04. 初めての食事

 帰宅したオレは、夕食まで原稿用紙に向かう。

 三行絞り出したところで母さんの呼び声、タイムアップだ。


 二人で食べる晩飯は、オムライスとサラダだった。

 手早く食べてしまい、さっさと二階に上がろうとすると、もらい物のカステラがあるから待てと言われる。

 ただ座っているのも落ち着かないので、皿に切り分ける母さんの背中へ話しかけた。


「父さんは今日も遅いの?」

「いつも通りよ。話でもあるの?」

「本を借りたいんだ。読書感想文用のやつ。短くて、簡単なのがいい」

「そんなのあったかしら。聞いといてあげるわ、ふふ」


 含み笑いは、勉強の話題だからだろう。

 自分のことながら、積極的に国語に取り組もうなんてどうかしてる。

 母の“応援してるわ”顔も相変わらず不気味だけど、ここはカフェオレのために我慢した。


 皿とコップを両手に持って上がり、自分の机に改めて向き合う。

 しかし、いきなり升目だけの白紙を相手にするのは、難易度が高すぎた。


 練習がてら、教科書で読んだ話の感想を書こうとしたものの、「面白かったです。ぼくもカレーライスが食べたくなりました」で終わってしまう。

 本当は面白いと感じなかったから、余計に次の文が出てこない。

 これが宿題なら、本文をこれでもかと書き写し始めるところだ。


 ……そうだ、写せばいいんだ!

 別に先生に怒られるわけじゃない、文字さえ書けば羊の晩飯になるだろう。どうやって食べるのかは、知らないけどさ。

 紙ごとムシャムシャやるのかな。ヤギも羊も、似たようなものだし。


 方針が決まって、俄然がぜんやる気が出てくる。

 時間は七時十分前、ラルサが来るまでには一時間以上もあった。

 カフェオレをぐいっと一口飲み、次の一行を書き加える。


 “では、どんな話かを説明しよう”


 オレは国語の教科書を広げ、その内容を手書きでコピーしていった。

 人間、その気になれば、結構な量が書けるんだなあと思う。

 写した話は全部で二本とちょい、原稿用紙十三枚を費やした大作の完成だ。


 自分は書くことが苦手なんじゃなくて、その内容を考えるのがツラいのだと理解した。

 書いて写せという課題なら、クラスでも相当早い方なのでは。


 もっとも、画数が多くて面倒な漢字は、全て平仮名に直している。

 見栄えは悪いけど、字数は余計にかせげるからよりお得だ。

 後五分で八時という頃合いで、話を締める。


 “続きはまた明日。気が向いたら”


 完璧じゃないか。

 四百字が十三枚で、えーっと、五千二百字。

 これが一時間の成果だから、二時間で一万字、それを百日続ける計算になる。


 うーん、二時間を百日は、ちょっと厳しいなあ。

 書き取りの練習にはなるし、国語の成績も上がりそうとは言え、十月くらいまで夜のゲーム時間が削られてしまう。

 もっと効率良く、字数を増やす方法がないもんかな……。手書きをやめ、コンビニで教科書をコピーして貼付けるとか。


 ノートの端に、思いついた作戦を個条書きしていく。

 コピーの切り貼り。

 印刷がダメなら、蓮に協力を要請して人力コピー。一人より二人なら、効率も倍だ。

 なんなら山田も動員すれば、三倍スピードになる。


 自筆しか受け付けないとか言われたら、筆跡を真似させるしかないな。

 山田には頑張ってもらおう。明日から特訓だ。できるできる!


