第30話 アイスクリーム

 葉月は文子とともに大通りから外れた道をまっすぐに歩いていた。住宅街に入る直前、道路脇に膨らんだコブのような広い空間が見えてきた。そこは以前までただの空き地で、せいぜい道を間違えた車がUターンに使う程度の場所だった。しかし、その日葉月たちが住宅街に向かうとその膨らみには小さな看板が置かれており、キャンピングカーていどの大きさの車が停まっていた。あまりあるスペースにはベンチやテーブルなども置いてある。ピンクと黄色というポップな日覆いが目を引くその車ではアイスが売られており、行列というほどではないにしてもそれなりに人がアイスを買い求めていた。

 こんなところにお店があったんだ、と葉月はよく通っているはずの道の変化に感心していた。

「先月あたりから来ていたようです」

 そういえばエリーがアイスに行かないかと誘ってきたことがあったけれど、その店こそこの新店舗だったのだろうか、と葉月は首をかしげる。

「もう食べた?」

「いえ。ここにくるのは木曜日だけのようです。曜日ごとに営業場所が違うようでして」

「ひとりでは来ないの?」

 そのとき、葉月たちの順番が来た。日覆いと同じ柄の小さな帽子を頭に乗せた店員がにこやかに出迎える。エプロンも帽子と同色だった。

「葉月はどれにしますか?」

 うーん、と葉月は顎に手を当てて唸り声をだす。ショーケースは一〇個のブロックに分かれており、それぞれに違うアイスが入っていた。バニラ、ストロベリー、チョコレートと定番なものから、日覆いと同じ色のオリジナル商品まで。一番人気はストロベリー&チーズケーキらしく、ほかの商品とは目に見えて残量が少ない。カップに盛りつけられたひと玉のアイスにピンク色のスプーンが添えられ、ふたりのもとに届く。それを受け取った彼女たちが見たときにはすでにベンチもテーブルも空いていなかった。座っていた客のアイスの減り具合から、その人たちが席を立つまではまだ時間がかかりそうだ。客の多くはアイスが溶けつつあるというのにお喋りに興じている。

「公園に行きましょうか。あちらにもベンチがあったはず」

 住宅街に入り込んですこし歩くと、三叉路の分かれ道の間を占領するように三角形の公園があった。それなりの広さはあるが、ブランコやジャングルジム、滑り台はさまざまな理由から撤去され、いまある遊具は鉄棒と砂場だけ。そのせいか子供たちの姿はない。ふたりは砂場の対局に位置していたベンチに腰掛け、ようやくアイスにありついた。それでもまだアイスはほとんど溶けていない。

「ネーミングは最悪ですが、味はまずまずですね」

「何味なの?」

「桃とバナナです。食べますか?」

 葉月は差し出されたカップから恐る恐る日覆いと同じ色のアイスをすくい取り、口に運ぶ。

「リピーターはつきそうもないね」

 そうですかね、と文子は首をかしげ、アイスを食べる。


「……先日のこと」

 晴から聞きました、と文子は呟いた。彼女の声に怒気は含まれておらず、とても静かなものだった。

「これで、格闘技が危険であるということがわかりましたね?」

 葉月は文子を見ずに頷いた。整形外科の先生は言っていた。空手で怪我をした人たちがこの病院にはよく来る、と。そのなかでもあなたは比較的軽傷だとも。ひどい人は下段廻し蹴りを喰らって大腿骨を折ったり、顔面に膝蹴りを受けて顎を粉砕骨折したりする。女の子なんだから、特別な事情でもないならこれを機に辞めてしまってもいいのではないか、と先生は葉月を心配してくれた。次は軟骨が変形するていどでは済まないかもしれない、とも。

「空手をやめますか?」

 はっと顔を上げ、文子を見た。彼女はまっすぐに葉月を見返したが、葉月はその目を見つめ続けることができず、すぐに視線を自分の足元に落とした。それでも、首は横に振った。

「部活に行きますか?」

 葉月の答えは否。

「このまま幽霊部員になりますか?」

 否。

「では、あなたはどうしたいのですか?」

 これにも葉月はゆるく頭を振って答えるしかなかった。

「怖いの。すごく。また同じことが起きたらって思うと、手を向けられるだけでダメになる」

「……痛いのは怖いですからね」

「いままでだって痛かったよ? でも、なんていうか、生きてるって感じがしてたの。けど、今回のは違った」

「ならば、無理をする必要はありません。楽しいことだけをしましょう」

 文子がおもむろに立ち上がると、葉月は彼女を見上げながら首をかしげた。今から遊びに行くの、と。

「土曜日、武道館に行きましょう。じつは私も、空手を始めてみたのです」

 見様見真似ですが、と文子はやや恥ずかしそうに眼鏡のブリッジに触れる。是非、基本の技を教えてください、と彼女は葉月を振り返って手を差し伸べた。その手には、空手を始めたばかりの葉月と同様に、拳頭の皮膚が剥けていた。

「私だけなら、怖くないでしょう?」

 文子は柔らかく微笑んだ。組手もミット打ちもなしです、と。


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