第7話 暗黒要塞


 {アイオーナ&ショボ・パート}

 アイオーナたちは北に向けて旅を続けていた。頂上の城から出発して、何度かダミー……プレイヤーの行動記録をコンピューター側の人工知能が“学習”し、ダミーの人格プログラムを形作り、プレイヤーがログアウトした後の“プレイヤーとプレイヤーのコピー人格=ダミー人格”と入れ替わらせる方法……に切り替えてのログアウトがあるものの、五日間に及ぶ無限に連なる仮想世界を渡る旅を続けていたのだ。

 俗に肋骨山脈と呼ばれる大ブラウニー山脈の東一帯をバサトリアという。六つの王国が分割して支配していて、最大の国をヴァラザードといい、最小の国をエブレセスといった。 絶対王モナキーンが支配するフォルトレーもこの大陸の中央に位置していた。

 アイオーナたちはメリーハート草原、ガップ砂漠を横断し、エコール谷へと入った。

「いよいよ暗黒要塞だな」

馬が二頭並んで進むのがやっとの狭い谷の通路を進むと目指すべき塔と城砦が見えてきた。全てが真っ黒に塗られた光を吸収する要塞である。塔の高さは二百メートルもあろうか。

「不気味だ……。イヤな予感がする」

アイオーナの感情を察したのか、彼の乗るワイシャウトも身震いをした。ショボも戦いを予感する。

「まあ、ありがちなシュチュエーションだし、どんな展開になるかはおおよそわかるがな」

「どんなって?」

「妖神とやらが封印されているんだろ。俺たちが確認したとたんに復活するかも」

「まさか」

「だから俺たちが再び封印し直すか、消滅させる。ゲームにありがちな展開だ」

アイオーナは腰のポーチから指令書を出して任務内容を確認した。

「えーと。“万が一、封印が解けていた場合はそこから退避せよ。それからホマツ国のバエンに行き、妖神の再封印か消去の方法を模索しそれを実行せよ”」

「その“万が一”はこれから起こることだし、この予定調和のシナリオを完結させるために俺たちはバエンに行く。なぜなら、ここはゲームの中だから」

そう言いつつショボはアイオーナのポーチから絵地図を取り上げ広げた。

「絶対王がバエンまでの地図を渡した理由もそれで辻褄が合う」

「その地図は詳しいかもしれないけど、裏面のベラデュウ語の謎が解けない限り妖神退治はできないんじゃないのか?」

「『力の解放の扉の先に、破壊の使い手の尻尾あり』か……、俺にはおおよその検討がついている」

「えっ?」

「だが、今は確証がない。その謎に躓いた時に明かそう。その方がじらしているようでイイ」

「酷いなぁ」

「まずは目の前の“万が一”だ。行こう」

ショボは乗馬を前進させた。アイオーナも後に続く。

「ちょっと待ってよ!」

アイオーナの乗馬ワイシャウトがショボを追い越して要塞に近付くと、しわがれた老人の声が半エルフの耳に飛び込んできた。

「お待ちしておりました。絶対王の使いの方々。あなたがアイオーナさんで、向こうがお供の騎士ですな」

要塞の入り口から一○メートルある黒い階段に声の主がいた。しわのある黒ずんだ顔に白髪はぼうぼうに生え、身体を白い布で覆っている。

「なぜ、我々のことを?」

「これよ。妖術通信」

老人の左手の甲に“の”の字で赤い刺青が彫られていた。

「妖術……通信?」

「ああ、もうバージョンアップされていたのか」

「?」

後ろからショボが追いついてきたが、アイオーナにはすぐに理解できない。

「これだよ」

彼の疑問に答える形でショボは“コレ”だと言わんばかりに携帯電話を耳元に当てる仕種をした。それを見てアイオーナも現実世界で会社から送られたメールの内容を思い出した。

