第28話 間

 時が経っても葉月の憂鬱が晴れることはなかった。放課後を知らせるチャイムが鳴っても、葉月は席を立たずにカバンのファスナーを開け閉めしていた。

「葉月。部活、行く?」

 教科書が入ったカバンと道着やサポーターが入っているエナメルバッグを肩にかけ、晴は心配そうに葉月の顔を覗き込んだ。しかし、葉月は表情を曇らせ、うつむき加減に頭を振った。あれからまる二週間、部活に参加していない。木曜日の今日を含めれば五度目のサボり。

「そう……。じゃあ、わたしは行くわね」

 ごめんね、と葉月がつぶやいても、踵を返して離れていく晴には聞こえなかったようで、彼女は教室を出る直前まで振り返らなかった。出たときもちらと流し目を送るていどに見ただけだった。葉月はため息をついて席を立ち、カバンを手にとった。

「葉月」

 呼びかけられて振り返ると、文子が柔らかい頬笑みを浮かべて立っていた。

「このあと、すこし寄り道をしませんか?」


 武道館に向かおうとしていた絵理は階段を下りているとき、壁にもたれかかってため息をついていた晴を見つけた。隣に葉月の姿はなく、すこしがっかりした。

「なにしてんのよ」

 絵理が肩を叩くと、晴は緩慢な動きで頭をもたげ、彼女を認めた。頭を振り、何でもない、と呟く。重症だ。まるで葉月と喧嘩でもしたときのよう。

「完全に裏目だったわ」

 ふたり並んで武道館に向かう石畳を歩いていたとき、晴はそう呟いた。愚痴なのか独り言なのか判断がつかなかった絵理はちらと視線を送り、続きを促すでも黙らせるでもなくそのままにした。

「強くなって欲しかっただけなのに」

 こんなところで新しいトラウマ作っちゃうなんて、と晴はため息をつく。

「なんで、あんたもあいつも、葉月の強さにこだわんのよ」

 葉月が空手をやめてしまうのは絵理としても残念だった。しかし、新しい入門生のなかには基本稽古を楽しくやっていても、初めての組手を機に空手をやめる人は珍しくなかった。痛みに対する恐怖に打ち勝てないのだ。その恐怖心を克服できるか否かが空手家として道を歩む前の分水嶺。嫌々やっていても身につきはしない。酷かもしれないが、葉月にはそれだけの資質がなかったというだけのことだった。そういった人たちを幾人も見てきた絵理には、彼女だけを責めることはできなかった。

「あの子は強くならなくちゃいけないの」

 晴がそこまで言う理由が絵理にはわからなかった。それを察したのか、晴は立ち止まって何事かを考え、やがてため息をついた。

「あんたは知ってもいいかもね」

 なにを、と絵理が首をかしげていると、晴は彼女を追い抜いて武道館に向かった。

「今日は部活休みにして、すこし話をしましょう」


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