第2話 燃える騎馬
フォルトレーの北部の荒涼とした平野の丘に、絶対王の居城“頂上の城”は在った。丘というのは正しくないかもしれない。
“頂上の城”と言うが名が示す通りに、硬く険しい山の頂にそれはあった。急な山の斜面はやがて堅牢な石造りの――その石ひとつひとつが城造りに関わった奴隷たちの墓標であり、彼らの呪いの言葉が刻まれている――城壁に変わる。
二○○年前、“豊かなる緑の地”と呼ばれたフォルトレーの森は、城造りのために薙ぎ倒され焼き尽くされたと伝えられる。今それらの木々の代わりに無数の槍頭と紋章の逆さに付けられた反逆の旗が松明の光に照らされ、はためいていた。
己自身の一○○万の軍勢に包囲された城は、だが揺るがない。漆黒の闇の中で無数の窓やテラスの光が輝き、城の圧倒的な存在感を誇示している。
既にラオーグの挙兵から二日が過ぎようとしていた。
城の天守閣の黒の間に、絶対王はテミドールが造りし不死身の騎兵を呼び寄せた。青い椋鳥の刺繍の縫い付けられた黒衣に身を包んだ彼らは、テミドールが造ったゾンビの中でも、特に馬に通じ旅慣れした兵であった。
陰のごとく絶対王に仕える黒い肌の痩せた小男“イエスマン”と呼ばれる宰相が甲高い声で、王に代わって告げた。
「先にィー送った使者に伝えよ。急ぎ、使命を果たせィーと」
黒の間を覆い尽す闇の中で、わずかに暖炉の火が作り出す明かりの中に王はその白い毛むくじゃらの姿を現した。身長一六0センチの白猫だ。だが猫にしては足が太すぎ、尻尾は球状になっている。
イエスマンは再び兵たちに告げる。
「これよりィー、王自ら“無敵の炎の衣”の妖術をきさまらァーにかける。反乱の賊ゥーどもからの攻撃を避けるためのモノデェーある」
王は大きな猫の手で暖炉から燃える薪を掴み取ると、青白い炎を眠たそうな細い目で覗き込むようにして、そっと一息吹きかけた。それから事務的な声で呪文を唱える。
「チート。インフィニティ」
風に乗った炎は歓喜して踊り、ふんわりと不死身の騎兵たちに纏わりつく。黒衣に火がまわり、椋鳥の刺繍もまた火の粉と戯れ炎に踊る。テミドールと同じ顎鬚の騎兵たちは驚いて表情をわずかに崩しはしたが、その厳格な訓練により一瞬で動揺を隠す。ゾンビにとって炎は熱くなく、ただ音もなく燃えるのみ。
それが使者に出会った時点で炎は実体を失い、逆にゾンビ自身を焼き尽くす事を作られたゾンビと作り手以外に知る者は、王自身と今は包囲する軍団の中に身を置く妖術師のシィファーだけであった。
フォルトレーの一○○万の反乱軍は静まり返っていた。その構図は圧倒的であり、何も知らぬ者にはあの“頂上の城”が酷く小さく見えることだろう。だが、取り囲む一○○万の兵士一人一人にとって城は夢にまで忍び込んでくる脅威であった。張り巡らされた警戒の妖術と暗闇の中で固唾を呑む二○○万の目からなる包囲網は分厚く、何人たりとも脱する事はできなかったが、それは同時に自らの動きも塞いでいた。
盤を埋め尽くす駒の動かす余地はなく、その差し手は手詰まりのまま無駄に時を費やしていた。
反乱軍の本陣は城の正面から半キロほど離れた陣の後方に位置し、直径六○メートルもの巨大な円形のテントの中では三メートルもあろうかという首から五つの髑髏をぶら下げた赤い肌の大男が刀を振り回して、鮮血にまみれていた。
「ええい、どいつもこいつも!」
反逆の総大将ラオーグは二メートル近くあろうという巨大な蛮刀を振り回して八人の占星術師と三人の予言者の首を刎ねて鬱憤を晴らし、恐らくはぼろを出してあるいは拷問に屈したか根こそぎ処刑されただろう内通者を呪うことによって時間を潰してその時の到来を待っていた。
時折、遥か彼方で投石器の軋む音がして、しばらくの間の後つんざく唸りが頭上を通り越し、城の堅い外壁にぶち当たり砕け散る石の破片がここまで跳ね返ってきて妖術よけのテントの屋根の上にパラパラと降り注いだ。
依然として城からの反応はなく(ただ時々格子の絡んだ窓や彫刻に紛れた銃眼に弓を構えたゾンビの影がちらついた。すると必ずどこかで息の詰まる音がして運ばれていく冷たい兵士の姿があった)静かな城壁の下に僅かな余地を残して幾重にも重なる歩兵の隊列が周囲をどこまでも囲んでいる。間に混じって長槍兵の陣、弓兵の陣、後方には騎兵と重装甲兵の陣が続き、さらに後方には武器や食料などを山積みにした陣営、野戦病院というよりは葬儀場と言ったほうが正しい死体を包む白布の群れ、脱走する者を捕らえるべく配置された兵士たち、そして妖術師たちが陣取る直径三○メートルもある大きなテントが軍団の外側をさらに囲むように七つ点在していた。
