第4話 アシェンデン

 …つまり、カント以降の相関主義は超越論的主体の誕生以前の現象に関する科学的言明と矛盾する、というのがメイヤスーの立場です。彼はその著書「有限性の後で」の中で…


 ぼくははっとして顔を上げた。教壇では文学部の八重洲崎先生が一字一句はっきり入ってくる独特の調子で現代西洋哲学の講義を進めている。まだ30代後半の先生は文学部最年少の教授で、東京大学全体でもかなり若い方だった。くしゃくしゃのくせ毛を雑に撫で付けた先生は、一息置くと眼鏡の奥のきらめく眼で教室を眺めた。一瞬、その目がぼくをじっと見たように思えた。先生は内務警察に目をつけられているという噂だったが、その目はそういう些事を超越しているようにも見えた。


 工学系研究科の物理工学専攻で物性物理の研究をするぼくが文学部の授業を取るなんて酔狂を起こしたのは、八重洲崎先生の著書を読んだからだ。先生には訳書が数冊と著書が三冊あったが、そのうちの一冊、岩波新書の「現代哲学の射程」を読んだぼくはその壮大な体型知に打ちのめされたのだ。いつもは集中して聞いているこの講義にも、しかし、今日は全く身が入らなかった。ぼくはもう一度手の中で名刺を裏返してみた。共和国国防総省国防研究企画庁推進システム部門主任研究官(二佐待遇軍属)、博士(工学)、竹田康。昨晩ひかるを寝かしつけて鞄をしまっている時に、鞄のポケットから出てきたのだ。何度考えても、昨日の軍属がくれたものに違いない。しかし、なぜ?ぼくはため息をついて、ノートに目を落とした。そこにはこんなことが書いてある。


 定義と定理の峻別

 定義とは、二つの言葉の外延の同値性を示す文である。定理はその一方、論理操作・式変形・実験・統計的計測等における抽象化されたパターンについての文である。後者は対象とする学問領野の中での証明を必要とする。しかし、主に生命・人文・社会科学において両者はしばしば混同される。例えば、鳩が巣に帰ることを帰巣本能に帰着することがそれである。この文は帰巣本能の定義であり、鳩の習性についての定理ではない。


 いつの間に書いたのだろう?そんなことを思っていると、八重洲崎先生が講義の終わりを宣言した。ぼくは慌てて先生の方を見た。先生はぼくを見ていた。今度は間違いない。ぼくは何か言おうとした。先生は少し微笑んで、ぼくの方に歩み寄ると、何か悩み事かな、と訊いた。恋人が病気で、すみません、あまり集中できなくて。ぼくは言いながら自分でも驚いた。先生の目には、本音を言ってもいい、この人になら事実を言っても大丈夫だ、と思わせるだけの何かがあった。先生はそっと頷くと、それには触れずに、君のレポートを読んだよ、とだけ言った。少し話したいから、ついて来なさい。


 八重洲崎先生の研究室は、法文館の二階にあった。ドアを開けてぼくを招き入れると、先生は即座にコーヒーメーカーをつけた。豆を挽く大きな音がして、十畳少しの部屋に充満した。部屋は三面書棚で覆われていた。先生はそのうち一つに歩み寄ると、本を一冊出してぼくに渡した。岩波文庫の「アシェンデン」モーム作、中島賢二・岡田久雄訳。先生はその八十五ページを開いて、ぼくに見せた。三行目に鉛筆で印がしてある。


「用心しておくに越したことはないからな」と、彼は言った。


 その文を読んで、ぼくは噂が本当だったことを知った。


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