第36話 大技

 葉月が目を覚ましたとき、ほかの四人はすでに目を覚まして体操や朝練に励んでいた。

「起こしてくれたらいいのに……」

「まだ寝てていいわよ」

 葉月に気がついた晴はテントに駆け寄り、そう言いに来た。彼女は道着に汗染みができるほど汗をかいており、それは涼も絵理も同じだった。唯一、文子は軽いラジオ体操のようなことをしているだけだったので汗はかいていない。

「起きる……」

「まだ六時よ? どうせ途中で眠たくなるんだからまだ寝てなさい」

「起きるぅ……」

「もう……。じゃあさっさと準備なさい。昨日と同じコースのランニング行くから」

「うん……」

 葉月が目をこすりながらもそもそと着替えて外に出ると、みんなは一箇所に集まって葉月を待っていた。

「ほら、やっぱり眠いんでしょ? 無理しなくていいんだからね」

「ううん……」

「相変わらず朝弱いのね」

 そんなことないよ、と葉月は絵理のことばを否定しつつあくびを噛み殺し、体操の輪に加わった。


 ランニングから帰ってきた五人は基本稽古をこなし、二人ひと組でミット打ちをする。

「今日は後ろ蹴りをしようか」

 涼は首をかしげる葉月に見本を見せようとミットを持たせる。それだけでなく晴を葉月の後ろに立たせ、ふたりでひとつのミットを支えさせた。晴は二人羽織をするようにミットの持ち手に手を回す。

「そんなに危ないの?」

「蹴りの中じゃかなり威力の大きい技だな」

 晴は葉月の後ろに回って二人羽織のようにし、ふたりでミットの持ち手に手を回した。

 涼は二度軽く跳躍し、組手構えになった。

「一!」

 葉月の号令ののち、涼は左軸足の踵をミットに向けてさらに上半身をひねって右膝を抱え込み、解き放つように打ち出す。踵がミットの中心を捉えると低く重い音が鳴り響き、葉月と晴を後方に吹き飛ばして尻餅をつかせた。涼は蹴った勢いのまま一回りし、もとの組手構えに戻る。

「……っ痛ぁ」

 晴が後ろ手をついて起き上がろうとしたが、彼女にのしかかるように倒れた葉月のせいで動けなかった。

「葉月、重いってば」

「大丈夫かい?」

 涼が手を指し伸ばすと、葉月はそれを取って起き上がる。

「だいたいわかったかい?」

 やりかたはおおよそ、と文子は頷く。

「じゃあ、実践な」

 そう言って涼は文子と葉月の指導を引き受け、絵理には晴の指導を任せた。三人は各々の指導員の号令で後ろ蹴りの練習を始める。

「もっと的をよく見な」

 軸足を半回転させ、それに合わせて後ろを振り返る。的を見つつ右足を抱え込み、蹴りを放つ。しかし、三人とも的の中心を捉えられず、ミットの端を掠めたり、当たっても中心軸からぶれてミットを回転扉のように動かしたりしてしまうのだった。ときどき成功することもあったが、再び同じ動きを行うことはできなかった。

