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「あらま」祖母は口に手を当てた。「ユエホワって、あのフリージアの言ってた、性悪鬼魔? あの子が?」
「う、うん、えと」私は祖母を見て頷くやらユエホワの方を見て口をあんぐり開けるやら、忙しかった。「森で出くわして、なんか一緒に来ちゃったの」
「まあ」祖母はおどけたように私から少し身を遠ざけた。「あなたたち、お友達なの?」
「ううん、全然」私は全身で首を振った。
「いてえー……」ユエホワはうめき声を上げ、背中をさすりながらよろよろと立ち上がった。「まじか。キャビッチなんて持ってなかったのに」
「こっちへいらっしゃいな」祖母はユエホワに向かって声をかけた。「ポピーと仲良くして下さっているそうね」
「違うよ、おばあちゃん」私はもう一度全身で首を振った。「全然仲良くなんてないよ」
ユエホワは少しの間ものも言わず木の根元に立っていたが、何を思ったのかテラスの方に歩いて来た。
――ええー!
私はなんだか心臓に汗をかくような思いがした。
――ユエホワが、おばあちゃんに何か物言うの? 何を?
……まあ、でもおばあちゃんに悪さなんか、できるわけないしね。
――大丈夫か。
私はすとん、と木椅子に腰を下ろした。
「こんちは」ユエホワはものすごく軽く頭を下げ、低い声で呟くようにあいさつした。
私は祖母が返事をするのを待った。
けれど祖母は、すぐには何も言わなかった。
ん?
私は不思議に思って祖母の方を見た。
すると。
「まああ」祖母は目を大きく見開き、ちかくに来たユエホワを見て声を震わせたのだ。「なんて、美しい……緑の髪、透き通るような肌、ああ、暁の燃えるような色の瞳!」それからすごく長いため息をついた。
「ええー」私は思わず苦笑した。「美しい? どこが?」
「ポピー」祖母は鋭く私を睨んで叱った。「正しき審美眼というものを養わなければなりませんよ」
「ええー」私は肩をすくめて俯いた。
これ、私が怒られるとこ?
「ええ、初めまして、マダム」ユエホワの声が突然、つやのある、紳士的なものに変った。
私は思わず眉をしかめてムートゥー類を見た。
案の定ユエホワは、にっこりと微笑みを浮かべて腰を折り、狡猾な色気みたいなものをそこら中に漂わせながら祖母を見ていたのだ。「私の名は、ユエホワです。どうぞお見知りおきを。美しい方」
「また」私は思わず顔をそむけた。「ばっかみたい」
「ポピー」祖母がまた私を厳しく呼び、私はまた俯いた。
ええー!
「さあユエホワ、どうぞお座りなさいな」祖母は鬼魔に椅子をすすめ、指を鳴らした。
すると冷たいお茶の入ったティーポットが空を飛んでやって来て、テーブルの上にことことと降り立った。
「さっきはごめんなさいね、まさかポピーのお友達だとも思わずにキャビッチをぶつけてしまって」祖母はお茶をグラスに注ぎながら、性悪鬼魔に謝った。
「いえいえ」ユエホワはにっこりと微笑んだ。「けれど不思議なことです、マダム。あなたの手にキャビッチは持たれていなかったはずですが、あなたが手を軽く動かしただけで突然私の背中に大きな衝撃が走りました」
「ええ、あれはシルキワスという魔法なの」祖母は眉を八の字にして苦笑した。「キャビッチは、直接手には持っていなかったけれど、あちらの」と言って、キャビッチ畑の方を指差す。「畑になっているものを飛ばしたのよ。ごめんなさいね、手加減はしたのだけれど」
「おお」ユエホワは溜息まじりに畑の方に目を向けた。「あんなに離れているキャビッチを、あのように正確に操れるのですね。さすがです、マダム・ガーベラ」
「まあ、私の名を知ってくれているのね」祖母は頬を赤らめた。
「もちろんですとも」ユエホワはまたにっこりと微笑む。「偉大なるあなた様のお名前を知らぬ者はいません」
「うふふ、くすぐったいわね」祖母は肩を少しだけすくめて笑った。
って。
なんなんだ、このやりとりはー!?