「ファンタジーゲームなのに携帯を実装させたのか?」

「シッ! 声が高い」

会社から送られる“銀の鷹”を恐れたのか、ショボは人差し指を口にあてたが、近付いてきた老人は笑う。

「ふぉふぉふぉ、若いキャラはいいのう。モノを知らずとも軽蔑されずにすむ」

「なに!?」

「やめろアイオーナ」

思わず馬上から手が伸びそうな半エルフに対し聖騎士は諌めようとする。老人は白い眉をあげて非礼を詫びた。

「言い過ぎたか。すまんな。ワシの名はヤキン。この要塞の管理人の一人じゃ」

「管理人? “チュチェドの妖神”の封印を管理しているということですか?」

アイオーナの問いにヤキンは頷く。

「じきに管理人では無くなるがね」

「やはり“予定調和”か?」

ショボの問いにヤキンは深々と頷く。

「そうかもしれんの。じゃが、イレギュラーなあ奴を滅ぼすことなぞ不可能じゃ。当初、ワシは会社の組み込んだこのイベントには反対じゃった」

「ええっ!」

アイオーナは驚くが、ショボはいつになく真剣な顔になった。

「あくまでも俺の想像だが、ゲームのバージョンアップと同時に妖神を削除するアンチウィルスソフトの目処が立ったのかもしれないな」

ヤキンの視線は馬上のショボを見上げ、そのまま上空の一点に釘付けになる。

「むっ、永パ防止キャラじゃ」

「エンパ? 何それ」

アイオーナとショボも上を見上げ、事態を理解した。銀色に光る鳥のような物体が翼を広げて要塞の上空を旋回している。いつのまに。

「銀の鷹だ。あれが“エンパ”というのか」

アイオーナの安直な結論にヤキンは遂に怒る。

「違うわい! “永久パターン防止キャラクター”の略称じゃ。そもそも……」

「ヤバイ展開という事だ! ご老人の御託はいいから、詳しいことは中で聞こう。アイオーナ」

ショボは馬から降りて、馬上でぐずるアイオーナの手を引いた。

「ち、ちょっと、トラップ認識呪文ぐらいかけさせてよ」

「そんな暇はない!」

「こちらですじゃ」

ヤキンは木の杖を拾い上げて、老人とは思えぬほどのスピードで扉に近付いたかと思うと黒い鉄製の扉の取っ手を引き、二人に手招きした。上空の銀の鷹が降下してくる。危険な気配。二人は馬にくくりつけた荷物もそのままに要塞内に駆け込んだ。

重い扉が閉じる音は吹き抜けの広間に木霊する。

「ショボ、ワイシャウトとシオドーンは外に残して大丈夫なのか?」

「心配ない。あの鷹が警告、又は攻撃する相手は“中の人”がいるキャラだけに限られている」

「つまり、ゲームシステム側が操作しているNPC(ノンプレイヤーキャラクター)には無害ってこと?」

「そうだ。システム側のキャラは敵と味方に設定されたキャラ、召喚キャラを除き、お互い攻撃してはならないルールだからな」

「おふた方、立ち話もなんでしょう。茶屋に案内します……じゃ」

「そこは当然“簡易談話室”設定になっているな?」

「おお、もちろんじゃ」

ショボの問いにヤキンは笑顔をつくり、手招きする。

このゲーム内では雰囲気を壊すため、現実世界の会話はなるべくしないのが決まりだが、他のプレイヤーに迷惑をかけない限り、酒場や茶屋、妖方陣を引いた上での簡易談話設定、キャンプ設定時でのそれらの会話は許されている。

八畳あるかないかの茶屋に入り、システムの監視から外れたヤキンは老人の演技を中断して素に戻ったのか、奥の壁際にある机の引き出しから荒々しく書類を部屋の床にぶちまけ、必要な紙を二枚つまみ上げアイオーナに渡す。

「これが会社から渡された“台本”だ」

「ええっ。ホントにこれだけ? アドリブばかりじゃないか」

「そ、それだけ。この世界での僕にとってのラストステージがそれだけ。酷いだろ? 戦闘が始まって数分後にあんたのかわりに敵にバッサリやられちゃうんだよ」

そう言いながら彼は白い布の中から葉巻を一本取り出した。

「あー、ヤキンさん。その老人の外装と声で素に戻られても……」

戸惑うアイオーナにかまわず、ヤキンは近くにある円形テーブルの椅子を引いてどかりと座り、テーブル上にある陶器の灰皿とマッチを取り葉巻を吸おうとする。

「あん。このカッコで素に戻るのがキモイってか?」

「やめろ、アイオーナ」

ショボはアイオーナの肩を掴み、何か言いたげな彼を制した。それから背中に背負った武器を降ろし、テーブルをはさんでヤキンの反対側に座る。

「すまんな。俺の相方はまだキャラの切り替えに慣れていないんだ。それよりこれからどうやって妖神の封印が解けるのか。それとどうやって妖神をこの世から消すことができるのかを……」

