第3話 謁見

{アイオーナ・パート}

時はアイオーナたちがメリーハート草原を横断する四日前にさかのぼる。

アイオーナは“ネコ王”こと絶対王モナキーンの前にいた。

 「しかぁーとォ、申し渡したァー」

 甲高い宰相イエスマンの声が響き渡り、複雑に支骨の絡みつく深海を思わせる装飾の施された内陣の高く暗い天井に木霊する。

 「アイオーナ卿よ。さあ行くがいィー」

 絶対王、その等身大の化け猫自身は寡黙であり、一段高くなっている壇上の青紫色の玉座に座していた。玉座には古の技術を駆使した彫刻が施されていたが決して目立つことはなく、飾り立てる宝石はひとつもなかった。それは王の身なりにも言え、全身白い毛で覆われた自然の衣装と左腕にある青銅の腕飾りのみ。腕飾りの表面には金色でアルファベット大文字の“A”とそれを逆さにした“∀”が交互に並んでいる。

 パソコンで文字入力する際に“すうがく”と入れて変換すると候補の一つに“∀”がある。それはターンエーと言われ、“全ての、任意の”という意味になる。

 一般に王あるいは権力者という者はその性質上、権力と繁栄を誇示する為に玉座を飾り立て身の回りを派手に演出するものであったが、この城主自身の持つ暗黙の、しかし“全ての”強烈で不動で圧倒的な存在感をもってすればそれは必要のない事であった。事実この城に入った時からどこに居てもそれが意識され魂に枷が嵌められたように無言の戒律が行動を抑制した。

 王を中心にバッテン(×)を描くように四人の守護騎士が配され暗闇の中に石像のごとく押し黙ったまま立っている。それぞれ龍と猛虎、大蠍、蜘蛛がその鋼鉄製の甲冑の胸に描かれていて、風に揺れる明かりに時々反射して生きているかの様であった。仮面の間から覗く目には生気がなく、抜き身の剣が威光を放っていた。

 広間の両脇の象牙色の柱の後ろには黒尽くめの鎧をまとった近衛兵が整列する。

 アイオーナ・ヤンマーニは王への敬意と暇乞いを示す妖精族の一族独特の仕種を――膝を付き、両手を二回交差してから頭を垂れるという――一連の動作を行い暗い大理石に覆われた謁見の間を出た。一瞬身ぶるいしたのは控えの間が開け放たれ、通路から風が入ってくるせいか、それとも重要な任務を請けてしまったからなのか。

 入り口に連なる天井の低い控えの間で冥界からの勇者レオンと入れ替わろうとするが、彼は好奇心の入り混じったオレンジ色の瞳でアイオーナを正面から見据えた。

 「絶対王は何と?」

「これは特殊任務です。教えられません」

「それはこの世界か、それとも貴方の会社の守秘義務に抵触するからですか?」

「どちらもです!」

半エルフは冷たく言い放つ。“勇者”と冠は付けられているものの、まだまだ子供だと彼は思った。

オレンジ色のアフロヘアーの少年勇者はうなだれる。

「では、夜明け前に城の中庭で。くれぐれもホッカル殿に同じ質問をして困らせてはいけませんよ」

そう言いつつアイオーナの視線は控えの間の奥の壁にもたれているショボを捕らえていた。

控えの間には相変わらずつかみ所のない道化師が長椅子の上で眠り、いびきをかいていた。通路をはさんでこの部屋よりも大きな執務の間から長いマントを引きずった儀官が出て行く。

「レオン卿。いらっしゃーィー」

 入室を知らせる名を呼ぶ声が聞こえる。

「……」

レオンは渋々と広間に入室し、重い銀の扉は閉められる。


両目を黒いベルトで覆った壮年の妖術師がアイオーナの前に来た。

 「レオン君の質問で気を悪くされましたか?」

 「いいえ、私もこの世界に入った当初は何にでも興味を持ったものです。ですが……」

 「お互いの任務の内容を明かしてしまうと、お互いが疑念を抱くか、クエストの全容がわかりすぎて興ざめしてしまうとか……といったところですかな」

「おそらく別々に呼び出すのもそういった理由からでしょうが、私にはもっと重要な理由がありそうな気がします」

「まあ、どのような理由であれ、同行されるショボ殿とは任務内容を共有すべきです」

 きょとんとするアイオーナを尻目に詩人は口元に笑みをたたえ、礼をしながらショボに向けて片手を差し出した。

「ショボ」

背中で壁を暖めていたショボが呼びかけに応えるようにアイオーナの元へ歩き出す。

「どうだった?」

「部屋で話そう。たぶん長旅になりそうだ」

控えの間を出ようとする彼らの背中に向けて妖術師は挨拶をした。

「では、城の中庭で。ごきげんよう」

 ホッカルというこの茶色のローブを纏い、禿げ上がった男はその失われた視覚の代わりに第三の目を持ってその者の属性を言い当て(例えばレオンを冥界の一族だとテミドールに紹介したのは彼であった)常人のように、否、はるかにそれを越えて賢者のようであった。