「それじゃダメージ通らないわよッ」

「けど、動きながらじゃよく見えないじゃない」

「数こなしてタイミングをつかみなさい」

 絵理は晴に休憩を許さない。

「ほとんど失敗してたら意味なくない?」

「いいからやるの! ほら、あと二〇本ッ」

「いい加減目が回ってきたわ……」

 晴が本番さながらの速度で回っている横で、葉月と文子はゆっくりとした動きで回り、理想の形を体に覚えさせられていた。

「まずは蹴りの形を覚えて、それからだんだん速度を上げていこうか」

「押忍」

 文子は体を回し、背中を向けたところ止まらず勢いのまま足を突き出し、ミットを捉えた。そこでぴたりと止まる。踵はきちんと中心を捉えていた。

「おっ、いいじゃん。飲み込み早いな」

 文子は足を引っ込めて回り、元の位置に戻る。

「コツを掴んだ気がします」

「どんなん?」

「回転から蹴るまでと蹴ってから戻るまでを分割し、二段階で実行するとよいのかもしれません」

 蹴りつつ戻ろうとするから焦りが生じ、的に当たらないのかもしれない、と文子は自己分析する。

「なるほど……」

「じゃあ、あと一〇本やったらまた葉月な」

 文子はその後、一〇本とも正確に蹴りを放ち、戻ることに成功した。

「上出来だ。慣れたら一動作でできるようにな。隙が大きくなるから」

「押忍」

 文子が後ろ蹴りを成功させて悔しそうだったのは、晴よりも絵理のほうだった。

「ほら、文子に先越されてるわよッ。もっと蹴りなさい!」

「あの子たちの二倍やってるんだって。ちょっと休ませてよ」

「人、十度、我、百度! 全然足りないわ!」

「鬼過ぎるでしょ……。もう一回手本見せてよ」

 しかたないわね、と絵理は晴にミットを渡して組手構えになった。

「一!」

 絵理は綺麗に回転して見せ、突き刺すような後ろ蹴りを放ちながらも文子と違って止まることなくもとに戻る。その蹴りの威力に晴は尻餅こそつかなかったものの、足腰を落として踏ん張っていてもぐらつくほどの衝撃を持っていた。

「ほんと、一撃必殺の技ってかんじね」

「実戦じゃ使わないほうが無難だけどね。相当実力差があるなら別だけど、成功率の割に隙が大きいから」

 晴は肩をすくめた。

「覚える意味なくない?」

「運がよければ成功するわよ。あと、格好いいじゃない」

 そんなもんかしら、と晴は絵理にミットを返して再び練習を始める。

 葉月は文子と入れ替わってミットを蹴った。文子の言うとおり分割法で蹴ると、確実にミットに当てることができるようになった。しかし、回転の勢いを殺しきれずにいつも中心を過ぎた箇所に当たる。

「中心を捉える前に足を出しては?」

「そうするとたぶん、相手のガードにぶつかってボディに到達しないかもな」

 むむむ、と葉月はイメージトレーニングをしてみたが、どうしてもタイミングがつかめなかった。

「大丈夫です、葉月。すぐに使う技というわけではありませんし」

「だな。……そろそろ昼飯にしようか。そのあとは合宿の総仕上げだ」

 そう言って涼と絵理はミットを下ろし、教え子たちに十字を切って礼をした。三人もそれに応じ、指導員に十字を切って礼を述べる。


 昼食を終えて休憩を取ったあと、空手部は全員拳サポーターを装着していた。

「よし! じゃあ、合宿の仕上げに組手すんぞ! 二分の組手を休憩なしで四連続して交代な。まずはあたし固定な」

「じゃあ、トップはアタシね」

 涼は絵理と戦い終わると晴と、文子と、葉月と、といった具合で八分間戦い続けた。彼女が終わると固定人物が絵理に変わり、文子に変わり、晴に変わり、最後に葉月の番が来た。最初に戦う相手は文子だったが、彼女は自分の番を終えて体力を使い果たしているようだった。

「遠慮なく潰しなさいッ」

 絵理の檄とともに組手が始まる。文子は疲れていても葉月の攻撃をさばくが、攻めに転じることはできずに時間切れとなった。晴は体力こそ残っていたが、攻撃をせず、単調になりがちな葉月の拳を受けながらパターン化しないように助言を続けた。絵理は葉月の攻撃をかわし、カウンターを主軸にして試合内容を組み立てた。葉月は当たらないことで持っていかれる体力の多さに驚き、なるべくコンパクトに動くことを心がける。遠慮なくかかってこい、と涼は葉月の攻撃を避けも防御もせずに受け続けた。そのあいだ、一歩も下がらないどころか、攻撃しているはずの葉月が圧力に負けてだんだんと後退していく有様だった。

「やめッ」

 長い八分がようやく終わり、葉月は膝に手をついて休んだ。

「よし。一泊二日の強化合宿もこれで終わりだ。なにか得るものがあったらいいけど、まあ、なくても楽しかったならそれで重畳だ」

 四人は涼のことばに頷きを返し、各々が大会で成すべきことを心に誓う。

「じゃあ、部室にトロフィー持って帰るぞ!」

「「「押忍!」」」

「これにて強化合宿を終わり!」

「「「ありがとうございました!」」」

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