「ああ、そんなこと聞かれても知らないな。だって僕は一時間以内にこの世界から消えて退会して、もう二度とこのゲームをしないんだぜ」

「ではなぜここに?」

「会社から『どうせ退会するなら、最後のバイトをしませんか?』って誘われただけだ。ハイと答えたら今までNPCだったこのキャラの中にいた」

「……」

「会社は何もヒントをくれないってことなの?」

「ちょっと待て」

横から口を挟んできたアイオーナに対し、ショボは永遠に生えかけのヒゲにさわり、考え込む。

「いや、ヤキン。確かアンタはここの暗黒要塞の管理人の一人と言っていたな。他の管理人は?」

「居るけど、ここから先は有料だぜ」

「やれやれ……」

ショボは懐から巾着袋を取り出し、そこから金貨を一枚摘んでテーブルの中央に置いた。。そして再び懐に手を入れる。

「へへ、毎度あり」

ヤキンは金貨へ手を伸ばしたその直後、テーブルの上に衝撃音。気がつくとヤキンの指先から数ミリ離れたところに手投げナイフが突き刺さっていた。彼は戦慄する。

「あとはこの要塞内の地図と会社から提示されたヒント、それとアンタが死んだ後に他のキャラが回想するシーンのアフレコ内容……」

「おい、ショボ。やりすぎだ」

今度はアイオーナが制しようとするが、ショボは片手を挙げる。

「俺たちは限られた手付金内で任務を達成しなければならない。この手のユーザーは情報料のおかわりを求めてくるんでね。それで先に実力を見せたまでだ。そうだろ? ハイエナのヤキン」

ナイフを迂回してコインを取ったヤキンは震えながら顔を上げた。

「ショボ、ショボだって……ああ、聖騎士ショボか……携帯で聞いていないよ……。思い出した。二百体以上の“白い悪魔”を倒した“英雄”さんだろ。実績があるから今回のクエストに指名されたんだろ?」

「そうかもしれないな。それより」

ショボが前に乗り出すとヤキンは目の前で両手を広げ、次に先程書類をぶちまけたタンスを指差す。

「わかった、わかった。要塞の地図はあそこの一番下の引き出しだ。ヒントは本来、僕が“死ぬ”間際に言うつもりだったんだがな」

アイオーナが地図を拾い上げ、ショボはさらにヤキンに詰め寄った。

「タイミングを逃して聞けないことが時々あるもんでね」

「さっき、台本渡したろ。一枚目の下あたりに僕のセリフが書いてある」

「これか」

アイオーナはプリント上のテキストを追う。

「ええと……。要約すると『二階の裏門から出て、半日走り続けて谷を抜けろ。二股に分かれた道は右がホマツ国とを繋ぐローンブリッジで左が大ガンシェス・クーク火山の谷だ。火山の下からは妖怪がわんさと出てくるから気をつけるんじゃっ!』」

「ぷっ、ヒャッハハハ」

ハスキーな声で自分のセリフが読まれ、笑うヤキンに対して目が血走るショボ。

「真面目にやれ」

「ごめん『汝、炎を抜け霞に入れ。さすれば無邪気なる者の知恵に助けられるであろう』ここまで」

「それだけか?」

「うん」

アイオーナは自分の読み上げた箇所をショボに見せた。ショボはテキストを目で追いながら相方に問いかける。

「アイオーナ、基本的な質問と応用問題を一つずつ出すぞ」

「何?」

「致命的な傷を受けたプレイヤーは何秒後にログアウトする?」

「八秒」

「じゃ、応用だ。このテキストをヤキンが“表”に出て読み上げるとすると、八秒以内に終わるか?」

「……、終わらないね」

「先に聞いておいて正解だった」

「すっげえ……」

ヤキンが一人だけ拍手する。乾いた室内にパチパチと鳴り、すぐに終わる。

「じきにこの世界から消える僕だけど、感動したね。ゲームの開発者って、こうやって不具合を見つけるんだ」

「感動しなくていい!」

アイオーナは外見と声だけ老人の男にツッコミを入れるが、ショボはプリントをテーブルに叩きつける。

「次だ。回想シーンのアフレコ」

「はいはい、プレーヤーを持ってきますよ」

ヤキンはカウンターの上に無造作に置かれている大学ノート大の薄型映像プレーヤーを取り、懐からデータが入ったチップを取り出してプレーヤーに挿入、テーブルの上で開き再生スイッチを入れる。

