第29話 藤次郎の彼女

美海みみねえ。勝手に部屋に入らないでって、何回も言ってるよね」

「いいじゃん。ウチらは幼馴染だしぃ、ウチは藤ちゃんの彼女だしぃ、家も隣同士だしぃ、もう同棲してるようなもんだしぃ」


 美海さんの格好は非常にラフというかリラックス調というか、まあ、ピンクのジャージだったわけだが。その美海さんはかなり薄い胸元を藤次郎の腕にこすり付け、そして体をくねくねと揺らした。


「ウチと遊んでよ。ねっ!」


 執拗に絡みつく美海さんだったが、藤次郎は彼女の両肩を掴んで引き離す。


「美海ねえ。悪けど、今日は緋色君と藍ちゃんもいるし遠慮して欲しいんだ」

「ええ? せっかくのお休みなんだから藤ちゃんと遊びたいよ」

「ごめん。今日買ったゲームで藍ちゃんと遊ぶ約束をしちゃったから」

「おお? 自分、スプラ買うたんか?」


 美海さんの口調がガラリと変わった。ギャル口調から関西弁?


「なんや? そっちのねえちゃんは胸がごっつでかいなあ。触ってもええか? なあ、触らせてーな」

「ええ!」


 突然関西弁になった美海さんは中腰になり、両手の指をうねうねと動かしながらガニ股で藍に近寄っていく。いやいやをしながら後ずさる藍。しかし美海さんはどこぞの変態野郎そのまんまの格好で藍に近づいていく。


 今まさに、涎を垂らさんばかりのだらしない表情で藍の胸を触ろうとしていた美海さんの前に藤次郎が割って入った。


「美海ねえ。藍ちゃんは僕の大切な友達なんだ。そういう悪戯は止めてくれるかな?」

「なんや。藤ちゃんはそないなイケズやったんか? ウチの胸がこーんな絶壁なん知っとるやろ? ウチはな。藍ちゃんみたいな、ごっつでかいおっぱいに憧れとるんや。なっ。ちょっとくらいええやろ」

「ダメです」


 毅然と立ち向かう藤次郎である。

 そうか。本来なら、今の藤次郎の立ち位置に俺がいるべきなのだろう。(仮)だが彼氏なのだから。しかし、いくら華奢とはいえ、俺が美海さんを強引に退ける事が出来るのだろうか。どう考えても無理っぽい。


「なんや、ドケチ。しゃあないわ。緋色君、借りてくで」

「え?」


 今、彼女はなんて言った?


「君らはスプラやるんやろ。ウチはああいうの苦手やから、緋色君とウチの部屋でロープレでもやっとくわ。ほな」


 さっと俺の方を向いてから俺の左手を掴む。そして美海さんは俺の手を引き藤次郎の部屋から出てしまった。


「どこに行くんですか?」

「ウチの部屋や」

「家に帰るんですか?」

「アホやな。この家の中にウチの部屋があるんや」

「え?」

「マジやで」

「ええ?」

「こっちや」


 美海さんは小さい体に似合わぬ強い力で俺の手を引き、廊下をドンドン進んでいく。そして突き当りの部屋のドアをノックもせずに開いた。


「ここがウチの部屋やで」


 美海さんに手を引かれて入った部屋は、八畳ほどの洋間で豪華なソファや分厚い木材を使ったテーブルが置いてあった。壁には油絵や火縄銃? みたいなものが飾ってあるし、戸棚にも値段の高そうな洋酒のボトルや大理石の彫刻などが置かれている。


「ここのソファー、でっかくてふかふかで、ごっつ寝心地がええんや」

「そうかもしれませんが、ここ、応接室ですよね」

「そういう言い方もあるやろな。ま、ここは第二の応接室やから使う人はめったにおらん。そこでウチが有効に利用さしてもろうとるんや。ほら、TVもあるし、プレイステーションもファミコンもあるで」


 40インチくらいの液晶テレビの下には、古臭い白いゲーム機が二台あった。これはスーパーファミコンとプレイステーションの初期型?


「これはスーパーファミコンとプレイステーションですか?」

「そうらしいで。ウチはゲーム機の事はよう知らん」

「ゲーム、嫌いなんですか?」

「そうでもないんやが、苦手やな。何をやってもすぐ死ぬし、格ゲーもシューティングも最下位や」

「最下位って?」

「辰巳兄弟と三人でな。ウチが必ずビリなんや」

「ああ。幼馴染なんですよね」

「そや。幼馴染や。そんでな。清十郎の方はまあ、手加減ちゅうもんを知らんイケズでな。レースをやればバナナの皮を撒くし、格ゲーやれば嵌め技で嵌め殺されるしな。浮かせ技を連続で叩き込まれてそのまま場外とか、スタンの連続とかや。えげつない手を使う奴やった」

「それは確かに意地が悪い」

「せやけど藤次郎の方は上手に加減してくれてな。ウチとよう遊んでくれたんや」

「藤次郎は昔からイケメンだったと」

「せやからここが居心地ええねん」

「なるほど」


 関西弁を話す小柄な少女、香川津かがわづ美海みみ。地元出身ではないだろう。親御さんの仕事の都合で転校を繰り返していたのだろうか。可憐な見た目とは裏腹でどちらかと言えば陰キャ的な性格なのかもしれない。


 そんな事を考えていると、美海さんが俺に異常接近してきた。


「なあ、緋色君。自分、あのでっかいおっぱいの娘が好きなんか?」

「え? 何の事ですか」

「だから、あの藍っておっぱいの娘が好きなんかって、聞いとるんや」


 おっぱいの娘って、どんないい方やねん。


「好きなんやろ? 正味どないしてん」

「好きというか……いや、多分好きです」

「多分てなんや。好きちゃうんか?」

「好きです」


 俺の返事が気に入らなかったのか。美海さんは俺をソファーの上に押し倒した。そして馬乗りになる。


「はっきりせえへんな。君ら、付きおうとるんやろ。そこに藤ちゃんが割り込んだんやろ」

「あー。知ってたんですか?」

「蛇の道は蛇。馬は馬方や」


 誰にも言ってないはずなんだが……いや、藤次郎には言ったのか。まさか、藤次郎から漏れた?


 美海さんは俺に抱きついてきた。そして俺の胸に顔をこすり付ける。


「ああ。ええわ。ウチは体が小さいやろ。せやから男の人の大きな胸が大好きなんや。大きな背中に大きな手も大好きやで」

「あの、あまりイチャイチャされると困るんですけど。俺、藍と付き合ってるから」

「ウチは困らんで」


 そんな事を言いながら美海さんは俺から離れようとはしない。


「藤次郎と付き合っているんじゃないんですか?」

「あれは、そうありたいちゅう願望やねん」

「願望?」

「そう、願望や。ウチはな。藤次郎とあんじょうええ関係を築いておったんや。幼馴染以上でほとんど恋人みたいな。あと一押しでウチの初めてを奪ってもらえそうやった」

「あの……そういう事をべらべら喋らなくてもいいのでは?」

「ええんや。その、本番エッチまで行きそうでいて行かんもどかしさも青春の楽しみやろ?」

「そうなんですか?」

「せやで。そんなウチの至福の日常に割り込んで来たんが江向えむかい吹雪ふぶきや。今日も藤ちゃんと一緒に部屋でゴロゴロしようと思ってたんやが、あのアバズレに藤ちゃんを誘拐されたんや。ぐぬぬ……」


 美海さんは額に皺をよせ、ギリギリと歯ぎしりしながら悔しがっている。彼女の閉じた瞼からは、涙の粒がぽろぽろと零れ落ちていた。

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