第35話 テント談義
最後の晴が銭湯から帰ってくると、明け方はまだ冷えるだろうから、と涼は全員に薄手の毛布を支給した。文子と葉月は諦めたような目でそれを受け取ったが、絵理は渡された毛布を見つめて首をかしげていた。
「あんた、寝床の準備は任せとけって言ったわよね?」
「ああ。夜露はばっちりだ」
涼はテントを指し示した。
「天気もいいし、星が綺麗だぞ」
絵理はようやく状況を理解したらしく、毛布を放り投げて涼に喰ってかかる。
「この脳筋! どこの世の中に女の子だけでテントに泊まるバカがいんのよッ。変な奴が来たらどーすんの!」
「倒せばよくねえ?」
「信っじられないわ……」
辟易とする絵理と違い、この事態に適応しようとしていた葉月は次なる問題、場所取りについて考えた。順当に考えれば大きな黄色のテントに三人、小さな青いテントに二人。どのように振り分けるか。
「着替えたテントでいいんじゃないか?」
そうか、と葉月はテントを見る。黄色には文子、絵理、涼の荷物があり、青には葉月と晴のバッグがあった。移動の手間も省けるぶん、それが最適に思えた。
「待ちなさいッ」
絵理はテントに入ろうとする葉月を引き止め、話し合いの輪に連れ戻した。
「アタシと涼は分けたほうがいいはずよ」
どちらのテントに変質者が来ても撃退できるようにね、と絵理は言う。その意見はもっともに思えた。
「アタシが守ってあげるわ!」
別にかまわないけど、と晴は肩をすくめる。晴と絵理の入れ替わりが決まりかけたとき、文子はそれを阻止した。絵理の肩に手を置き、振り返った彼女に無言で首を振ってみせる。
「な、なによ……」
「おとなしく黄色いテントに行きましょう」
二人の言い争いをよそに、葉月は我関せずといったようすで中指の爪に親指の爪をこすり合わせていた。快適に眠るためには、隣に居るべき相手は晴がよかった。しかし、口にすると角が立ちそうだ。
「葉月はどうしたいんだ?」
「移動するの、面倒かなって」
葉月は欠伸混じりに現状維持、晴を選んだ。
「お休みなさい」
葉月は絵理を文子に任せ、テントに入って横になった。
「もっとエリーに構ってあげなさいよ」
バッグを枕にしようと引き寄せていると晴も中に入ってきて、テントのファスナーを締めた。
「寝れそう?」
「背中痛い」
テントの床は壁と同じ材質のせいで、ほとんど石の上で寝ているのと同じような寝心地であった。すこしでも楽な姿勢を探そうと葉月が寝返りを打ちまわっていると、晴は葉月を一度立たせ、自分の毛布を床に敷いた。
「ないよりはマシでしょ?」
毛布の上に寝転がると、石の感触はまだまだ残っていたものの、なにもないときよりは格段に心地よかった。納得して落ち着いた葉月を見届け、晴も毛布の上に横たわる。
「寒くない?」
「夏だし、平気でしょ」
おやすみ、と晴は葉月に背中を向けてしまう。葉月は毛布を横にして、晴の腹にかけてやる。
「なに?」
葉月はもそもそと場所を晴に近づけ、ふたりでひとつの毛布を使う。
「すこし暑いかもね」
「いいって言ってるのに」
晴はそう言いながらも、毛布をはがすことも葉月を遠ざけることもしなかった。
しばらく黙ったまま過ごし、葉月が微睡みはじめたころ。
「もう寝た?」
晴の声が聞こえたが、眠気から葉月は返事をしなかった。衣擦れに似た音が聞こえる。晴が寝返りを打ったのだろう。距離が近いせいか、晴の生暖かい息が額をくすぐる。冷たい指が頬を撫でたかと思うと、葉月の顔に垂れかかっていたひとつまみの髪が後ろに戻された。石が軋む音。同時に晴の息が当たらなくなる。
「あんた、強くなったわね」
声がすこし高いところから聞こえてきた。晴は上体を起こしている? さきほどよりもしっかりと、しかし優しい手つきが頭を撫でていた。
「きっと、まだまだ強くなる。わたしたちが守らなくてもいいくらいに強く」
まるでお母さんのようだ、と葉月は思う。高校生なんだからさすがに親離れしてるよ、と思いつつも、その手の心地よさに振り払う気にもなれず、されるがままに受け入れていた。
「焦らず、ゆっくり強くなりなさい」
ほかにもなにか話していたが、葉月はいつのまにか眠りに落ちたせいでなにも聞こえなかった。
「ところで」と涼は小声で文子と不機嫌そうな絵理に訊ねた。「晴はなんで葉月にだけ見られるのを嫌がるんだ?」
「はァ?」
そんなこともわからないのか、と絵理は軽蔑にも近い眼差しで涼を見やる。
「好きだから、ですよ」
文子は簀巻きされたように毛布を体に巻きつけ、仰向けで目を閉じたまま答えた。
「けど、親友なんだろ? あの二人に隠し事とかあるほうが驚きなんだけど」
「そっちの好きじゃないっての」と絵理は興味をなくしたように背中を向けて寝転んだ。
「両片想いなのですよ。葉月は無自覚ですが。だからこそ、自分の醜いところなど見せられない」
そんなもんかね、と涼も上体を倒す。
「好きな人のために頑張りち気持ちは恥ずかしいですから、晴の勘違いは葉月にとって都合がいいんですけどね」
「勘違い?」
なんでもありません、と文子は口を閉じた。
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