第33話 合宿
土曜日の昼過ぎ。部長の指示を受けた四人がバスを乗り継いでたどり着いた場所は彼女たちが住まう市の隣町で、加茂川と呼ばれている河川敷だった。川の流れそのものはあまり大きくないが、その代わりに川原は広く、川幅の三倍近い範囲に丸い石が敷き詰められていた。川からやや離れたところに黄色と青のテントがふたつ建っており、そばに人影があった。
「よう。来たか」
四人が到着したとき、すでに道着をまとっていた涼はバーベキューの準備を進めていた。
「へえ。けっこうちゃんとしてるんだ」
「稽古のあとに夕食な。とりあえず、着替えはテントで」
文子と絵理は大きな黄色いテントに入っていき、晴は小さな青いテントを選んだ。
「いも炊き?」
葉月は荷を降ろし、バーベキューの炭をいじっている涼のそばに立つ。
「季節じゃないかな。お前も早く着替えてきな」
青いほうもふたりくらい入れるさ、と涼はテントを指し示すが、葉月は頭を振った。
「晴、着替えとか見られるの嫌がるから」
そうかい、と涼は葉月に軍手を貸して作業を任せ、自身は別の工程に移る。
「天気、晴れでよかったな」
涼に言われ、葉月は空を仰ぎ見た。雲はなく、合宿中は雨の心配は必要なさそうだった。
「こうして部活でイベントできるなんて思いもしなかったよ」
「?」
「ほら。去年はあたしひとりだったじゃん?」
部員がいなくなったのは涼の厳しすぎる指導のせいだと聞いたけれど、と思いつつも、葉月は逃げ出したくなるほど苛烈な稽古を強いられた覚えがないことに気がついた。ひどく甘やかされた覚えもなかったが。
「そりゃあ、後輩だからな」
彼女にとって、葉月たちの指導は小学生の指導員をやっているときと同じ要領なのだろう。ならば厳しすぎないのも当然だ。
「お前が人を集めてくれたからだよな」
ありがとう、と礼を言われても、葉月に自ら率先して勧誘に奔走した自覚はない。集ったみんなはそれぞれの思惑があって空手を始めたのだ。
「そうでもないさ。すくなくとも呼び水にはなってる」
そうかな、と葉月はまだ納得しかねていた。
「武道の本質は自他共栄だ」
自分ひとりでは成り立たない。そういう意味では、ひとりだけが勝利しても勝ち進めない団体戦はいい例だ、と涼は言う。仲間との協力が必要だ、と。
「困ってるとき、呼ばなくても来てくれる仲間がいるんだ。もっと頼ってやりな」
涼が鼻歌を唄いながら作業に戻ってしまい、タイミングを逃した葉月はなにも言えなかった。いまでも頼りっぱなしなのに、これ以上なにを頼れというのだろう。
着替え終わった四人は涼を先頭にし、二列縦隊で整列した。いつもと違い、彼女たちは靴を履いている。葉月、晴、文子はごく一般的なスニーカーだったが、涼と絵理は白を基調としたお揃いの運動靴だった。違うところといえばゴム底のサイドにあしらわれた円形の模様が色違いであることと、靴ひもだけだった。涼の円は横並びになった三つともが青色で、靴ひもは買ったときのままだろう靴と同じ白だった。絵理の円模様は踵から順に青、黄、赤と信号機を逆にしたような配色で、靴ひもは彼女らしいピンクのヒョウ柄だった。
「よし! まずはランニングでウォーミングアップな」
涼に続いて四人も走り出す。川原は足場が悪く、踏み所によっては石がぐらついて傾き、足首をひねりそうになる。
川原の石が姿を消し、土の地面が現れて獣道に入っていった。しばらく進むと水の音が聞こえ、支流が見えてきた。その流れは大きいものではなかったが、底は深く、ひとっ飛びできる幅ではなかった。
「どうするの?」
葉月が川を覗き込むと、小魚たちが逃げていく。
「こっちに橋があるから」
涼の案内で獣道から少し外れると、川にかかった丸太が見えた。
「固定されてないから気ぃつけてな」
涼は慣れた足取りですいすいと進み、対岸で四人を待った。絵理と晴は毒づきながらも橋を渡りきったが、文子はまだ躊躇っていた。
「大丈夫?」
「……はい。問題、ありません」
「早くしなさいよッ」
向こう岸で絵理が急かしてくる。
「葉月、お先にどうぞ」
葉月が丸太に乗ると、思いのほか橋は安定していて急に転がり出すようなことはなさそうだった。丸太の端に目をやると、幾人もの人が利用した証か、地面にめりこんで動かぬようになっている。途中にある樹皮が禿げた場所さえ気をつければなにも問題ない。葉月は顔を上げ、文子を見やる。彼女は葉月の行く末を心配そうに見守っていた。
「手、つなぐ?」
「良いのですか?」
葉月が頷くと、文子はおずおぞとその手を取って丸太橋に足をかけた。木の安定感に気づいたのか、文子はほっと息をつき、行きましょうと頷いた。けれど、先に進んだ三人よりも慎重に進む。半ばまで渡り、あと少しで対岸だった。
「葉月!」
「え?」
文子の声に振り返ったとき、葉月の踵は樹皮が禿げて滑りやすくなっていた場所を踏んだ。足を取られたことに気づいてバランスをとろうとするが間に合わず、手をつないでいた文子を巻き込んで川に落ちる。浅い川の水位は立っていれば腰ほどもなかったが、尻餅をつくように飛び込んだせいで、彼女たちは全身がずぶぬれてしまう。
「間抜けだわ」
腕組んで呆れたように言う絵理と違い、晴と涼は落ちたふたりに手を貸して陸に引き上げた。初夏とはいえ川の水は冷たく、葉月はくしゃみする。
「このまま続けるわけにはいかないわよね」
晴は眉尻を下げて涼に目配せするが、絵理は頭を振った。
「続けるわよ。寒稽古ほどきつくないでしょ」
正月に川の中に入れられ、基本稽古や組手をさせられている絵理からしてみれば夏の川などたいしたことはないという認識らしく稽古の中止を認めなかった。
「近くに銭湯あるから、行ってきな」
涼は絵理の意見を退け、ふたりを銭湯に向かわせた。
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