二年間住んでいた部屋に入ったアイオーナは、指令書を開きショボに今回の任務の内容を明かす。


一、任務内容は二つ。これらの任務を二人で終えたら、プレイヤーへの報酬は自動的に各人の口座に入る。そして、そのまま暇を出す。城には帰還しなくてもよい。なぜならそれ以降の“フォルトレー戦役”シナリオにはアイオーナとその従者の名前が無いからだ。

二、一つ目の任務はこの城より北にあるワルディクス・フォーセイスの“暗黒要塞”チェストにあるコンピューターウィルスのモンスター“チュチェドの妖神”の封印を確認すること。万が一、封印が解けていた場合はそこから退避せよ。それからホマツ国のバエンに行き、妖神の再封印か消去の方法を模索しそれを実行せよ。

三、二つ目の任務はワルディクスのどこかに存在している第一封印墓所にある“オマエ・モナー”の封印を解除せよ。

四、任務の協力者“従者”の参加は一名のみこれを許可するが、従者への報酬は当方からは出せない。

従者への報酬、アイテム等の購入、情報料などの金銭による問題は、アイオーナに与えられた手付金内、もしくは実力で解決せよ。

五、もしも冒険の途中でリタイア、もしくは死亡して強制ログアウトの事態となっても当方は一切関知しない。アイオーナとその従者、どちらか一人が欠けても任務の失敗とみなす。任務の失敗時には報酬は発生しない。


躊躇いがちにショボの呟き。

「……、これは酷なルールだな」

「ところで、“チュチェドの妖神”って何だ?」

「作成者不明の巨大な人型モンスターだ。二年前に突如として現れ、他のウィルスモンスターも生み出すことができるらしい」

「そんなに危険なウィルスなら対応ソフトを作って削除したらいいのに」

「出来なかった。というか、解析ツールやアンチウィルスソフトを当ててもハングするから仕方なく、拘束後に暗黒要塞のチェストの中に封印しているということだ」

「そいつを消去できる鍵はホマツ国のバエンにあると?」

「そういう事になるな」

彼らは旅の支度をはじめた。


 「この部屋も今日で最後か……」

ショボが感慨深げに呟く。

六畳半の白い石造りの部屋。北には古びた木の窓、その下には熱を通さない挫折石で作られた冷蔵庫。西には二段ベッド、東はアイオーナの書斎コーナーとしての机と椅子と本棚、南は出入り口と壁には大小様々な武具が飾られていたが……今は無い。ショボはお気に入りの武具があった壁の一部を見てからアイオーナに確認する。

「なあ、アントリオンの矛は売って良かったのか?」

「 “ヒト型の大群と渡り合う必要は無ィー”ってイエスマンが言っていたからね。それに君は、実際に振るっても三分とたたずに息が上がっていたじゃないか。十人単位ならともかく、百人単位なら逃げるしかないよ」

「大昔のテレビゲームなら、画面の中のキャラクターを操作するだけでよかったのになぁ……。せめて“疲れ”のパラメーターが無ければ……」

「はいはい、言い訳しない」

その直後、扉の向こうで誰かが苦笑する。

「くっくっく……」

 「誰だ」

「私だ」

 黒い鎧に身を包んだ大柄な指揮官とおぼしき者が扉の陰からこちらを覗き込むのに気づいた。彼らは目を上げて驚く。

 「テミドール様」

 テミドールは静かに扉を開けて部屋に入ってきた。ショボは唾を飲み込んで握った右手を胸に置いて敬礼し、アイオーナもそれに続く。

 「いや、笑ってすまない。やりとりだけ聞くとまるで夫婦ゲンカだったものでね」

 「……」

恥ずかしさのあまり頬から火が噴きそうなアイオーナとは対照的に、テミドールは真顔になる。

 「遂にきたか?」

 「はい、最後の命令でした」

「いつ? どこへ?」

「それはテミドール様にも明かせません」

 「そうか……。見送ることも出来ずにすまん」

 「いいえ、そのお言葉だけで充分です」

「道中、星の加護があらんことを。さらばだ」

 「貴方こそ名を星座に連ねられますように」

 テミドールは部屋から出た。足音からしてあの控えの間に行くのだろう。どことなく心が浮ついているようだ。今度こそ部屋に鍵をかけた半エルフの呟き。

「テミドール様だって人のこと言えないわ」

「どういうことだ?」

「彼、レオン君が気になるみたい。たぶん謁見の間から出たところを捕まえる気ね」

「おまえこそ、その腐った妄想を止めろ!」



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