第6話 勧誘
「お断りします」
翌日の一時間目が終わったあと、葉月と晴は前のほうに座っていた文子のもとに行って空手部に勧誘した。その答えがさきのひとことであった。
喜多田文子。長い黒髪を三つ編みにして肩口から前に垂らし、眼鏡をかけた少女。その細すぎる手足は空手どころかいかなるスポーツにも向いていないことは一目瞭然だった。それでも晴が彼女を推薦したのは、文子が中学時代からふたりといつも一緒にいた友人だからであった。赤の他人よりも葉月の頼みを聞き入れてくれるだろうという思惑。葉月自身その考えを晴から聞かされてすこしだけ希望を抱いたが、文子の返事は葉月が最初に予想したとおりだった。
「すこしは考えなさいよ」
晴が呆れたように言うが、文子は頭を振って葉月の手を見やった。
「やはり格闘技は野蛮です」
葉月は恥ずかしそうに拳を体の後ろに隠した。同じ稽古をしていながら涼の拳は傷つかない。その怪我は葉月が未熟である証だった。
「早々に退部すべきです」
「あんたね……」
文子は首を振る葉月にため息をつく。
「葉月。あなたはいままで何度ホームルームに参加しましたか?」
「一回?」
「ゼロです。それもこれも空手のせいに決まっています。稽古の疲れで朝起きられないのでしょう」
「むかしからこんなもんだったけど」
黙っていてください、と言わんばかりに文子が晴を睨むと、彼女はその視線を受け止めて肩をすくめる。
「ともかく私は入部致しません」
文子は誤解してる、と葉月が更なる説得を重ねようとするとチャイムが鳴り、二時限目が始まってしまう。続々と席に戻る生徒たち。葉月も晴に促されて自席に帰った。
四時限目が終わって昼休みが始まると葉月はひとり弁当を片手に教室から出て二年の教室を訪ねて階段を昇り、三階に向かう。上に行くだけで景色が随分違うものだ、と彼女は廊下の窓に近づいた。すぐ目の前、手を伸ばせば届いてしまいそうなところに桜の木があった。すでに花びらは散っていて、青々とした葉を携えるだけ。きっと春になればその花弁を上から見下ろすことができるだろう、と来年の自分がその光景を見ているところを想像する。花見と称して弁当を廊下で食べるのも悪くないかもしれない。
涼の教室にたどり着き、所在を確認しようと教室を覗き込んだ。
「なんか用?」
振り返ると、後ろにいたのは涼のクラスメイトと思しき人。
「涼、いる?」
クラスメイトは彼女を訝しげに見やり、教室にいた涼を呼び出した。
「なに? 空手部?」
「へえ、可愛い子入ったんだぁ」
涼よりも先に彼女のクラスメイトたちがやってきて葉月を囲む。
「来てもらって悪いな。武道館のほう行こうか」
涼も弁当を片手に葉月のもとにやってくる。
「えー? ここで食べればいいじゃん」
「お前らうるせーからなぁ。大事な会議なんだよ」
離れてるからさ、とクラスメイトは葉月と涼を教室に押し込み、ふたりのために机と椅子を用意する。彼女たち自身は少し離れたところに着席してそちらを伺っていた。なかには写真を取る人も。
「悪いな。珍しがってんだよ」
「人気だね」
葉月はそれも当然だろうと思った。背が高く力もある涼ならば、男がいない場所ではその役割を押しつけられることも多いはずだ。
「会議っつっても、なにするかだよな。……友達は誘ってみたか?」
涼は弁当の包装を解いて箸を取る。弁当箱は葉月の倍近くありそうな大きさだった。
「フミは誤解してる」
「誤解?」
葉月は文子が話していた空手野蛮説と退部のススメについて涼に愚痴をこぼす。
「実際に見てもらうしかないだろうなぁ」
「入部は断固拒否って」
「しなくていいさ。けど、誤解は解きたいよな」
あたしとしては、と言う涼の意見に頷く葉月。入部はしてくれないとしても、応援くらいはして欲しい。自分のしていることを頭ごなしに否定されるのは葉月としても悲しいと思っていた。
「フミの件はいいとして、なにするの?」
涼は唸り声を上げる。
「演武とか?」
演武。それを聞いて葉月は正月に晴が言っていたことを思い出した。あのバットを蹴り折る光景は演武というのだ、と。
「バット折るやつ?」
「よく知ってんじゃん」
お正月に見た、と葉月はやや興奮気味にそのときのようすを話した。補助の男よりも背の高い女性が舞台上で三本ものバットを一発で蹴り割ったこと。それがきっかけで空手に興味を持ったこと。
「もしかして真奈美さんかなぁ」
涼はやや困ったように笑う。葉月は帯にそんなこと書いてあったかもしれない、と曖昧な記憶を手繰りつつ頷く。
「マジかよ。三本成功させたのかぁ。チクショー」
「知ってる人?」
「先輩だよ。あの人は支部に通ってるからあんま会わないけどな」
そんなこと全然言ってなかったのに、と涼は悔しそうに貧乏ゆすりをする。
「涼もする?」
「一本しかやったことないんだよなぁ。あの人が試割用使うとは思えないし」
彼女は難しそうに眉間にシワを寄せ、腕組みして唸る。すこし練習して、本物買って、と涼はぶつぶつと呟く。
「やってみっかぁ」
涼は盛大な溜息とともに決断を下す。そんなに負けたくないのだろうか、と葉月は首をかしげた。
「バット、買ってくる?」
「ああ、そこらへんはやっとくから、お前は木曜日に友達連れてきな」
涼は首をひねり、早まったかな、と早くもさきの決断を後悔しているように見えた。しかし、そのようすをよそに、葉月はあのときに見た美しくも力強い光景をもう一度いることができるのだ、と胸を高鳴らせた。
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