第31話 逃避

 頑張って 励ます言葉に 傷付いて

        貝になりたい 鳥になりたい


「あいつは絶対ここに来る」

父の確信のこもる言葉に夫はうなづく。

結婚してまだ1週間目の出来事だった。


私は嫌な事があると、その場から去る。

いつの間にかとか、足早にではない。

衝動的にドタドタと鼻息を荒くして走る。


「ビールでも飲むか?やってられんな」

父の兄、つまり私の叔父がコップに注ぐその飲み物をゴクゴクと飲んだのは四才の時だ。父に怒鳴られ、カッーとなって飛び出した。

初めての家出。いつも遊んでいる従兄弟の家にドタドタとあがりこんだ。

夕飯時だった。 

 

泣きもせず、ただ父に対する怒りを愚痴る。

父が迎えに来たときは酔っぱらっていたらしい。


小学一年生。

何が嫌だったのか覚えていないが、校門を入る寸前、Uターンして家に帰る。

玄関で驚く母にランドセルをぶつけて逃げる。

相手にダメージを与て、少しでも遠くへ逃げようとした事は昨日のように覚えている。

逃げて逃げて逃げまくった。

近所の庭に隠れる。母が般若みたいな顔をして私を探している。

息をひそめる。その家のおばさんに通報されて御用となり、学校へ戻された。

自転車の後ろに乗せられ、ずっと太ももをちみくられた。痛かった。


高校を卒業し就職すると、三日に一度しか帰らないような生活を送る。

着替えを取りに帰ると父が仁王立ちで玄関にいた。

捕まる。隙をみて車の鍵をとり、エンジンをかける。

逃がしてなるものかと、父もそのキーを抜こうと必死になった。

私の勝ち。車を急発進させた。

が、諦めない父を引きずっていた。観念した。


職を変えた。毎日つまらなかった。

八ヶ月たった頃、お昼の持参弁当を食べる。

午後の仕事の事を考えたら、逃げたくなり、そのまま会社から逃避行した。

車だ。会社も親も事件に巻き込まれたのではないかと大変だったらしい。

 

1週間後、なに食わぬ顔で退職届や保険証を返しに行く。

逃げたという事実に満足した。


幼い私はいつも泣き言を言うと、

「 泣いてたまるか、負けてたまるかって言いなさい。

私はそんな弱い子に育てた覚えはない」と母からどやされた。


 

頑張っているのに、頑張れ頑張れはきつい。


ドタドタと逃げる間の興奮はたまらない。

私は期待する母から逃げていたのだろう。


結婚すると逃げる必要がなくなる。

近所のスーパーに行って来たのだと、

往復二時間の距離を走ってきた夫に笑顔で言った。

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