わぁ、読んでいて、すごく思い当たることがあって、
一人で納得してました。
うちの祖父母、特に祖父がまさにこういう感じで、
うちの母も「犬猫は四つ足と言ってね、人とは違うの。必要以上に情を持っちゃダメなのよ」と言ってました。やっぱり自分の親からそういうふうに言われたらしいです。
ペットの死の悲しみを軽減させようという深い裏(?)があるのかな、などと私も何とか解釈しようとしながらも、でも、あんなにかわいがっていたのに、生きてた命がなくなったのに、人とは区別するなんてできないという気持ちも拭えず、悲しさは癒えませんでした。
命の現実、命の現場……なんと言えばいいかわかりませんが、お父様の場合は、どうやっても亡くなる時は亡くなるんだという諦観のようなものも少し混ざっているのでしょうかね。
ましてや、普通に行けば動物の方が先に亡くなるので、飼うにも覚悟がいるというか、織り込み済みで飼うってことでもあるのでしょうか。
兄弟といとこの味とか、穀物料とか、ちょっと面白かったんですけど、穀物料は他人事とは思えないかもです。
この手の間違いって、ありますよね。。。(冷や汗)
作者からの返信
みさえさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
そうなんですね。親や祖父世代って動物を飼うというより、共に暮らす感じですね。
やはり戦争を体験してきて、命に対する考え方が少し違うのかなって思います。
目の前で友達や親、兄弟が亡くなるのを目の当たりにしてきたので、きっと命の儚さを知っているのかなって思います。
犬や猫の感情は人間とは違いますから、情をかけすぎない事も、悲しまない方法の一つかもしれません。
十代って多感で罪悪感を感じたり、すぐに割り切ったりと揺れ動いていたと思います。
穀物料、今なら笑い話ですが(o^^o)
父は母にほとんど頼っていた事がばれてしまうエピソードです。
私の父親サダジは昭和ヒトケタ生まれで、戦争中は学徒動員で群馬県の戦闘機工場に駆り出されて働いていました。
すぐに戦況は悪化して戦闘機造るどころじゃなく、米軍の空襲を受けて工場の裏山の松林に避難するようになり、その中で仲間の同僚や友が多く命を落としました。
人は簡単に死ぬものだということを私はサダジに教えられました。
たぶんそれは私にとって良い影響を与えてないと思います。
戦争映画などで、敵の弾丸爆撃激しい中を逃げてる時、戦友が撃たれ死んで行くシーンで、主人公が戦友に駆け寄り「しっかりしろ、死ぬな!」などと叫び、戦友が断末の間際に何だか言葉を残して絶命ってパターンがありますが、私はあれを見ると
「嘘くせ~!弾丸爆弾雨あられの中なのにぃ…」
と思って醒めてしまうのよ。
時代劇でも水戸黄門御老公が「助さん角さん、この者たちを懲らしめてやりなさい」と言って、助さん角さんが悪者たちをバッタバッタとさんざんぶちのめした後で、「この紋所が目に入らぬか!」と印籠を出すと、「はは~っ ! 」と相手が全てひれ伏すお決まりのシーンが出て来ます。
私はこれを見るたびに
「こいつら助さん角さんにやられて地面にノビてたんじゃねえのかよぉ !?」
と突っ込み入れてました。
動物も人間も、実際は簡単に死んじゃうんですよ。
だからこそ思いやりを持って大切にしなきゃいけないし、死というものはどんなシチュエーションであろうとも、決して美しいものじゃないと私個人的には思っています。
作者からの返信
お父様、サダジさん、大変な時代を生きてこられましたね。
青春時代、人間の命の儚さを目の当たりにして、その後の人生観に影響があったのだとお察しします。
コロナ禍での私たちの思いとは全く違う緊張感を味わった事でしょう。
今、日本が豊かなのもその当時の人たちの犠牲の上に成り立っているものと思います。
お父様に教えらてきた森緒様の生死感に、あまりいい影響を与えていないという事ですね。フィクションが嘘くさいと思えるのも当然ですね。
生きるために必死ですものね。
防空壕に入るのも我先にだったと思います。綺麗事ではないでしょうね。
それが人だと思います。
水戸黄門、ツッコミ入れながら視聴とのこと、笑えました。外国人が見るとあの印籠から何か命に危険な物質が出ていると思うらしいですね。笑。
私は暴れん坊将軍にツッコミ入れてました、自分の主君より将軍のいう事を聞くんじゃないの?って。
まあ、時代劇ってパターンがありますからね。
そうです。動物の死の儚さも同じですね。野生動物界では生まれた瞬間に死という事もありますね。
今、コロナでペットブームらしいですが、何十万円もして飼った子犬ですら捨てられると聞きました。
悲しい世の中ですが、誰も裁けないんだと思います。
コメントありがとうございます。(^ ^)
家庭不和の上に、ハナスさんご自身にも発達障害があったようですね。
これはしんどかったでしょう。
家庭円満の中での発達障害児は、父母に助けられていろんなことを少しずつ学びながら、ゆっくりと大人になれます。家庭不和でも、社会に適応能力がある子だとそのうち家を出て自立できます。
でも、こうやって文字に書いて、過去にあったことや思ったことを整理していると、原因がわかってきて、その対処方法もおぼろげながら掴めてくるのではないかと思います。
本当は、これらの経験を昇華させて、フィクションではなくノンフィクションの世界を書けるようになると、もっと楽になりますよ。客観性が鍛えられるのかなあ、私の経験ですけど。
…って、ハナスさん、すでに書いてますよね。ハナスさんの小説、個性的でとても面白いです!
作者からの返信
そうなんです、今ではこの障害に関して色んな専門的な知識が広まりました。その当時は変わった子、変わった人だと思われていただけで、本人も家族も大変でした。
未だに自分がどの症状が残っているのか分からない時があります。
そういう方から「過集中」と「こだわり」だと言われました。自分ルールがありコミニュケーションが下手かもしれません。
ノンフィクションで昇華させる事に関してはまだ中途半端ですね。いい事だけ書いてる自分もいます。やってみますね。
カクヨムにおいては、お気づきの通り、レビューは一切書きません。発達障害の方の作品一つだけです。マイルールです。
ですから奈衣さんから頂くばかりで心苦しくなりますが申し訳ありません。
あと、好きな作家様、作品はストーカーのように読みまくります。フォロワーが私だけの時もありますが、そういう事も気にせず。どんな人気作品でも興味がないと打ち切ります。笑
こんな私ですが、いつも寄り添ったお優しいコメントありがとうございます。
奈衣さんの作品が水ぎわさんの所で紹介されていましたね。水ぎわさんが奈衣さんを師母と呼んでおられました。書く姿勢を見習いたいとも。私もそう思います。
戦争を直に知っている世代が少なくなりました。
あの時の体験はぬぐいがたいものがあったようですね。
町には町の苦労が、田舎には田舎の苦労があったようです。
その世代の人は人の生き死にも、動物(ペットではないらしい)の生き死ににもある程度距離を置いているような気がします。
作者からの返信
そうですね。当時は自分たちが生きることに必死でしたし、命を頂かないと生きていけなかったので、今と同じ距離で動物に愛情を注げなかったと思います。
ペットを家族のように扱う時代って豊かだなって思います。
コメントありがとうございます😊