4 七月二十三日

14. 遅刻

 翌朝、目指し時計のアラーム音で起きたオレは、時刻を見て一気にベッドから飛び出した。

 八時ちょうど。朝の会にギリギリ間に合うかという、大寝坊だ。

 アラームは七時にセットしてあるはずなのに、一時間もズレてる。


 昨日、夜更かししたから――違う、起きられなかったのが問題じゃない。

 目覚まし時計が故障したんだ。


 寝起きのもどかしい指で、パジャマから白シャツに着替える。

 ランドセルのベルトを握り、階段を駆け下りたところで、母さんがのんびり声を掛けてきた。


あわてると怪我するわよ」

「なんで起こしてくれなかったんだよ!」


 玄関へ急ぎ、靴につま先を突っ込んで、履きながらドアを開ける。


「ちょっと、朝ごはんは?」

「いらない、遅刻するじゃん!」


「待ちなさい」と制止する母さんの叫びを振り切り、学校へと猛ダッシュした。

 八時二十分の始業まで、あと十分ちょい。

 この時間だと、通学路を歩く小学生は見かけない。大人がちらほらと歩く坂道を、汗だくになって全力で走る。


 校門が見えたタイミングでラストスパート。

 みんな教室に入り、誰もいなくなったグラウンドの横を駆け抜け、下駄箱から上履きを引っつかむ。

 履き替える手間が惜しい。

 下駄箱前に敷かれたスノコの上に脱いだスニーカーを放置し、階段を一段飛ばしで上った。

 上履きを両手に持ち、靴下だけで三階へ。


 あまりに静かな廊下に、不安が大きく首をもたげる。

 校舎の正面に設置された時計は、八時十八分くらいだった。間に合ったはずなのに、教室から声が聞こえない。

 もう先生が来てしまったのだろうか。


 少し背を屈め、足音を多少忍ばせつつ、三階の廊下を進む。

 一組、二組と過ぎ、三組の二つ目の扉、教室の後ろ側の入り口を、そーっと開けた。


 どうなってる?

 靴を手に持ったまま、物音一つしない教室に向かって立ちつくす。

 そりゃ、静かなはずだ。誰もいないんだもの。


 外の時計は正しく、教室の時計は八時十九分を指している。

 上履きを履き、中へ入って、自分の席にランドセルを置いた。

 猛烈な違和感を覚え、席に座らずに周囲を見回す。奇妙に感じたのは、なぜだろう。


 一限目は国語、それは前に貼った時間割表で確認したから、間違いない。

 音楽や体育なら、みんな場所を移動したんだと考えるけども、国語はこの教室だ。

 自分の机に視線を落とすと、横に掛かった手提げ袋が、ピンク色なのに気づく。長期休みの間、私物を持ち帰るための袋だ。

 オレの袋は青、断じて女子用のピンクなんかじゃない。

 袋に縫い付けられた名前を読む。


『波崎アカネ』


 おかしなこと、その三くらいか。

 波崎は、なんでオレの机に袋を掛けてる?

 季節外れのバレンタイン、袋の中身はチョコレートかと、とんでもない推理もした。


 蓮は今年の二月、誰かからもらってたなあと思い返す。

 学校での受け渡しは禁止されているため、結局、蓮へ渡した隣のクラスの女子は職員室へ呼び出されたらしい。

 波崎がオレにチョコレートなんかくれるはずもなく、袋の口を開けても何も入っていなかった。

 当たり前だ。


 しゃがみ込んで、机の中を調べてみる。

 社会科の資料集に、国語の辞書。引っ張りだした辞書の名前欄には、また波崎アカネと記されていた。

 ちょっと待て。

 この机自体が、波崎のと入れ替わってるのか? じゃあ、オレのは――。


 探し物は、あっさり見つかる。

 波崎の机の真横、窓から一列目の机に、オレの青い手提げ袋が引っ掛けてあった。

 青い方の袋には、確かに『手島修一』の名札が見え、机の天板に刻まれた傷にも覚えがある。

 オレの机は、窓側へ一列ズラされたってことか。

 それに比べると、波崎は廊下側にいたはずだから、ずいぶん遠くまで動かされたことになる。


 ランドセルを自分の机へ移し、どう理解したらいいか、椅子に腰かけて考え始めた。

 土日の間に、今の席に不満な誰かが、こそっと席替えをした。

 あるいは、オレを驚かそうと山田あたりがイタズラしたとか。

 どちらも説得力の無い推理だ。


 ひとます、席について悩むのは後回しにして、他の教室を見て回ることにする。

 三階の教室はどこも無人で、人影を求めて二階に下りる。

 三年生の教室には、やっと数人、お喋りに夢中な女子がいた。


 いきなり声を掛けるのも不審なので、ちらっと見て通り過ぎ、四年生の教室へと進む。

 こちらでも、楽しそうに漫画の話に盛り上がる男子たちを見つけた。


 授業はどうした?

