第13話 決闘目前

 決闘の日、絵理が普段持ってこないエナメルバッグを肩に下げて教室から出ると、文子が廊下で彼女を待っていた。三つ編みを揺らしながら会釈し、眼鏡の位置を直す。

「行きましょうか」

「……何しに来たのよ」

 あなたを迎えに、と表情を崩さない文子に絵理は鼻を鳴らして顔を背け、彼女を無視するように先に立って歩き出した。

「場所くらいわかるわ。だいたい、なんであんたなのよ」

 部外者のくせに、と絵理は舌打ちする。彼女は文子が嫌いだった。小学生のころ、絵理と葉月、晴はいつも三人一緒だった。葉月はわがままな彼女を甘えさせてくれたし、晴は怒ったり注意したりすることはあってもほかの連中と違って絵理の陰口や仲間はずれにすることはなかった。それがとても居心地よく感じられ、友達は彼女たちふたりいればそれでいいと思っていた。しかし、中学に進学してからクラス編成で絵理だけがふたりと別れてしまった。たかがクラスの壁なんてアタシたちには問題じゃない。絵理はそう思っていたし、ふたりもそう思ってくれていると信じていた。入学式後最初の休み時間、絵理は晴と葉月を訪ねて彼女たちのクラスに顔を出した。そのとき見た光景は彼女にとってあまりにもショッキングなものだった。ふたりの輪に知らない人がいる。ふたりとことばを交わし、仲の良さそうな三人組を形成している。その三人目が文子だった。絵理はふたりの友人を、自分の居場所を盗られたと思った。自分がいないあいだに席を掠め取った泥棒猫、と。それ以来、絵理は文子が嫌いで、葉月たちに自分から会いに行こうとはしなかった。自分から行けば、彼女たちを好いているのは自分ばかりで、ふたりは自分をたいした存在だと思っていないのではないかという疑念を抱いてしまいそうだったから。そんな苦しみを味わうくらいなら、ひとりで誰ともかかわらずに生きていたかった。

 絵理と文子は黙ったまま階段を降りて下駄箱で靴を履き替えた。多くの生徒が校門やグラウンドに向かっていたせいもあって、武道館方面の石畳に人影はない。

「今日の決闘、私は副審を務めます」

「はあ?」

 これは試合などではなく決闘。そこに審判など必要ない。勝敗を決めるのは自分たち。

「主審は晴。もうひとりの副審は葉月です。長引くと不利だろうから、と晴が」

 正直なところ、絵理にとってそれはありがたい申し出だった。体重差が五キロあるだけで不利だとされる格闘技。絵理と涼の体重差は一三キロ。身長差は一七センチあった。互いに体力は充分であったが、体格的に劣る絵理は試合が長引くほど勝率が下がることは目に見えていた。過去二〇戦で絵理が勝ったのは三度だけ。それらの勝利も延長戦の末に体重判定で得たものだった。残りは延長戦で判定負け。充実した初戦に反し、延長では防戦になりがちなのが原因だった。一撃で奪われる体力に差がありすぎるせいで最後まで戦い抜けない。それは屈辱だった。大会のやりかたに則って体重判定を取り入れてもらえれば絵理にも勝ち目がある。

「どっちかが音をあげるまで、百戦でもやってやるわよ」

「部員を欲しがっている葉月はきっと、あなたに旗を挙げないでしょう。おそらく晴も」

「わかってるわよ」

 審判が全員敵なら、文句が出ないくらい完璧に勝てばいい。一本を取るか、戦意喪失させるか。アウェーでの試合経験は多い。そのていどのえこ贔屓は慣れっこだった。

「いえ。私はあなたの味方です」

 いままで前を歩いていた絵理はそのことばを聞いて立ち止まり、勢いよく文子を振り返った。彼女がなにを考えているのかがわからなかった。

「私はあなたに勝ってもらいたい。そして、葉月に空手をやめてもらいたいのです」

「……なんでよ」

「葉月は強くなろうとしています。肉体的にだけでなく、精神的にも。私はそれが嫌なのです」

 絵理にはわけがわからなかった。なぜ晴も文子も葉月が強くなりたいと願うだけでこんなにも懸命に動くのだろう。晴のことばを思い出す。葉月が強くなりたいと願うのはわたしと同じような理由である、と言っていた。晴が剣道をやっていたのは父親と戦うためだった。けれど、葉月の父はすでに亡くなっている。遊びに行った際、仏壇らしき場所で手を合わせた覚えがあった。

「養父?」

「?」

「なんでもないわ」

 アタシが勝ったからって空手を辞める保証はないわよ、と絵理は止めていた足を再び動かしながら言う。しかし、それに関して文子はやや自信があるようだった。

「部長さんは葉月にとっての師、憧れの存在です。それが負けたとあらば失望は禁じ得ないでしょう」

 さきの演武での失敗も合わせれば、目を覚ます頃合です。この人のもとでは強くなれない。そう思うはずだ、と。絵理にはそう簡単にはいかないと思えたが、もしも涼のもとから離れたならば、自分が師になってもいいだろう、とすこしだけ試合が楽しみになった。

「怖くはないのですか?」

「は?」

「相手は強大です。戦うことが怖くはないのですか?」

 怖くないはずがない。どんな小さな大会であっても、開始前はいつだって恐怖でいっぱいだった。けれど、絵理はそんなことを口にしない。

「あんたなんかに教えるわけないでしょ」

 文子は肩をすくめる。自分がこれほどまで絵理に嫌われている理由がわからないからだろう。絵理は鼻を鳴らして伝統の道を歩いた。

 絶対に負けられない、と自分を高める。この決闘は自分の居場所を取り戻す大事な戦いでもあった。

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