09. ゲルマニウム

 学校から約十分、さらに南へ行くと市立図書館がある。

 幼い頃は、母さんに連れられて訪れる機会も多かったけど、今はとんと縁が遠くなった。


 蔵書の数はそこそこといったところだと、蓮から聞いている。

 町の南に住む蓮は、まだ利用することもあるらしく、昨年の夏休みは自由作文を図書館で書いたそうだ。


「参考にする本なら、父さんからも貸してもらった。何も図書館まで行かなくても――」

『見せたい本があるの。昼の一時に図書館の玄関、それでいい?』

「わかったよ、一時だな」


 待ち合わせの約束を交わし、電話を切ったオレは、多少うんざりしながら受話器を返しに階段を下りた。

 案の定、電話の詳細を尋ねようと、笑顔の母さんが手ぐすね引いて待っている。


「波崎さん、だっけ。彼女?」

「ち、ちげーよ! ただの同級生だよ」

「ふふ。当ててあげよっか。花火大会の誘いでしょ」

「違うって言ってんじゃん。図書館だよ。明日、調べ物する約束なんだ」


 そこで母さんはわざとらしく人差し指を立て、謎が解けたとばかりに勝手な推理を披露した。


「最近、勉強に熱心なのは波崎さんの影響ね。宿題を一緒にやるの?」

「ち、が、う! 明日はたまたまだよ、たまたま!」


 受話器を母さんに押し付け、精々「不愉快だ」とアピールして自室に戻る。

 夜、机に向かうのも、本を借りたのも、明日図書館に行くのも、そりゃ母さんの言う通り波崎が原因だ。

 だが、これは断じて勉強ではない。波崎と仲良くなったわけでもない。


 このままアイツと二人でラルサ対策を続けたら、母さんの誤解は加速する。

 波崎と会っているところを、他のクラスメイトに目撃されるのも避けたい。

 となると、誰か信用できる友達に事情を打ち明け、この話に巻き込むのがよさそうだ。

 ミニ羊が出現したと聞いても笑わないヤツ。国語にも強くて頼りになりそうなら、なお好ましい。


 候補として思い浮かんだのは一人、柴垣蓮だった。

 蓮なら国語の成績はオレよりは上で、馬鹿にしたりもせず、相談に乗ってくれるんじゃないか。


 証拠の写真が撮れなかったのが、やっぱりイタい。

 口で説明するなら、波崎にも話させた方が信憑しんぴょう性が増すだろう。

 この案を波崎にも相談してみるか。

 さわやかだと女子にも人気が高い蓮だし、アイツだって嫌な顔はしないはず。

 明日はもう仕方がないけど、明後日あさって、蓮を呼び出して三人で話し合おう。


 二人より三人。

 三人集まれば羊の知恵――そんなわけないな。

 えーっと、何だっけ。

 ど忘れした。要はすごく有利になるってことだ。


 三匹集まれば頭も三つ、ほら、いたじゃん地獄の羊、じゃなくて番犬。

 この番犬は、どうもゲーム知識の範疇はんちゅうだったらしく、いくら考えても名前が出てこなかった。


 悔しくて、『ドラゴンソード』にも登場したはずだと、攻略本の冒頭から読んでいく。

 さっきはラルサの毒気にあてられて、相当混乱していたらしい。

 愛読書を丁寧に読み返したオレは、黒羊の力をまだ甘く見ていたと思い知った。


“青羊系統の魔法は、羊タイプに多大なダメージを与えます。羊を短時間で倒したい羊は、ぜひ羊を手に入れて羊ろう!”


 羊りたくねーよ!


“魔法系統は以下の八つ。赤羊系、青羊系、黄羊系、銀羊系――”


 羊、羊って、ゲ、ゲ……ゲルマニウム崩壊を起こすわ。

 どんな崩壊か知らんけど。


 あー、わかった。ラルサの仕業しわざだ。

 オレの頭の中だけでは足りず、攻略本まで改竄かいざんしたんだ。


 どうりで読みにくいはずで、主要な単語のそこら中が“羊”に置き換わっていた。

 あの黒羊は、手書きの文字を食べて消すのにとどまらず、印刷された文章も好きに変更できるようだ。

 さすが、言霊の使いって自称するだけのことはある。


 それにしても、なんで羊だらけにするんだ。

 羊って、自分のことだろ?

 オレで言えば、“人間”だらけにするってことじゃん。


 “人間が現れた場合は、人間をぶつけて倒そう! 人間の弱点は人間だぞ”

 こうか?

 まあ、そうかもしれないな。

 人間が一番恐いって、父さんも言ってた。


 攻略本へのあんまりな仕打ちに、思考が上手くまとまらない。

 本を閉じ、ぼうっと表紙を眺めていると、トドメの羊に衝撃を受けた。


 攻略本の上下をひっくり返して、剣のイラストを遠目で見たオレは、開いた口を閉じるのに苦労する。

 岩に突き刺さる“ドラゴンソード”は、つかの形がおかしい。

 横棒が三本交差し、端には二股ふたまたの飾りが付いている。


 ……あー。うわぁ。

 剣に合わせ刀身が長くていびつだけど、この形は漢字、“羊”に違いない。

 勇者は羊マニアかよ。

 ダサッ。


 “よく来たな、羊の勇者よ。よほど毛を刈り取られたいらしいな”

 “ほざけ、ウール百パーセントの力、見せてやる!”


 こういうやり取りなら、思いつくんだよなあ。

 物語を作る能力は、全く損なわれていないみたいだ。向上したかまでは、わからないけど。

 この瞬間、嫌な予感が電流となって身体を貫く。


 ベッドの脇にある小さなサイドテーブル、その上には充電しっぱなしの携帯ゲーム機が置いてあった。

 ゲーム機を引っつかんで、祈るように電源ボタンを押す。

 液晶画面には、未だかつて見たことのない警告文が表示された。


『読み取りエラー:ソフトを挿し直してください』

「ノオォォーッ!」


 言われた通り、挿し直したさ。


『コレクトモンスターズ』をガチャガチャと何度も試し、『ドラゴンソード』シリーズも全部セットしてみた。

 どうやっても、エラー画面しか映らない。

 祈りは却下された。

 羊以外の神は、もう存在しないのだ。


「こんなのねーよ! 買ってもらうのに、どんだけ苦労したと……」


 あのモフモフ野郎! とののしったところで、ゲームはもう帰ってこない。

 本人、と言うか本羊に直接言うのも難しい。恐いから。


 バタバタ部屋を駆けずり回り、ゲームを差し替え、起動できないか納得がいくまで繰り返す。

 この作業は、羊と対面した時とは違い、体感よりもはるかに長い時間が費やされた。

 母さんに早く風呂に入れと叱られ、一度湯を浴びて、すぐに二階へ駆け戻る。


 どのソフトも認識不能、コンセントを変えてもダメ、電源ボタンを気合いで長押ししても、結果は同じ。

 十一時を過ぎて、ようやく無理だと諦める気になる。

 風呂に入る前より、汗ばんだ肌が寝巻きに貼り付いて気持ち悪い。


 どこか別世界の出来事のようだったラルサの脅威は、この夜から現実に差し迫る危機にレベルアップした。

 百万字を書くにしろ、他の解決法を探すにしろ、どうにかしないとマズい。

 ゲームの消えた世界なんて、拷問じゃないか。


 ベソをかきそうなのをグッと我慢して、布団に潜り込む。

 ふて腐れた表情のまま寝たオレは、七色の羊に追い回される悪夢にうなされ、夜中に二度も目が覚めてしまった。

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