第18話 剣道大会
開会式が終わり、試合開始時刻になった。
第一回戦。晴たちは真ん中のコートに集まり、対戦相手と向き合って礼をする。
「ちょっと遠いね」
「真反対よりはマシでしょ」と絵理は葉月を見ずに答える。
四人の同志は先鋒を残して舞台上から去り、場外に整列して正座する。舞台に残って対戦相手と向き合っていたのは晴だった。
試合が始まり、最初のうちは互いに出方を伺っていて大きな動きはなかった。じりじりと間合いを詰め、睨み合う。雄叫びをあげるように騒いでいる五つの試合場と違ってふたりの間には沈黙があった。
「勝てるかな」
葉月が心配そうに尋ねると、やはり試合場から目を離さない絵理が答えた。
「先に動いたほうが負けるわ」
「?」
「功を焦ったりプレッシャーに負けたり、理由はいろいろだけど、さきに動くのはだいたい弱いほうよ」
ふうん、と葉月は試合上に視線を戻し、晴を見守った。
「面ありッ!」
二〇秒が過ぎたころ、どこかの試合上で旗が上がった。そのとき、晴の対戦相手が声を上げて一気に間合いを詰め、竹刀を振るった。面、面、胴、面、小手。晴はそのすべてをさばく。小手、面。晴は相手の竹刀をかいくぐり、面。竹が割れんばかりの音。残心。
晴の技が決まったことを示すように白旗が三本あがった。
「やった!」
ほら見ろ、と言わんばかりに絵理は胸を張る。晴と対戦相手は中央に戻される。
「剣道は三本勝負です。あと一本取る必要があります」
「知ってるわよッ」
文子が正面を見たまま説明すると、絵理はやや顔を赤くして怒鳴った。舌打ちして無言にならないあたり、葉月はふたりの壁が薄くなった気がする。
対戦相手はさきほどの沈黙が嘘のように声を上げ、竹刀を振り回した。
「本気になった?」
「ただ焦ってるだけよ」
「?」
絵理が試合場に向かって顎をしゃくったとき、晴は最小限の動きで、さきの一本を再現するようにまったく同じ動きで面を打った。
「バカみたい」
晴は試合場を後にし、次鋒の選手と入れ替わる。緊張から前のめりになっていた葉月はため息をつき、ゆっくりと背もたれに背を預けた。
「一回戦目は余裕そうね」
しかし、結果は絵理の予想を裏切るものとなった。残りの四人すべてが二本ないし一本をあっさりと取られて負けたのだった。八百長を疑ってしまうようにあっさりと。相手はまるで案山子か何かを打つように面を打ち、一本を取って帰る。晴と比較してあまりにもひどい試合内容あるいは力量の差に絵理は大口を開けて固まっていた。
「どーゆーことよ……」
「晴以外、あまり熱心な部員はいないという話でしたから。致し方ないかと」
「そういうこと聞いてんじゃないわよッ。嘘でしょ? こんなのあり?」
一〇人が向き合って礼。うつむき加減で表情を隠し、歯を食い縛る晴。しかし、彼女をよそにほかの部員はさきの敗北などなかったかのように笑っていた。
葉月はまた、いつか見た剣道場での孤高な姿を重ね合わせ、駆け寄ってやりたい思いで胸が締めつけられるようだった。しかし、そうするには葉月と晴の距離はあまりにも遠い。結局、空手をやろうが強くなろうが、葉月は以前と何も変わらない無力感を抱くことしかできなかった。
「気分悪いわ」
絵理は舌打ちし、頭の後ろに手を回して足を伸ばした。
「態度が悪いですよ」
絵理は普段なら噛みつくだろう文子のお叱りにも鼻を鳴らすだけだった。
二回戦目は判で押したように皆同じ負けかたを繰り返した。三回戦目。対戦相手はすでに二連勝しておりここで負ければ県大会出場は絶望的という状況だった。しかし、晴以外の四人は負け、晴も二本取ることができずに一本を取って時間切れという結果だった。
「集中、切れてきたかもね」
絵理は眉間にしわを寄せた。
「一校しか進めないってことは、あと二回勝ったとしてもダメ……だよね」
