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傷つく、というのは、自分の思いを裏切られた言動をされたから抱く感情かと思います。
すごくすごく他人事な感想になるのですが、私はこのことについて、とても興味深く思いました。
毒親な母親に何度も傷つけられた、ということは、毒親に感化されない心を星都様(エッセイということでご本人のお話と理解させていただいております)がずっと持ち続けた、ということかと思うのです。
毒親と同化して猫の死体を放置しても何も感じず、一万円札をネコババするような子どもにならなかった。なってしまう子どもも珍しくないかと思います。
毒親に同化する子どもと、傷つけられ続ける子ども。
なにがそれを分けるのか。このお話を読んで、そんな疑問を感じました。
この先も、少しずつですが読み進めさせていただきます。
作者からの返信
葛西さま。
優しく温かいコメントありがとうございます😊
「傷つく」についてあまり深く考えたことがありませんでした。おっしゃるように傷つける側と意見を異にし、同化しないという事、私もそう思います。
本来誰しも持っている良心と、家庭外で触れ学ぶ道徳心も関係してくると思います。
ある意味親を反面教師としたところもありますが、自分に正直に行動する頑固さが親と相容れなかったと今は思います。
今、両親は穏やかで別人のように優しいんです。いかに若さゆえの未熟さと、ストレスが弱者を見つけ傷つけるかを身をもって体験したので……人を許すことに寛容になれたかなって思います。
ご意見頂き嬉しく思います。
お忙しい中、いつもありがとうございますm(__)m
生まなきゃよかったとか、拾った子みたいなこと言われた人、多いんですね(コメント欄も含め)
ちなみに、うちは前者です。
いま思えば、一般的にですけど、昭和のころの親って日本人気質の「照れ」なのか、褒めベタで、素直な言葉を出すのが苦手で、反動で憎まれ口みたいな言動する例が多いような。。。
でも、うちの親は本心で生まなきゃよかったと思ってたみたいで、子供のころは傷ついたし、大人になると、今度は頼ってくるというか長女の義務みたいなものを当たり前に強権的に求めてきて、私って何なの!?って葛藤しました。
ハナスさんのお母様と似たものを感じます(勝手にごめんなさい)
自分の人生の不満なところを子供にぶつける、みたいなところとか。
女性が抑圧されていた時代だったのかなぁ。
自分で自分の人生を生きてるんだという意識が持ちづらかったのでしょうかね。。。
最後の3行が示唆に富んでて、勝手にいろいろ解釈が膨らみました。
作者からの返信
みさえさん、私もそう思います。昭和のお母さん世代はまだ自立が難しい時代だったと思います。
それで、別れたくても別れられない、姑、小姑には気を使う、近所では良妻賢母に見られたい……そんなストレスが溜まっていたのだと思います。
今なら笑い話ですが、「生まれてきてすいません」て傷ついてました。
母は14歳で親元を離れて、19才で私を産んだので、何かやり残した虚しさがあったのでしょうね。
みさえさんも同じ思いをされたんですね。
真に受けないようにしたくても出来ない葛藤ってありましたね。
でも、今、母親には感謝しています。
厳しく育ててくれたので、少しの挫折や問題があっても頑張れてしまうから。笑
共感してくださりありがとうございます。
小学生だった頃の私はチビだったので、家族と電車でお出かけする時などに時々駅員に「小学生?」と訊かれました。
「一年生!」
と晴れやかに答えると、後で母親が
「馬鹿だね、保育園児のフリすれば電車賃取られなかったのに!」
などとよく言ってました。
私は馬鹿なのか?…と親の言葉におおいに戸惑いを覚えました。
親は何気なく、あるいは冗談半分に言ったのかも知れません。…しかし子供は親の言葉や態度など、かなり細かく覚えているものですよね。
冗談でも言ってはいけない言葉を浴びた場合、子供が成長する時間の中でそれはボディブローのようにじわじわ効いて来ます。
子供にとって不幸なことは何かというと私はまず、自分を生んで育ててくれた親を尊敬出来ず、ありがたいと思えないことだと感じますね。
ま、そんな私ですが、何年か前の初詣の時に「今年はお金に恵まれますように!」とお願いしたら、帰り道で千円札を拾ったんですよ。
「神様、ありがとうございます!」
と胸中で感謝してルンルンと家に帰りました。フフン。
作者からの返信
「一年生!」と晴れやかに言った後の、お母様の言葉は辛いです。きついです。「馬鹿だね」は枕言葉のようなものだとしても、お金が関係してくると切ないですね。
価値観は大人と子どもで違うかもしれませんが、嘘をつく事や、良心を否定された経験はキズとして残る事でしょうね。
子を持ち老いてから親のありがたみが分かり、尊敬できるようになっても遅いですね。おっしゃる通り、子ども時代に親を尊敬できたら幸せですね。
そんな中、千円札を拾い神様に感謝する森緒様、良かったですね。
尊敬できなくても、親に対して感謝できるようになったら、毎日が楽になるのかしら?
森緒様、子ども時代の経験を教えて下さり嬉しいです。
暗いもぐら時代に共感して頂き、コメントいただくと傷が癒えていく気が致します。(●´ω`●)
拾ったお金を交番に持って行くこと。
思っても子どもが行動に移すには気軽にできる事ではないと思います。
それができたのだから、その時点で「強く、清い人でありたい」という「夢」は叶っていると思います。
(つい、キーボートを叩く指に力が入ってしまいます)
>モグラの子には無理なのかな。
>太陽の下では生きられず、餌もなくて餓死するのかな。
この言葉は、むしろご両親に向けた言葉かと思いました。
誰だって苦労もなく家計の心配もなく楽しい家庭が作りたいものではないでしょうか?
若さゆえなのか、いろいろな事情でなのか、それがかなわなかったとき、誰かに当たらずにはいられないのかなと、今までのお話しを思い出しつつ考えます。
作者からの返信
つむぎさま。
温かいコメント痛み入ります。
もし、これが千円札とかだったらどうしたんだろって思います。清い人になりたいって思ったのは、実は簡単に悪に染まりやすいことを認識していたからかもしれません。
母親は特に、自分の意思で結婚したわけではない感じだったので、未熟さもあって長女(私)に八つ当たりばかりしてました。笑
反抗的だったから余計に。父が母を怒鳴って泣かしたことがあるんですが、それを見てざまあみろって思った私がいます。
根っからの悪童だったのかもしれません。
ですから、つむぎ様のお考え合ってるかもしれないです。
コメントありがとうございます。