wishing star
——ありがとう、ユリア。生きていてくれて。……俺を、選んでくれて。
ずっと耳に残っている。あの日、グランヴァルトがくれた言葉。
彼のぬくもりや匂いとともに、何度も何度も内側で再生される。
ありがとうと言ってくれた。愛してると言ってくれた。
彼と同じ気持ちを返したかった。それなのに、涙に咽んでしまったせいで、結局言葉にして伝えることができなかった。
ユリアの想いが、またさらに膨らんだ。
迎えに来たジークが、その泣き腫らした顔を見てぎょっとし、グランヴァルトに詰め寄るという一幕もあったが、心配するようなことは何もないと説明して納得してもらった。
きらめく一番星の下。帰りの車内にて。
言わなくてもよかった。黙っていてもよかったのだ。けれど、グランヴァルトがその生い立ちについて明かしてくれたということを、ジークにだけは話しておこうと思った。
再度涙が込み上げてきて上手く喋れなかったが、ジークは最後まで静かに耳を傾けてくれていた。そして、「そうか」と呟くように返事をすると、切なそうに、嬉しそうに、微笑んだ。その表情は、凄絶な
ともすれば、帝国全体をも揺るがしかねないこの事実。一部の、それも公人以外でこのことを知っているのは、おそらくユリアだけだろう。
自分は特別。グランヴァルトの、特別。
一緒にいられる。嬉しい。一緒にいたい。ずっと……ずっと。
でも、それでいいのだろうか。
自分が彼の特別で。自分が、彼の隣にいて。
本当に、それで。
それは——
「ホウレンソウはこのくらいでいいかしら?」
声のしたほうへと振り向けば、歩み寄ってくる祖母が見えた。
手にはバスケット。今しがた間引いたばかりのホウレンソウのほかに、同じく抜いたばかりのラディッシュが積み重なっていた。鮮やかな緑と艶めく白が、陽の光を反射する。
「ありがとう、おばあちゃん」
畑の真ん中、畝を踏まないよう注意しながら、ユリアはシェリーに近づいた。受け取った野菜からふわりと香る土のにおい。清々しく、どこか懐かしさをおぼえるようなにおいに、思わず顔がほころぶ。
「来週には、白菜が食べ頃になるはずよ」
そう言ったシェリーの視線の先には、中心部がぎゅっと詰まった瑞々しい白菜が並んでいた。つやつやとした葉が幾重にも重なったそのさまは、さながら大きなバラのようだ。
「おばあちゃんの育てた白菜、甘くて美味しいから楽しみ」
白菜を使用したレシピをいくつか思い浮かべる。どんな料理にも合うけれど、やっぱりシチューに入っているのが一番好きだなと、ユリアは胸をわくわくさせた。
シェリーから野菜を取りに来るよう連絡があったのは、昨日の夜のこと。連絡を受けた母のアンジェラに誘われ、急遽ユリアの同行が決まった。
現在、アンジェラは中で紅茶の用意をしている。来る途中で購入したパンプキンタルトは、シェリーの好物だ。
祖父のエドガーが亡くなって以来、シェリーはここでひとり暮らしている。かつては家族五人で暮らしていた大きな家。家庭菜園と呼ぶには少々広すぎる畑。
こんなふうに子どもたちが交代でシェリーのもとを訪ねては、近況をきいたり、家事や植物の世話を手伝ったりしているのだ。
「アミルくんたちは? 元気にしてるの?」
「え? あ、うん。みんな元気だよ」
バンドメンバーたちも、シェリーとは長い付き合いだ。アンジェラが彼らのことを実の子ども同然に思っているように、シェリーもまた、彼らを実の孫のように思っている。育てた野菜や花を贈ったり、家へ招いて料理を振る舞ったりして。
アンジェラが、セオドアが、ともに作った大きな家族。大きな大きな、家族。
ふたりの結婚を反対した当時の自分を、シェリーは恥じている。あの頃は、それが娘のためだと信じて疑わなかった。エドガーに窘められ、ふたりが結婚することになってもなお、納得できずにいた。
娘との深い確執。それを修復し、自身の過ちに向き合うきっかけを作ってくれたのは、初孫のロナードだった。
「あ! 新しい花壇だ」