「九分あるかないかだけど」

「もう映像が出来ているの?」

ディスプレイの中でムービーが始まる。白い石造りの部屋の中央で水晶球が宙に浮き、赤いオーラを発している。カメラは部屋を見下ろす位置で固定されているらしい。部屋の壁の一部が扉のように黒く染まったのち、そこからヤキンが部屋に入ってくる。続いてヤキンと同じ白い布でくるまれた赤い髪の老人と老婆がスリッパの音を響かせて二人、さらにその数秒後にスキンヘッドの老人が入ってくる。

「どうやら、こいつらが暗黒要塞の管理者たちらしいな」

「何かしゃべっているよ。ボリューム上げて」

「そらよ」

アイオーナの要求にヤキンは投げやり気味に応えた。

ディスプレイの中で赤い髪の老人が呟く。

『それでも、霞の谷への人身御供は必要じゃ』

『だが、アンリは自害してしもうた。あの空間は何にもかも与えるが、逆に入った者の精神を汚染させる。くわばらくわばら~』

と老婆。

『霞に対抗する策はないのか?』

とヤキン。

『子供ならばどうだ? 予言の通りにすべきだ』

スキンヘッドが皆の同意を求める。

『 “無邪気なる者を霞に与えよ”と』

『予言はそう伝えているが、“ピー”がうるさかろう』

『そうだ、もしも子供が精神を汚染され、それがモニターされでもしてみろ、それこそ“ピー”が介入してくるぞ』

ヤキンはそう言いながら残りの三人を見回す。

映像を見ながらアイオーナが首をひねる。

「なんか会社側が編集しているみたいだけど“ピー”って何?」

「しっ、黙って見てろ。後で言う」

『ゴトン』

『誰じゃっ!』

脱兎のごとくスキンヘッドが黒い扉から部屋の外に出て行く。騒然となる部屋。

『衛兵を呼べ!』

『捕まえたぞ、小童(こわっぱ)!』

『離せ! 貴方たちがアンリ叔母さんを!』

『なんじゃ、お前はアンリのところの……』

縄でくるまれ、ぼろを纏った少年が部屋に入ってくる。顔はカメラの位置が悪いのか確認できない。後ろから少年を小突くスキンヘッド。赤い髪の老人が少年に詰め寄る。

『貴様、“禁じられた言葉”を聞いたな?』

『それがどうした。それよりアンリ叔母さんを返せ!』

『死んだ者は生き返らんよ』

『ほほほ、人身御供に丁度いいかもしれん』

『ワ、ワシは反対じゃ』

とヤキン。

『何をいうか、世界の危機だぞ』

『多数決で決めるんじゃ』

『貴方たちは何を言っている?』

管理人たちを見回そうとする黒髪の少年に対し、スキンヘッドが応える。

『おまえの育ての親を死に追いやった“霞の谷”におまえを入れる算段よ。小童、仇の正体を知りたくはないか?』

『う……』

『仇だと? 何を言っておる。あれは入った者の心の移し身じゃ……』

ヤキンの話に再び赤髪が割って入る。

『はよう、多数決で決めるんじゃ』

『ではいくぞ、“霞の谷にこの小童を入れるのに賛成な者”は手を上げろ』

次の瞬間、ヤキン以外の管理者が挙手をした。画面が暗転する。


「これで終わりか?」

「いや、五秒だけのものがある。何度も撮り直させられた」

再び画面が白くなり、霧の中でヤキンの笑顔が大写しになる。

『往(い)っ……て……ヨ……シ……』

再び画面が暗転する。

「なんのこっちゃ?」

アイオーナが大口を開け、ショボはヤキンの襟首を掴む。

「もっと他にマシなヒントはないのか!」

「ホントにそれだけだよ!」

その直後、耳を劈くほどの衝撃音。

建物が上下左右に揺れる。三人は思わず床に伏せた。ショボは床に置いた大石弓を掴む。

「敵が来おった!」

「反乱軍か?」

「どうやら反乱軍に雇われた傭兵部隊らしいね」

アイオーナは手に掴んでいたプリント上のテキストを追いながら答える。ヤキンは転がるように赤い扉を開けて通路に出る。ショボも続いて走りかけたところ、何かに気がついたかのように振り向く。