ひとつの妖術師のテントの中では、死んだ兵士たちを包む布の塊を生贄として儀式が続けられていた。布の塊は花が咲くがごとく方々で血を噴出しており、それを取り囲んで妖術師十七人たちと彼らの描いた妖方陣があった。妖方陣の幾何学模様の中に様々な妖と動物が踊り、妖文字が霞んだり溶けたり別のものに変化したり、幾つかは消え去り呪文を唱えながら妖術師が黒いチョークで妖方陣の中にさらに妖方陣を描いていく。突如として二人の妖術師が血を吐いて倒れ、外に運ばれた。依然として妖術による戦いは静かだったが絶えることなく続いていた。
所々に破城槌や櫓の高い陰がそびえ立ち、歩兵たちが陰で休む大きなそして色とりどりに図柄の描かれた矢来が魚の鱗のようにうねつて並び、槍頭の飾り紐と旗が西からの冷たく乾いた風に吹かれてはためいていた。
古代の勇者の名を取ったカタスという銀の星と月のみが輝くその空の下、死人のごとく押し黙ったまま動かぬ城が、口を開けた。
出窓が開き、そこから眩しい光が漏れ広がったとき、一○○万の軍勢は一斉に息を呑み、身を強張らせた。
軍団の中、弓兵の一団が矢をつがえ弓を引く。銀髪で浅黒い肌のエズラーオの指揮する弓兵は、素早く弓を射る。腕は見事。とても二日の間、夜風に晒されてきたとは思えない。蜂が群がるがごとく矢がその出窓を襲う。エズラーオも馬上から出窓の光目掛けて矢を射るが、手ごたえを全く感じない。射出の波はエズラーオの声で止む。
「止めよ」
だが指揮する彼自身も何らかの予感がして、弓を構えなおした。つがえるのは銀の矢。かつて王御自ら賜った聖なるネオポーンの矢であった。
(此処で使おうとはな)
「出方を見るのだ」
矢はいつでも射出できそうだった。その銀の髪が月光に輝く馬上の指揮者の勇姿は、エルフの様。だが彼もまた狂戦士の血を引く者。沈黙の中に、張り詰めた糸の切れる音。
怒号とも言うべき馬の嘶き。そして光の出窓を破って現れたのは炎に包まれた馬と騎兵であった。宙を飛ぶ騎兵に怯む兵士たち。
ただ一人エズラーオだけが眉一つ動かさずに目で獲物を追い、弓矢を構え続ける。
「あの馬、あの椋鳥、テミドール配下のゾンビか!」
苦痛に歪む顔。弦を引き絞る腕に力が入る。
ぐしゃ。
うごめく兵士たちの上に飛び降りた馬は幾人かを押し潰す。そしてまた幾人かを焼き尽くす。兵士たちは左右に引く。遠巻きに構える。
エズラーオのおたけび。
銀の矢が宙を舞う。一文字。軌跡が輝く。燃える騎兵の兜に突き刺さる。炎のうねり。びくともしない。
討ちかかる槍兵。突き出される槍。
熱が鎧となって騎兵を守る。騎兵たちは一斉に炎にまみれた剣を抜き、下にいる兵士たちを撫でるように斬っていく。ひと太刀ごとに火炎が兵士を襲う。
ゾンビ騎兵のうなり声。腐った声帯から裏切り者たちへの呪詛の響き。兵士たちの嘆き声と叫び声。不死身の騎兵は切り倒し、踏みつけ、焼き焦がす。
軍団の遥か後方に位置する白い布の群れ。 雑草をなぎ払った丘の上に二○程、へばりつく様に、妖文様が敵の妖術に反応し紅く光り輝く。
真紅のマントをはおった細身の女が風の吹く中に立つ。白子か? 青白すぎる肌にまだら模様の細い血管が脈打つ。彼女こそラオーグの一つの切り札、名前をシィファーといった。
彼女は猫のような黄金に輝く瞳を見開き叫んだ。両頬に施された黒い“ж”の文字が縦に伸びる。
「妖術! チートコードか。モナキーンめ。謀ったわね」
額を飾る瑪瑙に当てる手は、細かく痙攣する。マントのフードが風にはためき肩に落ちる、彼女の髪の全く無い頭が露わになる。
「誰を使ったの? カイアスの馬、テミドールのゾンビ、メッキールの鎧に、デノンの兜、そして……モナキーンの……インフィニティ……。それほどまでに差し迫ったの?」
傍らで控える壮年の指揮官に手早く指示する。
「追手を出すのだ! 何としても阻止しろ!」
「御意」
シィファーの額に汗が数滴流れる。何故か苛立つ。シナリオから取り残されそうな焦り。
「何かあるハズよ!」
朝日が昇ろうとする中、四人の燃える騎兵は四人の使者を追って、それぞれ北へ、南へ、東へ、西へと散っていった。
一○○万の軍勢に包囲された“頂上の城”を後にして。
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