崩す方法。大会では道着を掴むことは反則だった。葉月は拳の力を抜き、素早いだけのフックを打った。指先が相手の袖をかするだけ。パシッ、パシッと左右からそれだけを繰り返す。相手はその手を振り払うように腕を動かした。それだけの意味がないやり取りが続く。強者から見ればなんと愚かしい戦いかただろう。葉月の前蹴り。見咎められないような軽い、膝下の速度だけの蹴り。それでも油断した腹には有効だった。相手は一瞬息を詰めたが、すぐに距離を取った。ダメージはあるが審判に有効打と気づかれていない。
それから葉月が踏み込んでも下がり、逃げに徹した。試合終了。再び引き分け。体重判定は三キロ未満で再延長。お互いの体力は限界。この先有効打も出ないみっともない試合になると誰もが予想しただろう。葉月たちに限らず、ここまで戦い続けた者の多くが辿る道だった。
試合開始。どちらも攻めず、審判の注意が飛ぶ。ワン・ツー。緩やかな軌道が目で追えるような力ない突き。内受け。葉月は相手が目の前にいるというのに、苦しさから深い呼吸を始める。息を吸うとき、もっとも鳩尾に対するダメージが通りやすい。故に選手は試合中、呼吸を悟られないように静かに息を吸う。呼吸のリズムがばれてしまえば、いつ殴ればいいのかを教えているようなものだ。だから、葉月よりも経験がある相手は静かな呼吸をしている。ただ、深い呼吸にもメリットはあった。体に行き渡る酸素量が増え、体力の回復が早まるのだ。葉月は危険を冒してでも、そのほうが有効であると判断して距離を取りつつ大きく息を吸う。
相手は好機と攻めるが、力が弱く意味を成さない。前のめりにワン・ツーを打つ相手。ガードの空いた腹。それを見て閃く葉月。いまを打開するには後ろ蹴りしかない。回転することで勢いづき、自身の力がなくても威力の高い攻撃ができる。しかし、いまだかつて中心を狙って蹴ることができていない。一度外せば手の内がばれ、二度目は打てない。葉月は確実に中心を蹴れるだろうタイミングを待った。けれど、いつがそのときなのかがわからない。というよりも、失敗してしまうことが怖かった。それが原因で負けてしまったら……。やるべきことがわかっても、実行できない自分に歯噛みした。インローを蹴った葉月は疲れで足が落ち、元の位置に戻せず相手とぶつかりそうになる。正面衝突を避けるため、左足に力を込めて踏ん張った。互いの顔が間近になり、葉月は相手のガードの間に体を滑り込ませていた。仰け反って離れようとする相手。
「葉月ッ!」
悲鳴にも似た晴の声。剣道大会のときとは逆の立場。声援をもらえることがこんなにも嬉しかったなんて。こんなにも力になるなんて。思わず笑みがこぼれた。葉月は左足を回して踵を相手に向けて体をひねり、尻が相手のガードにかすめるような距離で膝を抱え、回転の勢いをそのまま足に乗せて後ろ蹴りを放った。ゼロ距離ならば足がブレようもない。踵が肋骨と腹筋の境目に食い込み、相手を吹き飛ばす。反動に耐えかねた葉月は後ろから押されたようにつんのめって顔面から転ぶ。すぐさま顔を上げて相手を振り返ると、相手は青い顔でうずくまり、痙攣を起こしたように二度跳ねるように動き、審判が駆け寄って起こすまで動かなくなった。葉月は垂れてきそうになる鼻をすする。
「一本ッ!」
葉月の一本勝ちが告げられる。
葉月は心ここにあらずといった状態で相手の弱々しい握手を受け、自陣に戻った。試合場に向かう絵理はすれ違う瞬間、何も言わずに葉月の肩を軽く叩いた。
「葉月! 鼻血が!」
文子に言われて鼻を拭うと、サポーターに赤い染みがついた。部の備品なのに、と心配していると選手係がティッシュを持ってくる。転んで鼻血なんて格好悪い、と鼻を抑えて自陣に正座すると、晴が葉月に向かって親指を立てて笑っていた。それを見て、葉月はようやく自身の勝利を認識した。
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