二 「先生」

 朝。六時半。水を飲みに降りてこない檸檬を、検温もかねて迎えに行く。あの子の部屋は二〇七号室。それ以外の部屋は、ひっそりと静まり返っている。かつては受け入れ拒否をするほどに患者の多かったこのサナトリウムも、今では檸檬を残して他はいない。ここは、あの子の城と化しているのだ。

 二〇七号室にたどり着き、ドアをノックする。返事はない。

「檸檬? 開けるよ?」

 少々不作法だが一応断りを入れ引き戸を開ける、軽く設計されたそれはカラカラと音を立てて開く。一歩を踏み入れる。

 檸檬はまだ眠っているらしい。しかしどうやら様子が変だ。近づいて顔を見るとなんだか焦点が合わず、ぼんやりとしている。眼鏡を新調しなければなるまいか。掛け布団を少しめくり、檸檬の左腕をとる。熱っぽい。どうやら熱を出してしまったようだ。昨日の治療薬のせいだろうか。

「檸檬? 檸檬、起きて」

 そういって肩をたたく、その瞬間、驚愕した。

 首が、氷のように冷たい。急いで脈を取ろうとするが、手が震える。

 目の前がぐにゃりと曲がり、見えているものの色がなくなっていく。呼吸が浅くなる。酸欠の症状、パニック、違う、私の病状を分析している場合じゃない。檸檬は、この子は……

「先生?」

「え?」

「先生」

 耳を疑う。よく見えない顔から声がする。いや、モノクロの中で金色に光る瞳だけが、よく見えている。檸檬の瞳。

「檸檬?」

「そう、あたし。先生、どうかしたの?」

 おかしい、おかしい、おかしい!絶対おかしい!

 だってこの子は、


      死んでいるのに。


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