12. 笑いごとじゃねえ

 黒毛を揺らせるラルサに、原稿を差し出すと、いつものように頭を載せて食べ始めた。

 ここまでお互いに無言。

 妙に息が合ってきたのが、不本意だ。


 食事に付き物の歯ぎしり・・・・が終わるのを待って、おずおずと感想を尋ねる。

 どんな作品であれ、自分の手で書いた原稿だ、たとえ不気味な黒羊の評価でも聞きたい。


「んー、ちょっと少ないなあ。二千と八十五字。残りは九十九万四千九百七十六字」

「味は?」

「一応、許容範囲かな。美味しくはないけど」

「あの……質問していいかな」

「どうぞ」


 味の評価は低いものの、ちゃんと食事を取れたためか、ラルサの機嫌は悪くない。

 羊が現れて、もう三晩目。

 ラルサへの質問を整理する時間は、いくらでもあった。


 まず一つ目、味が良いと、ボーナスがあるのか?

 頑張って“美味しい”文章を書く価値があるなら、努力する理由になる。


「美味しいと、ボクが喜ぶ」

「いや、オレのメリットは?」

「無い――こともないね。どっちかって言うと、不味まずいとデメリットがある」

「どんな?」

「契約してしまうと、キミの食事がメインになっちゃう。食べ物が貧相だと欲求不満になるし、満腹もしない」

「それもラルサの事情だよね。オレは関係ないじゃん」

「そんなこと言うなら、つまみ食いしちゃうよ」


 この返答は、二番目に聞こうと思っていた質問に繋がってる。

 数学のプリントが“羊”まみれになってたのは、ラルサのやったことだろう。彦々の第三版と一緒だ。

 初めて現れた夜、ラルサはプリントを食べた。なぜ?


