記憶力
結城 郁
第1話
【記憶力】
その青年は途方にくれていた。
彼は高校生で、大学受験に落ちたのである。彼は、その大学にいくために来る日も来る日も寝る間を惜しんで勉強してきた。その努力が水の泡になった。
「もし、俺に何か特別な力があったらな」
そうつぶやいたとき、目の前に長身の男が現れた。その男は、にやりと微笑み彼に言った。
「君に特別な力を授けようか?」
急に現れた謎の男に、驚いて声が出なかった。
「あ、あなたは、何者ですか?も、もしかしてあ、悪魔…!」
震える声で声を絞り出すと、
「そんな、物騒なものじゃない。俺はただの人間さ。ただ、普通の人と違って不思議な力を持っているというだけで…」
と笑みを浮かべながらいう。
「不思議な力?」
「そう、さっき君が見たように急に現れたのもその不思議な力のひとつ。ほかにも、人の気持ちを読んだり、オーラが見えたり、多くの力を持っている。」
「そんな人間がいるわけがない!」
青年は反射的に答えていた。
「ならば君は、イタコも霊媒師の存在も信じられないというのだな」
「そ、それは…」
言い及んだ彼の姿を見ながら、謎の男は言った。
「君は霊覚者のエドガー・ケイシーを知っているか?」
「エドガー・ケイシー?」
そんな人物の名前は聞いたこともなかった。
「ふん。なにも知らないという顔だな。いいか、彼は生まれたときから霊が見えていた。そんなことは別に珍しいことでもなんでもない。彼がすごいのは、23歳のときに声が出なくなる病気にかかり、催眠術をやったときだ。彼は自分の病気の治療法を無意識に他人に話したんだ。誰かが乗り移ったように…。そして彼はその治療法で見事に自分の病気を治した。彼はそれから、心理学、医学、哲学とありとあらゆる分野の質問を催眠術を使って答えられるようになった。」
「そんな人間が実際に…」
「ああ、誰もが彼のように科学で解明できない力を持っているというのが私の持論だ」
彼は相変わらず不気味な笑みをたたえて言った。
「不思議な力があることは分かった。でも、その話は俺が力を手に入れるのと関係があるのか…?」
「おおいにある。私は持論の元、様々な催眠術の研究をした。そしてついに、力を手に入れる方法を生みだしたのだ。」
彼はだんだん、その男が言っていることが本当のことのように思えてきた。
「つまり、その催眠術を受ければ力が手にはいると…?」
「ああ、そうだ。君が望めばどんな力でも手に入る。」
男はいった後すぐに付け加えた。
「ただし、一つだけだ。急に複数の力を手に入れると、精神も肉体も壊れてしまう」
ひとつだけ力が手に入るとしたら…。どんな力がほしいだろう。猛勉強せずとも、好きな大学に合格できる力。頭が良くなるような力があったら…。そのとき彼は閃いた。
「一度見たり聞いたりしたことを忘れない力を手に入れることはできるだろうか」
何でも覚えられたら勉強する必要もない。これ以上ない名案のように思えた。
もしその催眠術が本当の話だとしたらだが。
「そんなの簡単だ。かのエドガー・ケイシーも枕の下に本を置いて寝るだけで、本の内容すべてを暗記する力を持っていたからな。」
いかにも得意そうに男はいった。
「では、早速催眠術を受けるか?」
「始める前に聞かせてくれ。どうして俺にそんなことをしてくれるんだ?」
「それは、君が催眠術にとてもかかりやすい体質だからだ…ずっと君のような人を探していたんでね。まあ、大学受験に失敗して、精神が不安定なのも影響していると思うが」
「どうしてそれを…!?」
「初めに言ったじゃないか。私は人の心が読めると」
どうやらこの男の言っていることは真実のようだ。
「あと、一つだけ言わなくてはいけないことがあった。この催眠術で得た力は、一度手に入れたら消す方法はないということだ。それでもいいなら催眠術をかけてやろう。どうだ?」
「こんなすばらしい能力が消えないなんて願ってもないことだ。催眠術をかけてくれ!」
彼は、受験に落ちたショックも忘れて叫んだ。
「わかった。すぐに終わるから、少しの間目を閉じてくれ。」
男の言うとおりに彼は目を閉じた。するとしばらくして、呪文のような不思議な言葉が聞こえてきた。青年はだんだん眠くなった。体が宙に浮いているような不思議な感覚だった。
そのとき、「もう目を開けていいぞ」とあの男の声が聞こえた。
うっすらと目を明けると、その男の姿は跡形もなく消えていた。自分は人気のない路地の真ん中で一人で立っていただけだった。
今のはすべて、夢?だが、あの奇妙な感覚がまだ体に残っている。
俺は本当に、何でも覚えられる力を手に入れたのだろうか。
試しに鞄に入っている単語帳を取り出して眺めてみた。
そのとき、今までにないほどスルスルと脳に単語がはいってきている感覚があった。青年は驚き、無意識に本を閉じた。何だこの感覚は?先ほど眺めた単語が全て脳にあった。さっきの単語を見た順に言うことも余裕だった。本当に、俺は力を手に入れることができたんだ。