私はずっと黙って聞いているだけだったんだけど、もう、なんというかもう、ただただ呆れるばかりで、ものも言えない状態だった。
そう。
何回、いや、何万回、ユエホワに向かって「いや、ばかですか?」と返してやりたくなったことか!
でも我慢した。
どうせまた祖母にたしなめられるもん。
にしても。
ほんと、性悪鬼魔の名は伊達じゃないってやつだ。
けど、どうしよう。
多分母はこのユエホワのことを、悪口でしか祖母に話してなかったんだろう。
けれど祖母は、人でも鬼魔でも、自分の目で実際に確かめるまでは、良くも悪くも言わない人なんだ。
その祖母が今、自分の目で実際にユエホワを見て、そして。
――気に、入っちゃった。
ええ――!!
「ところでユエホワ、あなた以前にも、ここに来たことがあって?」祖母は緑髪鬼魔に、そんな質問をした。
「え?」ユエホワは赤い目を丸くし、「いえ、マダム。私は今日初めてここに参りました」と首を振って答えた。
「そう? 一度も、来たことはなくって?」祖母は、さらにそう訊く。
「ええ、一度も」ユエホワも、もう一度首を振る。
「そう……」祖母は何かを考えるように、畑の方を見た。
「何か、ご心配なことでもおありですか?」ユエホワは逆に訊ねた。
私も気になって、祖母の横顔をじっと見つめた。
「ううん、大丈夫よ」祖母はユエホワに向かってにっこりと笑いかけ、そして私の方を見て「ポピー、ここに来る途中で出会ったのは、ユエホワだけ?」と訊いた。
「えっ」私は目を丸くして、家を出てここに来るまでの記憶を辿りはじめた。
「他に、鬼魔には出会わなかった?」祖母がまた訊く。
「鬼魔……あ」私はやっと思い出した。
「ユエホワって、誰?」
あの、小さな声。
姿は見えなかったけれど。
「あの声、かな」小さく呟く。
「さっき言ってた奴か」ユエホワも思い出したようだった。「お前が取りあえずキャビッチぶつけようとしてたやつ」
「そう」祖母が頷き、ユエホワははっとして自分の口を押えた。
私は思わずにやりと笑った。
ほらね。
どんなに紳士を装ったって、どうせすぐばれるんだよ、本性ってのは。
私のことをいつも「お前」とか「ばーか」とか「うるせえ」とか言う、下品で乱暴で性悪な鬼魔の正体はね。
「取りあえずキャビッチをぶつけてみようとは、さすがだわ。ポピー、あなたは間違いなく私やフリージアの血を引く天性のキャビッチスロワーです」祖母は大真面目な顔で私を褒めた。
「あ」私は肩をすくめた。「ありがとう」
ユエホワはばつが悪そうに、赤い目をきょろきょろさせて俯いている。
「ユエホワ」祖母はそんな性悪鬼魔に声をかけた。
「は」ユエホワはぴしっと背筋を伸ばした。「はいっ」
「お茶はお好みではないのかしら?」祖母は少しだけ首を傾げて、とても優しく微笑みながら訊く。
「あ」ユエホワは目の前のグラスに目を移し、「い、いえ、そんなことは」と言ってそれを手にとりぐびぐびと飲み始めた。
「まあ」祖母は溜息をつく。「爪の色も、なんて美しい金色なのかしら……ムートゥー類の中でもここまでバランスの整った容姿を持つ鬼魔は、そうはいないわ」
「――」ユエホワはぴたり、と飲むのを止め、グラスをテーブルに置き、「――あ」と何かを言おうとした。
けれど、言葉がうまく出て来ないみたいだった。
それはそうだろう。
目の前で孫の私のことを「お前」呼ばわりしておいて、その後しれっと「これはこれは、マダム」とかってさっきのくさい芝居を続けられるほど、この鬼魔の神経は図太くないはずだ。
そういうとこ意外と、気弱なんだよね。
「うふふ」祖母は面白がっているようだった。「いいのよ、気にしないで。だってあなたとポピーは気心知れたお友達同士なんだもの、フランクな会話をして当然だわ」
「え」ユエホワはまた目を丸くし、
「いや、ちがうよおばあちゃん」私はもう一度全身で首を振った。
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