 他のみんなはどこにいるんだ?

 六の三へ戻ろうと、再び階段を上りだした時、後ろから大きな声で挨拶された。


「おはよう! 手島くん」

「あっ、おはようございます」


 クリップボードを小脇に挟んだ島瀬先生が、にこやかに笑う。

 体育の担当だからかは知らないけど、島瀬先生は朝早くから登校し、倉庫にグラウンドに体育館と、いつもジャージ姿であちこち動き回っている。

 挨拶は明るくハッキリと、がモットーで、校門に立って生徒に「おはようっ」を連呼する姿もよく見かけた。


「あの、クラスのみんなが来てないんですが……」

「まだ早い・・からね。皆が登校しだすのは、二十分前くらいからでしょう」

「えっ? 二十分?」

「いつもそんなものよ。前に勤めてた小学校は、朝練あされんがあったから七時に来る子もいたけど」

「アサレンって……」

「朝の練習時間、部活動よ。学校によっては、朝も夜も、休日も登校して練習したりするの。手島くんは、サッカー部だっけ?」

「はい……」

「中学でも続けるなら、練習に試合にって、夏休みも忙しくなるわよ」


 関真小学校は、部活動に熱心な学校じゃない。一応、五年生から各部に全員参加するものの、七月から九月半ばまで活動は休止中だ。

 いやいや、そんな話はどうでもいい。

「じゃあ」と職員室へ下りて行く先生の背中へ、オレは慌てて問いただした。


「先生! 二十分前って、何時のこと?」

「そりゃ八時四十分でしょ。時計の計算、苦手なの? 夏休みは算数の特訓ね」


 ケラケラと笑いながら、島瀬先生は去って行く。

 九時――その時間に合わせて、みんなは来るのだろうか。

 釈然としないまま自分の教室に戻り、席について知った顔が現れるのを待つ。


 先生の言った通り四十分を過ぎた頃に、あまり話したことのない女子が三人、仲良く登校してきた。

 事情を尋ねようか迷っているうちに、もっと気軽な助っ人が登場する。

 山田はオレに手を挙げて挨拶すると、スタスタ近寄り、一つ前の席に座り込んだ。


「あれ? オレの前は――山田の席で合ってるのか」

「何言ってんだよ。それより、第三版の情報があったぞ。お互い早く来て正解だったな」


 日曜の夜、スマホで検索しまくった山田は、何やら重要な手がかりをゲットしたそうだ。

 それを話したくて、学校にも早めに顔を出したのだと言う。

 すぐにでも説明しようとする山田を止めて、先に今日の日程、特にこの朝の遅れ具合について質問した。

 怪訝けげん面持おももちになりながらも、“特別時間割”について話してくれる。

 今日と明日の始業時間は、普段より四十分遅い九時に変更された。月曜は授業が三時間、火曜は終業式のみで下校となる。


「そんなこと、いつ決まった?」

「しっかりしてくれよ。プリントももらったし、金曜の帰りの会で念も押されたじゃん」

「でも……オレは……」


 ――聞いてない。はたして、本当にそうなのか。


 知らないのは疑い無い事実だけど、自信たっぷりに話す山田を見ていると、自分が間違っている気もしてくる。

 事実、他の生徒は全員、九時に合わせて登校しているわけだし。


 もう一つ、奇妙なのは席順もだ。

 いつの間に座席が移動したのかと尋ねると、山田は心配そうに表情を曇らせた。


「おいおい、マジで大丈夫かよ。席替えは毎月一日にやってるだろ」

「この席順はいつから?」

「だから、七月一日に決まってんじゃん」


 知らない。

 オレは端の列になった覚えなんか無い。

 窓側から二列目、今は波崎のらしき机が、自分の場所だったと主張するオレに、山田は困った顔で黙った。

 しばらく首をひねっていた彼は、そういや五月は隣の席だったかもと思い出す。


 それが本当なら、オレは六月以降の席順を忘れてしまったということだ。

 ネット検索の成果を語りたい山田には悪いが、ちょっと独りで考えたいと、後回しにしてもらった。


 九時に朝の会が始まり、国語、算数と授業が進行する間、消えた記憶について思いをめぐらせる。

 消えたのは、特別時間割と席順だけ?


 休み時間には、波崎と蓮が話しに来たけども、これも山田に相手をさせた。

 記憶が飛んだらしいと説明されて、二人は心配してくれたものの、オレは曖昧な返事しかできない。

 時間が経つほど、覚えていない・・・・・・事項に思い当たり、不安がジワジワと成長していった。

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