「もたもたするな! そのプリントはここに置いて行け」

「ああ、そうだった。チェックの多いシステムだこと」

ショボとアイオーナが通路に出ると、ヤキンが急かすように手を動かす。

「妖神の胸部に先回りするのじゃ。隠しエレベータはこちらですじゃ」

通路の奥、行き止まりでヤキンが右の壁に取り付けてある蝋燭立てを掴んで回す。奥の壁が左右に開き、古めかしい鉄の蛇腹の扉が見えた。そのまま彼は扉の左にある取っ手を開けて、埃だらけのエレベータ内に入り、アイオーナとショボが続いた。ショボは蛇腹の扉を閉めて、壁にある一番上のボタンを押す。

エレベータは上昇を開始した。

「敵はどこから入ってきた?」

「だから今、仲間と繋いでいる」

ヤキンは耳を左手で塞ぎながらがなり立てる。

「スモッグがやられた。次はタイレンじゃ。内線六○、応答せい! ……なんじゃと! 五階から侵入されたじゃと」


「ショボ、式神は?」

狭い空間の中でショボは腰のポシェットから札を三枚取り出す。

「準備できてるが、エレベータから出たら直ぐに呪文を唱える。詠唱完了までの援護を頼む」

「わかった。ところで」

「なんだ」

「さっきのムービーにあった“ピー”の意味を教えてよ」

「ああ、あれか。だが、システム側に聞こえると面倒だ。耳を貸せ」

ショボは小声で正解を言う。アイオーナは携帯での会話を終えて脱力したヤキンの方に向き直る。

「じゃあ、そんな理由であの少年が死人の出た谷に閉じ込められるの?」

「あれは単なる“辻褄(つじつま)あわせ”じゃ。子供なら誰でもよかった」

「酷い……」

「そうでもないぞ、俺たちが霞の谷に行ってその少年と力を合わせて妖神を倒すという展開かもしれない」

ヤキンが二人の会話に入る。

「じゃが、霞の谷は精神を汚染させる。普段シッカリ者なら特にな。例えばショボ、あんたさんが入って、出てきた途端に“おっぱい、おっぱい”と連呼するかもしれん。ししし……」

「そんな……、では私も」

「なら、こうしよう。どこかの神話の故事にならって、金の糸でお互いを繋いで……」

ショボがそう言いかけたところでエレベータが止まり、扉が開く。

「遅かったか!」


エレベータの出口から吹き抜けの鉄の通路が伸び、赤茶けた鉄の床の広場に繋がっている。すぐ下から怒号が飛び交い、不気味な風と共に血の匂いが充満している。

「あれが妖(よう)神(しん)……なの?」

広場の奥には赤茶けた壁に黒い物体が飾られている。

「そうじゃ、あれが“チュチェドの妖神”その胸から頭の部分じゃ」

アイオーナは九○メートル先の妖神の頭の部分を見上げ、凝視する。

黒い頭にはオレンジ色の卵形が目の部分にそれぞれ一つずつはまり、鼻の穴はぽっかりと丸く一つ空けられ、唇がなく、白い歯がむき出しのまま生え揃っている。

「なんか子供が特撮ヒーローの顔を描き写そうとして間違えたって感じ……」

「貴様、そんなに殺されたいか!」

バスのかかった人工音声が広場に木霊(こだま)する。

「うわっ、しゃべった!」

(当たり前だ。じきに復活するからな)

ショボが小声で注釈を入れる。

「とにかく、行こう」

どどどっ。

アイオーナが駆け出し始めた直後、広場の中央にある階段から怒号と共に武装集団が昇ってきた。あっという間に広場に三○人の反乱軍の鎧とそれぞれの武器で武装した傭兵部隊がアイオーナ達を見つけ、狙いを定める。