四回戦目。ここにきて、ひとつ変化があった。晴が戦いかたを変えたのだった。いままでは相手の出方を伺って隙を突くような動きだったのが、この試合では自ら攻めていった。対戦相手を滅多打ちにし、場外に追いやるように激しく攻め立てた。しかし、その勢いとは裏腹に旗はひとつも上がらない。ふたりは中央に戻された。
「なにやってんのよ、あいつ……」
葉月は絵理の押し殺したような声に表情を曇らせる。
試合が再開すると、晴はさきの勢いをそのままに竹刀を振るった。相手がその気迫に怯んだ隙を逃さず、面を打つ。白旗が上がり、試合終了のブザーが鳴る。
試合場を後にするとき、晴が市内を取り落とした。すぐさま竹刀を拾って陣地に戻るが、そのあとも左肩を気にするようにさすっていた。
「完治、したのでは?」
文子が葉月に尋ねるが、わからない、と葉月は首を振った。
「あのバカ。無茶するから」と絵理は晴を睨んだ。
五回戦目。怒涛の勢いで攻める晴。冷静な対戦相手。一回戦目の後半とは逆の構図。
「小手ありッ」
赤旗があがる。晴が一本取られた。中央に戻るふたり。
「二本目」
時間はまだ一分半もある。いくらでも取り返すことは可能だった。しかし、試合が始まっても晴は動かなかった。竹刀は相手の喉を捉えていない。冷静になったのではなく、誰が見ても諦めたような態度。味方であるはずの同志からも声援はない。盛り上がる対戦相手の陣営。葉月が絵理を見ると、彼女はなにも言わずに肩をすくめた。終わったのだ。晴の大会はこれで終わり。一本を取られて幕を閉じる。しかし、相手はそのていどで終わらせるつもりはないらしく二本目を取ろうと竹刀を振るった。晴はかろうじて相手の攻撃をさばいていたが、それは体に染みついた動作を惰性で行っているようだった。その動きもだんだんと遅くなる。
「……帰りましょうか」
文子が呟いた。
「晴もきっと、こんなところは見られたくないでしょうから」
「それもそうね」
葉月は席を立つふたりを泣きそうな目で見上げた。晴がまだ戦ってるのに……。
「ほら。あんたも早くなさい」
試合場ではまだ晴が戦っていた。場外に追いやられそうになり、足を滑らせて転ぶ。中央に戻されるふたり。葉月は唾を飲んで席を立つ。晴は絶対に嘘を吐かない。今は少し、元気がないだけなんだ。絵理と文子は荷物を手にして通路に出て、階下に向かう階段を目指した。
けれど、葉月は仲間たちとは反対に最前列のほうに駆け、手すりを掴んで身を乗り出した。
「晴ーッ!」
試合場にいた晴はかすかに面を上げ、自身の名を叫ぶ友人を見た。
「ちょっ……、なにしてんのよ」
絵理は葉月のもとに駆け寄って彼女の肩を掴んだ。しかし、葉月は振り返らずに遠く離れた晴と見つめ合った。対戦者がその隙を逃すはずもない。面。晴はそれを確固とした意志でもってさばき、驚く相手の面に竹刀を打ち込む。
「面ありッ」
白旗が上がった。
「やった!」
葉月は喜びのあまり飛び跳ね、絵理を振り返る。
「まだ終わってないよ!」
絵理はあまり見ない葉月のようすに目を丸くし、瞬きを繰り返した。
「三本目」
一転して落ち着きを取り戻した晴は残り時間が一分を切っても自ら攻めはしなかった。遠く離れた面の奥、葉月からは見えるはずもないというのに、彼女には晴が楽しそうに笑っているだろうことがわかった。目配せし、見てなさいよ、と。
さきに動いたのは対戦者だった。晴は相手の技すべてをかいくぐる。葉月は晴の一挙手一投足すべてに声援を送る。他の観戦者にどう見られようとどうでもよかった。戦う晴の気高くも美しい姿勢を見ていたかった。そのためには自分がちゃんと「見ている」ことを伝え続けねば。晴は竹刀をぶつけ合わせ、鍔迫り合いに持ち込んだ。互いに一歩も引かずに押し合うが、膠着はしなかった。晴は相手が強く押した瞬間を見極めて引き、勢い余って前のめりになった瞬間に引き面を打った。
「面ありッ」
三本の白旗が上がる。晴は勝利を収め、一礼して次鋒と入れ替わる。
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