「そりゃ、お腹が空いたからさ。食事が足りない時は、キミの持ってるものを食べていく。どんどんね」

「プリントって、オレが書いたわけじゃ――」

「キミの持ち物ではあるからね。鮮度もマシだったし。社会の宿題だっけ、あっちの方が味は良かった」

「社会で叱られたのは、ラルサのせいかよ!」


 提出したノートの後半部分を、すべっと白紙になるまで食べてしまったらしい。それじゃ、先生が叱るのも当たり前だ。

 これは深刻な事態かもしれない、と改めて気づく。


 ノートやら宿題やら、片っ端から消されたら、学校で怒られ続けてしまう。

 夏休みの宿題だって、全部未提出なんて時には、母さんの耳にも入るだろう。夏休み明けには、三者面談があるっていうのに。


「宿題食べるのは我慢できないの? そればっかりは、本当にヤバい」

「そう言われても、生理現象だからねえ。気がついたら、食べてしまってるし。ギュルギュルッ……」

「笑いごとじゃねえよ」


 言葉に詰まったオレを見て、もう質問は終わりだねと、ラルサは鏡から帰ろうとする。

 慌てて気を取り直したオレは、最後の質問をすべく呼び止めた。


「百万字、仮に書き切ったら、どうなるの?」

「“仮に”じゃ困るよ。絶対に達成してくれないと」

「仮でも絶対でもいいから、クリアしたら何が起きるか教えて」

「何も起きないって。契約終了で、ボクが帰るだけ。もっと書きたかったら、再契約してね」

「するかよ! 頼まれたってしねえ」


 クリア報酬は、文章力の劇的な向上。創作の神の加護を得て、文豪への道へ。そんな期待も、ちびっと抱いていた。

 夢想をラルサに粉々に砕かれて、だらしなく肩を落とす。


 この羊、やっぱり疫病神やくびょうがみじゃん。

 鏡の中に沈むラルサを、ましげににらんで見送り、しばらくそのまま原稿用紙を眺める。

 用紙からは字が消え、また新品同様だ。


 デジカメで撮影しておくのを忘れたが、大した内容じゃないから構わない。

 今日ぐらいの原稿なら、気合いさえ入ればまた書ける。文章レベルはギリギリみたいだけど。


 明日も昼は待ち合わせをしているので、書く時間は少なくなるだろう。

 寝るまでの三時間、また机に向かって山田との会話を書き連ねる。


 肝心の気合いが足りないため、何度も途中で休憩を挟んでしまい、この夜は原稿用紙二枚を書くのが精一杯だった。





 日曜の朝、食事のあとはテレビを見て過ごす。

 昼までダラダラ居間で転がり、ハムエッグを食べたら連日の図書館へ。

 せっかくだから、参考になりそうな本を借りようかと、大きめのスポーツリュックを背負って行く。


 波崎はまたオレより先に来て、玄関で待っていた。

 蓮は一時ぴったりに到着、山田は五分の遅刻だ。


 全員そろったところで、小説技法の書籍を集め、昨日と同じ円テーブルの上に運ぶ。

 まずはオレから、羊の話を最初から語る。

 これには少し緊張した。幼稚な空想だと、馬鹿にされそうな気がしたからだ。


 ところが山田は態度が変わらないし、蓮は妙な顔つきにはなったものの、特にコメントはしない。

 オレの言うことは嘘じゃないと、波崎が懸命にフォローしてくれた効果だろうか。


 決め手になるのを期待して、羊化した攻略本も持ってきた。

 読んだ山田が腹を抱えて笑ったため、うるさいと回りからにらまれてしまう。


 男子二人に質問させる前に、技法書のミューズについて触れられた部分を読ませていく。

 こちらもスムーズに進み、半時間ちょっとでオレからの説明は終わった。


「聞きたいことはある?」

「うーん、嘘とも思えないけどさ。攻略本もスゲエことになってるし。でもなあ……」


 言葉をにごしたのは、山田だ。

 真剣には聞いてくれたのだが、ラルサを信じるかは別問題らしい。からかわれないだけで、上出来だろう。

 蓮に視線を向けると、やはりためらいがちに首をひねる。


「ちょっとぶっ飛んでるよな、その話。鏡から出て来た喋る羊って……」

「オレだって目を疑ったよ。でも、三回も会えば幻覚じゃないだろ」

「他に証拠はないのか? 写真とかビデオとか」

「デジカメで撮ったんだけど、写らないんだ。オレ以外には、肉眼でも見えないんだとさ」


 それを幻覚と言うんじゃないかと、オレでも思う。

 見えないにしても、ラルサの来る時間に家へ行こうかと、蓮は提案してくれた。

 ひょっとしたら気配くらいは感じるかも、と言われ、今度はオレが返答に詰まった。


 万一、蓮や山田にラルサが全く感じられなかったら、オレが独りで芝居しているみたいに映るだろう。

 それでは今度こそ、病気扱いされそうだ。


 あと一歩、話を信用できない山田と蓮。

 説得するには、決定的な証拠に欠けるオレ。

 困った顔を突き合わせる三人へ、解決策を提示したのは波崎だった。

 少し上気した表情で、鼻息を荒げた彼女が宣言する。


「お泊り会よ。それしかない」

「いや、ちょっと何が言いたいかわかんねえよ」

「証拠を見せないと、信じてもらえないんでしょ? じゃあ、みんなで手島くんの家に泊まって、ミューズの痕跡をつかみましょう」

「その痕跡が無いから困ってるのに――」

「原稿を見ててもらえばいい」


 あっ。それがあったか。

 ラルサは見えなくても、字の消える瞬間を目撃すれば、不思議な現象が起きてると納得してくれる。


「でも、泊まる必要があるか? 八時に来るんだから、そのあと帰ればいいじゃん」

「私の家は、門限が七時なの。それを超すなら、最初から泊まる予定にしとかないと」

「波崎は見なくても、もう信じてるんだし――」


 蓮が難しい顔をして、逆らうなと言わんばかりに首を横に振る。波崎にいて欲しいのだろうか。

 仲間として連帯感を高めようとか、そういうことかな。

 一致団結してラルサに対抗するってのは、オレからしたらありがたいけども。


「蓮も泊まりでいいの?」

「いいよ。山田も泊まるよな?」

「おうっ。面白そうじゃん」


 泊まりがけなら、翌日が休みの日がいい。今夜はいきなり過ぎるから、火曜日の夜に集まろうと約束した。

 終業式のあと一度家に帰り、晩飯を早く済ませ、オレの家に集合。

 住所を知らない波崎は、校門前を待ち合わせ場所にして、五時半に迎えに行く。男子二人は六時に直接、家まで来る。


 半信半疑の山田も、ネットの情報検索は請け負ってくれた。荒俣彦々、『読ませる技術』、第三版と、必要な言葉をメモして持たせる。

 蓮には当座できることがないけれど、何か役に立つかもしれないので、創作の技法書を読みたいと言う。

 オレのカードで三冊ほど借りて、むき出しじゃ持って帰りにくいだろうと、自分のリュックごと蓮へ渡した。

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