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   四

 星祭りの前日、神楽の練習を少し早めに終えたぼくらは、額ににじむ汗をセーラー服の袖で拭きながら帰路についていた。明らかに不真面目な神楽を踊る月彦に対してあの司祭が珍しく激怒して追い出されたというのに、本人はまったく気にしている様子もない。

「今日も儀式かい?」

「そうだよ、もうそろそろその時期だから」

「ふうん」

 月彦は瓶が入っているあのトランクを大事に両手に抱えて、時折いとおしそうにその表面をなでる。月彦は儀式を行う日は必ず夕日が沈む前に瓶入りのトランクを持ってどこかに行ってしまう。神楽の練習が終わるのはいつも日が沈んでからなので、今日のあの輪をかけた司祭への八つ当たりは儀式のためだったのかもしれない。ぼくがそう思いながらトランクと月彦に交互に視線を送ると、月彦は困ったような笑顔でぼくの名前を呼んだ。

「ごめんね、今度はちゃんと教えるから」

 毎回決まったように、泣きそうな顔でそう言う月彦に、ぼくはいつも負けてしまう。

「あまり遅くなったらお母様にまたぶたれてしまう。またね、碧星」

「うん、また明日」

 以前は月が出ても遊んでいたのに、右目が宇宙になったあの日から、彼はぼくと夜空の下を歩く事を強く拒むようになってしまった。ぼくは夕日に溶けていく様な彼の後ろ姿を見ていると、彼がまるで遠くの手の届かない世界の住人になってしまいそうな感覚がして胸の奥がきゅうっと痛む。そして、彼が大切そうに持つ金平糖に似た小さな星たちがひどく羨ましくなってしまうのだ。

 ぼくは、親友である彼の事が今はよくわからない。彼が夜、何をしているのか。儀式とはどのようなものなのか。儀式のせいで、彼はあんなにも雰囲気が変わってしまったのか。何一つ分からないのだ。一度考えだすと、疑問は息を吹き込まれ続ける風船のように大きくなってぼくの心をかき乱す。

 知りたい。彼がこの後何をするのか、ぼくに隠れてなにかをしているのか。月彦のすべてを理解したい。親友のぼくは、世界で一番の理解者でなくてはいけないのだ。

 そう思った途端に、サテン地のブローチの下にあるぼくの心臓が、悲鳴をあげるように大きくドクン、と音を立てた。

「そうだ、ついていってみよう」

 ああ、親友の跡をこっそり追って秘密を暴くなんて、なんて罪深く愚かなことなんだろう。

 神に対する背徳感を覚えながらも、ぼくの足は月彦の跡を追っていく。ウサギのように飛び跳ねながら走る月彦を追うのは簡単で、時折月のような金色の髪の毛をふわふわとのぞかせる彼を見失うことはない。ススキノ原に茂っている芒はぼくを隠してくれ、風になびく音で足音さえも消してくれた。

 しばらくすると、ぼくらははススキノ原を抜けて、鏡池にたどり着いた。鏡池の水面では月が煌々と光り、彼の周りには蛍の様なものがたくさん飛んでいる。ぼくは池のほとりに座った月彦の斜め前で芒の間から彼の様子を見守った。池の水面から反射する月の光が月彦の雪のように白く絹のように滑らかな太ももを淡く照らす。その様子は聖書に描かれている洗礼の場面の聖女のような清らかで神聖な美しさがある。

 何をするでもなく座ったままの月彦にしびれを切らせて声をかけようとすると、月彦は眉間にしわを寄せ、引きちぎるように白い眼帯を顔から引きはがした。うつむいたままゆっくりと開かれた月彦の右目から光が漏れ、その神々しさに思わずぼくは息をのんだ。

 月彦は宝石のかけらをちりばめたようにきらきらと輝く髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱したあとに重いため息をつき、あの星とソオダ水が入った小さな瓶をポケットから取り出した。小さな金平糖に似た檸檬色の星は、相変わらずソオダ水の中でフワフワと浮いている。彼はそれをじっと見つめ、愛を囁いた。

「さあ、もう一度生んであげよう。つぎはもっと長く、輝けるように」

 彼はソオダ水を星ごと一気に飲み込んでしまうと、苦い薬を飲んだかのように顔をしかめ、胸を押さえた。強く閉じられているはずの右目から、オーロラのような色とりどりに姿かたちを変える光が漏れている。

しばらくすると、ほわ、というサクスフォンのような柔らかい音がして、月彦は顔を上に向けて小さく口を開いた。

「ああ」

 小さな感嘆の声と共に、その口から雪のようにかすかに光る小さな粒が次から次と生まれる。彼の周りをふわふわと漂っているそれらは、蛍のようなものに混じって空へゆっくりと昇っていく。

 月彦は昇っていく小さな光を最後の一粒が見えなくなるまで空を見上げて、こちらに目を向けた。月彦のほうから冷たい風が吹き、右耳のピアスの穴がじくりと痛む。

「碧星、隠れなくともいいのに。ほら、一緒にパンでも食べよう。君の好きなアップルティもあるよ」

 ぼくに半切れの胡桃パンを投げ渡すと、月彦は魔法瓶に入れた湯気の立つアップルティをすすり、ぼくのほうに差し出してきた。ぼくは、親友の秘密をこっそり見てしまった罪悪感に苛まれ、そのパンとアップルティをしばらく見つめる事しかできなかった。

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