「遅かった。とにかく俺は詠唱を開始する」

「わかった」

アイオーナは腰のレイピアを抜き、構える。その横でヤキンが木の杖を棒術のごとく縦に構えた。

「ワシも式神を見たい。いや、見てから死にたい」

「ご老体のカンフル剤になるとは術者冥利に尽きるねェ」

ショボは左腕に石弓を抱えたまま短い方の剣を抜いて、錆付いた鉄の通路に黒文字を彫りこんでいく。

アイオーナは右手のレイピアを握ったまま呪文を詠唱し左手に劫火の神を呼び出し、傭兵部隊をキッと見据えた。

「おまえたちか? 妖神を復活させるバカたちは」

敵の集団の中から集団の隊長とおぼしき紫色の兜の大男が前に出てきた、大きなナタを両腕に持っている。そして両腕を広げ自分を誇示する。

「それがどうした。我らは我らの戦力として妖神を使いこなす自信がある」

「どうやって? 一歩間違えば世界の破滅だ」

「そうじゃない。教えてやろう。こいつは世界中を暴れ回ることができない。なぜなら……」

「妖神はワルディクス・フォーセイスの地下のどこかにある妖力の“根源”と結びついているのだわ。そのためにここから二百キロ以上離れる事ができないのよ。そして妖神のお兄ちゃんを操ることができるのはこのボクしかいないのよ」

突然の少女の声。アイオーナは咄嗟に聞く。

「誰だ?」

ぺたぺたと響くスリッパの音は傭兵集団の足元にいた……彼女は、どいてどいてと繰り返して前へ前へと進んでくる。薄そうな胸には白地に墨で書かれた“すくみず”の文字がある。その姿を凝視したアイオーナはその場でへたりそうになる。

「ウソだろ……。ファンタジーの世界観はどうなった……」

「美少女妖術師スクミズちゃん。今日も地獄の真っ只中でクロールするよ!」

紺色のスクール水着に白いスイム帽を被っただけの少女の自己紹介を見てアイオーナは呆気に取られる。いや、少女というより幼女に近い?