家の中へと戻る道すがら、ユリアの目に留まった、白い煉瓦の花壇。塀を背に、半円を描くように作られたそこには、真白いペチュニアの花とシマトネリコが一本植えられていた。
「可愛いでしょう? この前ロナードが家族で遊びに来たとき、みんなで作ってくれたの」
ところどころ歪に置かれた煉瓦は、おそらく、今年五歳になる甥が手掛けた箇所だろう。少し動かせばすぐに整いそうではあるが、これはこれで味わい深いし微笑ましい。
兄家族が揃って作業している光景を思い浮かべ、ユリアは笑みをこぼした。
不意に。
「……ねえ、おばあちゃん」
「どうしたの?」
ユリアの視界いっぱいに映った、まるで宝石を散りばめたかのような花々。
かすかな風に揺れる白やピンクの花弁が、庭の片隅できらきらと躍っている。
「あそこにいっぱい咲いてる星型のきれいな花、なんていうの?」
「ああ。あれはね、ペンタスっていうのよ」
「ペンタス……」
「ええ。たしか、スハラ地方が原産じゃなかったかしら」
スハラ。アミルの故郷。
乾燥帯に属するスハラは、植物の生育には非常に厳しい環境だ。その中でも育つ樹木や花は本当に貴重なのだと、ユリアは以前アミルから聞いたことがあった。
花言葉は〝希望〟。
今年の秋は気温が高かったため、このあたりでもまだ咲いているのだと、シェリーは教えてくれた。
つい先日、シャレムと面会を行ったというアミルから連絡があった。通算七度目となる面会も、相変わらず進展はなかったらしい。
面会後は、兄と久々に
「……」
アミルからシャレムとのことを聞くたび、二年前のサミットでの出来事が脳裡によみがえる。
シャレムの嘆きが、アミルの慟哭が、ずっと耳にこびりついて剥がれない。同時に、もしもグランヴァルトが皇帝ではなかったらと考えると、想像するだけで怖くなった。
たった一度の、それも一瞬の選択で、人が死ぬ。……思い知らされる。それが、為政者なのだと。
「紅茶の用意できたわよ。冷めないうちに飲みましょう」
アンジェラの声に、ユリアははっとした。慌てて返事をかえし、シェリーに続いて家のほうへと歩みを進める。
わからない。自問に対する答えが。自分の取るべき正しい選択が。
自分の気持ちを優先することは、この国にとって、
この国の民にとって、
はたして——
——ゆるされるのだろうか。
◆ ◆ ◆
灼熱の太陽が沈み、涼風が庭園を吹き抜ける。
漆黒の夜空にまたたく無数の星。降り注ぐ銀色の月光が、庭に咲くペンタスの花々を優しく照らす。
彼は思う。この庭で——この島で飲む酒は、格別だと。
「アレがまた癇癪を起こしたらしいな。お前のおかげで女中がひとり助かったと聞いている」
「間一髪でした。私の到着があと少し遅れていたら、おそらく……」
「殺されていただろうな。……お前がいてくれて本当に良かった。礼を言う」
「いえ……」
真摯な眼差しとともに注がれた謝意に、深々と頭を下げる。と、グラスが空いていることに気づき、急いで酒をつごうとするも、自分で適当につぐから構わないと制されてしまった。
夜が深まるにつれ、月光が強まるにつれ、幻想的な光を放つペンタスの花。甘やかな香りが、あたりを包み込む。
今この場にいるのは、彼らふたりだけだ。
「貴方の兄君に仕えることが、私に与えられた任務ですから。……貴方の臣下としての」
ぴくっと、整いすぎるくらいに整った彼——ファルクの顔が、わずかに歪んだ。この言葉には、彼にとって忌むべき表現が含まれていたらしい。
「何度言えばわかる。俺はアレを兄だと思ったことはないし、お前のことを臣下だと思ったことも一度もない」
憂いを帯びた低声が、澄んだ空気を静かに震わす。
どこまでも真っ直ぐな彼の双眸。頭上の星にも月にも劣らないその気高さは、まさにこの国の希望だ。
「俺の兄はお前だけだ——ナジュ」
太陽と月の狭間で 那月 結音 @yuine_yue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。太陽と月の狭間での最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます