第23話 葉月歴

「エリー……」

 葉月は腰を上げ、絵理を追いかけようとした。稽古を投げ出そうとしていた彼女を止めようと思ったのではなく、振り返る瞬間に涙を見た気がしたから。絵理はいたずらであんなことしないはずだ。なにか事情があっただろうに、自分はそれを無視してしまったのだ、と。しかし、パイプ椅子から立ち上がった晴にその肩を押さえられた。

「わたしに任せて、あんたは稽古に集中しなさい」

 晴は葉月に微笑みかけ、更衣室に駆け足で向かった。涼と真奈美は目配せし、稽古を再開することにした。

「美優。準備しなさい」

「お、押忍……」

 美優は体の震えを押さえ込むように唾を飲み、吉崎と対峙した。まだ弱々しい光だが、その瞳には絵理が宿っていた。


 晴が更衣室に入ったとき、絵理は部屋の隅で膝を抱えて丸くなっていた。

「なにすねてんのよ」

「うっさい。あっち行ってよ」

「早く戻らないと葉月の試合見逃しちゃうじゃない」

 晴はため息をつき、絵理の隣に座った。

「あんなことしなくたって勝てたでしょ?」

「だって……喜んでくれると思ったんだもの」

「馬鹿ね」

「うるさい……」

 絵理は自身の膝に顔をうずめた。

「だって悔しいじゃない。重いとか軽いとか、細いとか小さいとか」

 それに関しては晴も同じ気持ちだった。強くなろうとしている葉月を馬鹿にした彼女たちは許せない。ぶちのめしてやりたい、と思ってそれを実行した絵理を責めることはできなかった。

「けど、その結果怒られてたんじゃ世話ないわね」

「じゃあどうしろっていうのよ。あんたはいいの? あの子が馬鹿にされて」

 いいわけがなかった。晴自身、川西高校の挑発は目に余ると思っていた。

「でも、反則はダメ」

 反則じゃないってば、と絵理は消え入りそうな声で呟いた。晴は呆れてため息をつく。人を怖がらせることは上手なくせに、葉月の喜ばせかたもわからないのか、と。

「仕方ないわね。ここは葉月歴一二年のわたしがお手本を見せてあげるわ。だから……」

 晴は絵理の腕を取り、無理やり立たせた。

「ちょっと手伝いなさい」

 わたしが教えてあげる、と晴がウィンクすると、絵理は不思議そうに彼女を見上げていた。


「次、東と山下かな」

 第三回戦を始めようと真奈美がふたりを立たせたとき、更衣室の扉が開いた。出てきたのは絵理と空手着を身につけた晴だった。

「第三回戦、わたしにやらせてもらえない?」

「おいおい」

 マジだったんかい、と驚く涼。たとえ冗談でも最初に誘ったのは彼女なのだから、と晴は文句を受けつけるつもりはなかった。

「住之江晴。本日付で空手部部員になります。いいでしょ? 部長さん。入部届けは後で書くわ」

 ふふ、と真奈美が笑った。

「いいんじゃないか? これで五対五だ」

「真奈美さんまで……。初心者なんだぜ?」

「おや。そうは見えないが?」

 晴はそう言われ、肩をすくめた。

「悪いわね、葉月。先にやらせてもらうわ」

 彼女はそう言って試合場の中央に立った。

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