早速青年は手当たり次第に持っている本をさらさらとめくった。それだけで、一語一句全て正確に暗記することができた。
家に帰る途中で見た道、人の会話、電車の模様、道端に咲いている草木…目に入るもの、耳に入るもの全てが青年の頭に入った。青年は有頂天になった。これでもう、勉強をする必要もないし、テストにおびえることもないのだ。
しかし、力を手に入れて三日後…男は大学に行く意味が分からなくなっていた。なにしろ、あらゆる知識は本を眺めたりテレビを見たりしているだけで脳に入り込む、ある意味生きているだけでありとあらゆる知識が手に入るのだ。男はこの力のことを、多くの人に話したが誰も信じてはくれなかった。知っている知識を披露してもただの博識だと思われ、間違いを指摘すると煙たがれることさえあった。男はだんだん家に引き込もるようになった。常にあふれかえっている情報が脳に入ってくるのが耐えられなくなったのである。自分に向けられた陰口、他人のどうでもいい話、好きな女子に振られたときの心の痛み…。全ての出来事が、鮮明に思い起こされ、そのたびに男は死んでしまいたいような気持ちになった。こんな生活はもう耐えられない。男は忘却がどれほど大切な役割を担っているかを知った。人間は、過去を忘れられるからこそ前を向いて生きていけるのだ。そもそも、人間は超越した力など手に入れてはいけなかったのだ。だがいまさらそのことに気づいても、もう遅い。この力を消す方法なんてないのだから…。
数日が経過し、男は限界に達した。生きる意味が見い出せなくなった。男は部屋で、自分の脳にある何千とある自殺方法から一番楽に死ねる自殺法を思い浮かべた。そして男は迷うことなく薬を口に含んだ。初めてこの力が役に立ったなと青年は自嘲する。
ごめんな、かあさん、とうさん。だめな息子で。
人はみんな大学が落ちたショックで自殺したと思うだろう。
意識が途絶える直前、力を自分に与えた男はどうやって生きていたのだろうかという考えが頭に浮かんでそのままバタリと倒れた。青年は二度と目を開けることはなかった。
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「報告です。我が社が開発した商品を使用した地球人が今日亡くなりました。」
空に飛んでいる飛行物体の中で、一人の長身の男が椅子に座っている中年の男に言った。
「またか。やはり、我々が発明した超人的な力を手に入れられる装置は地球人にはむいていなかったのだろうか」
男は静かに、窓の外を眺めながら言った。
「地球人は、宇宙人の中でも人一倍欲が強く、超能力的な力が好きだと我が社の研究結果にはあったのですが…。前回、試作品を地球人に試し売りをしたときは大成功だったのに」
「ああ、あのブッダとかキリストとか言う地球人か。あの時は多くの人があの力をうらやましがり、崇拝していた。これは、ヒット商品間違いなしだと研究を重ねてきたのに…科学が進歩したせいであの地球人はだんだん超能力的な力に寛容ではなくなったのだ。」
「確かに、ヒトラーという地球人が使ったときは散々な結果になりましたね。ブッダやキリストのように人を導く偉大な人物にはなりませんでした。」
「つまり我々の開発した新商品は地球人には使えないのだ。しばらくは、これまでどおり一部の地球人に霊のようなものを見せる超音波を送り続けよう。」
「はい。霊とかお化けは宗教にかかわらず、信じている人がたくさんいますからね。」
「ああ、あれはサンタクロースよりヒットした商品だ。信仰心というものは、地球人だけが生み出すもので金になるからな。これからも、多くの商品を開発しなくてはな。それより、地球人にばれるような痕跡は残さなかったかね?」
「ええ、いつもどおり、相手には人間と思われるように接客しました。怪しまれておりません。霊やエドガー・ケイシーの話をしたらすぐに商品を使用してくれましたよ。」
「そうか…」
いったん会話が途切れ、長身の若い方の男が言った。
「地球人はいつになったら気づくのでしょうか…超能力的現象も科学でもたらされたものだと…」
「そんな時は来ないだろう。なにしろ、地球人というのは自分達の狭い世界で精一杯で、広い世界をみようとしないからな。少なくとも、仲間同士で争っているうちは我々の高度な技術に気づくことは決してない。」
「つまり、永遠に気づかないということですね。」
「ああ、我が社は永遠に安泰だ」
二人の男は、スルスルと人間とかけ離れた生命体の形となり、飛行物体から地球を眺めて高らかに笑った。
【FIN】
記憶力 結城 郁 @kijitora-kujira
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