第9話 ハイキック?
葉月は休憩のあいだ、畳に寝転がったまま保健室でのできごと、文子の誤解を解くどころか退部させるとまで宣言されるに至った経緯を話した。
「やっぱ怪我させたのがまずかったんかねぇ」
どうだろ、と葉月は首をかしげる。怪我を深くしたことで文子を心配させはしたが、その時点では積極的に退部させようとはしていなかった。彼女があそこまで言いだしたのは葉月の気持ちを聞いてからだったのだが、彼女自身はどこが文子の気に食わないところだったのかわからなかった。
「まあ、いずれ解決するさ。友達だろ?」
よっ、と涼は立ち上がり、葉月に手を差し伸べた。彼女はその手を握って立ち上がろうとするが、蹴られた足の踏ん張りがきかずによろけて倒れる。
「おっと」
涼は葉月を引き寄せ、自身の体に葉月が倒れこむようにして彼女の転倒を防いだ。倒れ込んだ拍子に葉月は涼の胸に顔をうずめる形になったが、その柔らかさよりも、手をついた彼女の腹筋に意識を持っていかれた。
立てるかい、と涼に支えられながら、葉月は左足がきちんと地面を捉えて体を支えられるか確かめ、ゆっくりと涼の体から離れて立った。
「腹筋割れてたよね?」
「まあ、ね」
葉月は再び涼の腹筋に指を押し込むようにして触れると、明らかに硬度が違っていた。さきほどは自身とさして変わらないような柔らかさを感じていたのに、いまは硬い弾力とその奥にある確かな頑強さを感じる。内蔵を守るための肉の鎧。彼女はなにに殴られれば倒れるのだろうと不思議に思いつつ、葉月は涼の腹筋を無心につつく。
「そろそろ再開するぞ」
涼の声で葉月は正気づいて一歩下がり、間合いを取って組手構えになった。
葉月は多少息を切らしながらも、左右それぞれ二〇回ずつ下段廻し蹴りをこなした。とはいえ、何度か涼の修正や注意が入ったせいで総計は予定を大きく超えていた。
「ハイキックやって終わりにするか」
「押忍」
やりかたは基本稽古と同じだ、と言って涼はミットの持ち手に腕を通して籠手のようにし、ミットを葉月の顔の高さに持ち上げた。葉月はすこし表情を曇らせる。体が硬くて、基本稽古でも上段にぎりぎり届くていどなのに、ミットを蹴れるのだろうか。しかし、多少外したところで自分の蹴りなどものともしないだろう、と彼女の身体を信頼して葉月は覚悟を決める。
「一!」
涼の号令を聞き、葉月は上段廻し蹴りを放った。膝を畳んで足を高く上げ、軸足のかかとを涼に向けて腰を切る。葉月の膝が胸の高さに到達し、まっすぐに膝を伸ばせば背足がミットに当たる位置に達する。しかし、葉月は股関節の可動範囲を超えた動きのせいで痛みを感じ、とっさに膝の高度を下げた。伸ばされた足は勢いを弱めることなく上から下に落ちて涼の左肋骨と腰骨の間に叩き込まれた。油断からか、力が込められていなかった腹斜筋のやわらかさを脛に感じる。やってしまった、と葉月は焦りつつも綺麗な軌道で足を元の位置に戻した。涼は片膝をついて蹴られた横腹を押さえながら呻いていた。
「ごめん……」
「ローキック、根に持ってたのか?」
「足、上がらなくて」
涼は立ち上がって深呼吸してミットを高めの中段に構え、少しずつ高い蹴りを打てるように練習させた。しかし、その日のうちに葉月が上段廻し蹴りをできるようにはならなかった。
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