第20話 交流試合
土曜日は授業がなかった。だからといって学校の敷地内がひっそりとしているかといえばそんなことはない。休みであっても活動している部活があるからだ。空手部は月曜日と木曜日だけが稽古日だったが、この日は皆で武道館に集まっていた。絵理はまだ体が硬い葉月の補助として開脚している彼女の背中を押していた。晴によって高い位置に結えられた髪のおかげで普段は隠れている葉月の白いうなじがよく見える。結った人物によって髪型が変わる葉月。自分だったらどんなふうにしてやるだろう、と絵理は考える。お揃いにしても葉月にはあまり似合いそうもない。
さきほどまでいた涼は外に出ていて武道館にはいなかった。畳の隅には晴がいて、パイプ椅子に腰掛けて彼女たちの練習風景を見学している。玄関が開く音がし、涼が十字を切って入ってきた。それから手招きして葉月と絵理を呼び寄せる。涼の後ろには六人の他校生がいた。
「紹介するよ。先輩の真奈美さん。川西高校空手部の部長でもある」
その涼よりも背が高い女性には見覚えがあった。真奈美は短く切った髪を微かに揺らし、肩口まで小さく手を挙げて微笑んだ。絵理は自身の顔が引きつっているだろうことがわかった。
涼は絵理を指す。
「こっちはエリー。顔は知ってるよな」
「ああ、覚えているよ」
目立つ子だったからね、と真奈美は絵理を評した。絵理にはどういうところが目立っていたのかはわからなかったが、覚えられていたことに喜びはなかった。
「それは光栄ね」
絵理は鼻を鳴らし、顔を背けた。彼女は涼に次いで絵理の優勝を阻んでいた人物でもあった。涼と真奈美は同門生のため、決勝でもない限り拳を交えることはほとんどない。そのせいで絵理は必ずどちらかと序盤で闘うことになり、上位入賞さえ遠ざけられていた。ときには敢闘賞をもらうこともあったが、負けて得られる賞では彼女の心は慰められなかった。それゆえ、絵理は真奈美を快く迎えてやることができなかった。
涼は続いて葉月を指差す。
「で、こいつは新人の葉月」
「ファンです!」
葉月の第一声。胸の前で拳を握り、緊張からか力んで見える。
「ファン?」
「お正月の演武……」
葉月は前のめりに真奈美を見つめる。思いの丈を上手く表現できないのか、手振りばかりで言葉が続いていない。真奈美はそれを微笑ましげに見つめる。葉月が憧れていたのは真奈美だったのか、と絵理はその事実にすこし傷ついた。
「空手は楽しいかい?」
葉月は目を輝かせながら何度も頷いた。絵理はそのようすをつまらなそうに見やる。自分に対してもそういう好意を見せて欲しかった。
それはよかった、と真奈美は振り返り、自分の後輩たちを一歩前にやって整列させ、紹介する。二年の前田、岡野、吉崎、山下。一年の西園美優。
「部員は九人なんだが、三人は諸用だそうでね。今日は六人だ」
西園を除いた四人は背こそ標準的だったが、体が大きく、試合で有利に働く要素である体重や力を重要視しているかのような体型だった。そのせいでひとり背が低く体の細い西園がより小柄に見え、浮いていた。ふっと岡野が葉月と絵理を見て笑う。
「ほっそい体。そんなんで戦えるのぉ?」
ほかの三人も笑い出すが、美優だけは肩身が狭そうに縮こまる。前髪だけが長く、それに隠れて表情は見えにくいが彼女が先輩たちにおびえていることははっきりと見て取れた。絵理はそのことにいらつく。体の小ささはコンプレックスにつながりやすい。大体の場合、非力な人間は勝てないから。だからといって体格の良い相手の顔色を伺っているようでは空手をやってる意味がない。気持ちで負けてるんだ、こいつは。絵理は舌打ちした。でも、まずは葉月を馬鹿にしたやつが許せなかった。
「よさないか」
真奈美が睨んで注意しても、四人はふたりを馬鹿にしてような笑いをやめない。遠く離れた位置で椅子に座る晴は不愉快そうに眉をしかめていた。絵理は鼻を鳴らす。相手の底が知れてしまった。
「そういうあんたはずいぶんと柔らかそうな手ね」
どうせ始めて一、二年。慣れ始めたころになると多くの初心者は「空手やってます」と自身の力を誇示したがる。彼女たち四人もその例に漏れていないようだった。そういった人間が辿る道は脱落だけだ。試合で痛みや恐怖に負けてすぐに逃げていく。
「はぁ?」
図星だったのか、岡野は顔を赤くして拳を震わせていた。もっと恥ずかしい思いをさせてやろう、と絵理は手を振ってあたかも理解ある人間であるかのように振る舞う。
「ああ、いいのよ別に。恥ずかしいことじゃないわ。アタシだって幼稚園のときに通った道だし」
「エリー」
葉月がぐいと袖を引くと、絵理は彼女を見て口をつぐみ、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「仲良くなれそうでなによりだ」
涼はおどけたように笑い、真奈美たちを更衣室のほうに案内した。
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