そこに式神を呼び出す召喚陣を描き終えたショボの詠唱が浪々と広場に木霊する。

「キモオタフェス、モテォゥオケヌ、ハイランティチケ」

「ショボ!」

詠唱を終え、大石弓を持った彼はアイオーナの肩越しにスクミズ……と自己紹介した幼女を見た。

 「ヤツの中身は……、おおかたスクール水着に性欲をもてあますオッサン……というところだな」

「それって、変態って言うでしょ」

二人の掛け合いにスクミズは身体を左右に揺らして否定する。

「ひっどい! 中の人なんていないよ。これがボクの本当の姿なんだ」

「ああ、そうかもしれないな。昔、心理学の本で読んだことがある。『人間の心の普遍的無意識層には理想の異性が存在する』とかな」

「どんな理想の異性だよ」

悲しき半エルフの習性か、どんな状況下でもツッコまずにはいられない。

「だが、お前は“招かざる客”だ。違法なチートを使わない限りその格好でここに入ることはできないハズだ。速やかにこの世界からお引取り願おう」

ショボは弓を構える。だがスクミズの前に傭兵隊長が立ち、ナタを構える。

「スクミズちゃんはこのまま妖神を解放しちゃって下さい。我々がここを死守します」

「ウィ」

幼女は再び集団の中に消えた。それから隊長はあらんかぎりの声で吠える。

「オイ! みんなでスクミズちゃんの盾になるぞ!」

 「ホワー、ホワー、ホアアアアッ!」

隊長の掛け声に同意の大声を張り上げる傭兵たちの前にヤキンが躍り出る。

「こっ、このロリコンども……」

叫びかけた彼の胸に敵の弓兵からの矢が命中した。それを合図にしたかのように戦闘が始まる。

ショボの発射した第一の矢は隊長のナタで落とされるが、第二の矢は隊長の右腕に命中する。アイオーナは炎の妖術を発射する。

「ファイヤー・ショット!」

さらに彼はレイピアで切り込んだ。そこに集団後方から矢が飛んでくる。死を覚悟した彼の眼前に白刃が煌めき矢は落とされる。白刃の持ち主は黒ずくめの忍者だった。

「アヒャ、義により参戦いたす」

 ばんという音と共に赤い毛に覆われた動物が地面から現れ、敵兵たちをまとめてなぎ倒した。動物は二本足で立ち、手の爪で敵の鎧をズタズタにする。

「あれはククマー」

思い出した。ショボが使役する熊の式神だ。


空中から何かのジェット機の排気音がする。矢が突き刺さったまま仰向けに倒れ、死にかけたヤキンは全長が二メートルもある蜂の化け物を肉眼で確認した。

「あれが……式神フーン……初めて見た……もうこれで思い残すことは……」

ヤキンは事切れ、肉体は消滅しログアウトした。

この戦闘の光景を間近で見ることになった妖神は独り言を呟く。

(式神……あの“力”があれば……力の根源に縛られることは無い……神々への復讐……成功率……いける)


式神が三体も召喚されたにもかかわらず、アイオーナたちはなかなか前へ進めなかった。

どうやら階下にも敵部隊が展開していたらしく、要塞管理者側の人々を惨殺した後に階段を昇ってくるのか、新しくアイオーナの目の前に立つ敵の鎧には返り血でペインティングされていた。

「くそっ、ショボ、式神をもっと召喚できないの」

 「この間も言ったハズだ。一度の戦闘には三体しか呼べない。四体目を呼ぼうとしてもエラーになるだけだ」

そこに再び妖神の声。

「ショボよ! 俺と組まないか」

「お断りだ」

「ショボよ! 貴様との運命を感じた。貴様なら俺を動かす根源に成り得るのだ」

「なら俺はその運命をブチ壊す!」

そう言って傭兵の額を撃つ。それでも妖神は食い下がる。

「俺ならばその式神を無限大に増殖することができるぞ。貴様の願いはなんだ?」

「お前の消滅だ」

「くそっ、所詮は貴様も神々の使いでしかないのか」

細くなる妖神の声。それにかぶさるようにボソリとツッコミが入る。

「なにその、失敗したハッテン場のナンパ」

発作的にショボの次のターゲットはアイオーナに定まろうとしていた。そこへ式神アヒャが割り込む。

「おやめ下さい主殿。今は仲たがいしている場合ではございませぬ。(飛んでくる矢を弾きながら)アイオーナ殿も謝りなされ。今のはジョークでもきつ過ぎでゴザル」

「ごめん、(傭兵の胸を突き刺し)私が悪かった」

「わかればいいんだ。アッ!」

ショボの視線の先には妖神の頭の右隣にある足場の機械で何かの作業をしているスクミズがいた。

「スクミズがあんなところに……」

次に彼女は妖神の耳に向けて何かをしゃべっているようであった。

「アイオーナ、スクミズが何を言っているかわかるか?」

彼は半エルフ特有の長い耳の感覚をあの幼女に向けた。

「えーと……、“ボクの妖術毒電波で、妖神お兄ちゃんもボクの言うがままになるのだわ……ボクの、の・う・さ・つ・ボ・デ・ィ”」

「クソッ!」

ショボは詠唱中のスクミズに向けて弓を引く。相方は慌ててそれを止める。

「ダメだよ! “ピー”……倫理なんとかがうるさいのじゃなかったの」

「ならばこうしよう」

上から毒針を飛ばして戦いをサポートしている式神を呼んだ。

「フーン! あいつを突き飛ばせ」

蜂の式神は傭兵たちが放つ矢をかわし、スクミズに襲い掛かるが、相手はそれを察知していた。

 「邪魔すんな! スパーク!」

スクミズの指先から収束した電撃がフーンへ放たれる。フーンはそれをかわして彼女の眼前に迫り、そして突き飛ばす。

「うはーー」

スクミズはシャフトに落ちていった。数秒後に遥か下のほうから小石が水の中に落ちる音がした。

「殺してはいない」

「やった!」

ショボはフーンを呼び戻し、彼らは残敵の掃討につとめようとするが突如として警報が鳴りだす。どこからか女性の人口音声が響く。

『警告、妖神の封印が解除されました。要塞内の全従業員はすみやかに作業を中止し退避してください。警告……』

「やはり予定調和か……」

ショボは項垂れた。相方はそれでも元気だ。

「みんな、逃げよう!」

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