第4話リリィの花園

尽きせぬ哀しみの泉から清水を汲み取って干せば、涙の味がいたします。いいえ、泉と云ってもすでに涸れ、ただ蛇口をひねって洗面器に溜めた水ですもの、人里離れた山中の湯殿で肌を清める風情もなく、洗顔料の泡に涙が混ざって目が痛い。泣きはらした目を隠して化粧をして、夕方の街に出れば初夏の風が吹き抜けます。さわやかな木々の色にも、咲きこぼれる花々にも、罪などないのに、私をあざ笑っているようです。この街の片隅で共に暮らした家ももはや他人のものになって、リリィ柄のベッドリネンもすでに味気ないものとなっていましょう。あの白百合の花畑で私は蝶となり夜に咲いて朝に乱れ、起き抜けに珈琲を淹れはじめるあなたをよそにひとり分の紅茶を用意して、珈琲豆が切れるのもつゆ知らず、食器棚に幾種もの紅茶の缶を並べていました。トーストにバターとたっぷりの蜂蜜を垂らして、紅茶とともにいただいたのも懐かしい。あなたは木いちごのジャムが一等お好きで、春になるとパンに塗ってはほおばっていましたね。エッグスタンドにはうさぎがあしらわれていたのを覚えているでしょうか。今となっては生き別れになってしまったひとりぼっちのうさぎを私はドレッサーの前に置いて眺めていますけれど、あなたはとうに捨てておしまいになったでしょうね。キャンドル立てとなったうさぎはもの寂しそうな顔をして、私の夜をなぐさめてくれます。届かぬ手紙を何通も書いて抽斗からはどんどん溢れ、封筒に咲いた花々に囲まれて私は眠るのです。あなたの唇の色は今頃ネイルとお揃いの真っ青なリップで彩られているでしょうか。私とあの家に暮らしていた頃はプラム色のリップとネイルが美しい黒髪に映えてよくお似合いでしたのに。恋人を変えるたびにメイクも髪の色も変えていたあなたのことですもの。私の愛したあなたはどこにもいない。もう二度と恋などしません。あなたの唇の形を忘れるまで、私は髪を伸ばすことにしました。たとえ腰を越えてくるぶしに届くほど髪が伸びたとしても、自ら鋏を手にして決して切りますまい。



ペーパーウェル02 お題「水たまり・水玉模様」

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