 山田の訓練方法を思案していた時、机の天板をヒヅメがコンコンと叩く。

 音の発生源は内側。早く開けろと、ラルサの声が急かした。

 オレの真正面、一番幅が広い引き出しを、そうろと手前に引く。

 頭の上が空いたのを受けて、黒羊が勢いよく手鏡から出現した。


「まさか、閉じ込めようとした?」

「――なワケない、です。忘れてただけ」


 引き出しからピョンと跳ねたラルサは、畳の上に着地して、そこに鏡を置くように命じる。

 昨夜と同じ形に手鏡をセットしつつ、ひょっとして羊は鏡を隠せば出て来れないのではと考えた。

 案外簡単に解決方法が見つかったという喜びは、オレの顔に出てしまっていたらしい。


「別にこの鏡じゃなくても、出入り口にできるから」

「……そうなの?」

「面倒臭いんだよ、違うルートだと。机をつぶされたくなかったら、刻限にはゲートを作っとくように」

「ゲート……ああ、鏡のことか」


 セリフ自体にさほどとげは感じなくても、小さな体から放たれるプレッシャーが半端じゃない。

 やはりラルサは、怒ってるんだろう。


 窓は閉め切り、エアコン以外には無風にもかかわらず、黒い毛がゆらゆらとそよぐ。

 毛が波打つ度に、部屋の気温も上下するように感じた。

 夏の熱気が部屋の中に入り込んで、汗が額に噴き出したと思うと、すぐに冷やされて身震いする。


 何回見ても愛玩動物のようなこの羊、間近に対面すれば分かる。

 決して可愛らしい存在などではなく、どう考えても邪悪な気を垂れ流していた。


 ちょこんと床に尻を落とし、人間みたいに座った黒羊は、前脚で軽く畳を叩く。

 言われずとも、これが食事の催促なのは理解できた。

 逆らうなんて無謀なことはせず、出来立ての手書き原稿をラルサの前に差し出す。


「とりあえず、書いてみたんだけど……」

「ちゃんと用意したんだね。えらいえらい」


 重なった用紙の上に、ラルサは両前脚を投げ出して、腹ばいになった。

 腹からあご辺りが、原稿にべったり乗っかった姿勢だ。


 顔はこちらへ向いたらまま、羊は細かく震動を始める。

 頭の揺れが最も激しく、閉じた口元から歯がきしむ音が響いた。

 よく見れば、下顎が左右に動いており、何かを噛みつぶしているみたいだ。


 ギリギリと黒板をアクリル定規で擦ったような音に、思わず顔をしかめて、耳を押さえてしまう。

 文句の一つも言いたくなる、この不快な時間は、三十秒ほどで終了した。


 元のお座り姿勢に戻り、羊が目を大きく開くと、赤い眼光が周囲に漏れ出した。

 窓にかかったカーテンや、ベッドの上に丸まった布団が、ほんのりとピンクに染まる。


「やめて、眼はやめて。恐いから。あと、ちょっと痛い」

「六十四字かな」

「な、何が?」

「今日の文字数。全然足りないね」


 それはおかしい。たとえ空白ますはカウントしないにしても、数千字は余裕であるはずだ。

 ちゃんと数えたのか。紙をめくりもしないとか、横着するな。

 教科書に載るレベルの話なんだから、品質クオリティには問題ないはずじゃないか――。

 こう猛然と抗議するオレに、羊は冷たく言い放った。


「どっちが横着なんだか。これ、写したよね? 一字一句、同じだよ」

「え、うん……でも……」

「他人の文章を書いたって、言霊は宿らないよ。マズくて食べられない。まったく、みんな似たようなことを考えるんだから」

「そんな贅沢ぜいたくな」


 右の前脚をふりふり、食事には細心の注意を払うようにラルサが説いてみせた。


 一つ、言葉は自分の心が生んだものであること。

 一つ、機械的に文字を羅列られつしないこと。

 一つ、ちゃんと筋道が立った文章にすること。


「筋道が立った文章って、物語のこと?」

「むちゃくちゃな文じゃなければ、何でもいいよ。たまにいるんだよ、支離滅裂なのを書く契約者が」

「そういうデタラメなやつは、文字数に入れないんだ」

「いいや、数えはする」

「じゃあ! 思いつくまま、単語を並べまくっても――」

「そんなことしたら、ボクの機嫌が悪くなるよ」


 羊の目が、またあやしくきらめいた。

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