clamp(2)
刹那、視界が白に染まった。
額に手でひさしを作り、陽光を遮る。薄暗さに慣れた目が悲鳴を上げるほどの眩しさだった。
拘置所の外。判然としないものを胸に抱えたまま、アミルは歩き始めた。
もやもやする。シャレムの意味深な発言が、ずっと頭から離れない。
自分の気持ちは、言葉は、ちゃんと伝えられた、と思う。そのうえでの、あの発言。
——今はまだ、その時じゃない。
「……どういう意味だ?」
今はまだ、ということは、いつかその時が来るということなのだろうか? いつかっていつ? その時って?
「あの頑固親父……わかんねーよ。もっとはっきり言え」
溜息まじりに吐き捨てる。もやもやがいらいらと化すも、相手のいない悪態ほど虚しいものはない。「あーっ!」と叫びたい気持ちを抑えこみ、アミルはしかたなく家路に着くことにした。
頭をがしがしと掻きながら、拘置所の敷地から一歩外へと踏み出した。
そのときだった。
「おつかれ」
突として鼓膜を打った、馴染みのある声。驚き、目を見開くも、アミルはすぐさま口の端を上げた。頬が自然と緩むのを自覚しながら、早足でその人物のもとへ歩み寄る。
「なんでここにいるんだよ」
その人物とは、親友の司法官——ロナードだった。
法服ではなく私服姿の彼は、まさにモデルさながらの美丈夫。ブロンドの髪を崩し、黒のライダースジャケットを羽織った容貌は、端正かつ華やかなオーラを放っている。妹同様、ひときわ目を惹く存在だ。
「今日ここ来ること、誰にも言ってねーんだけど」
「職権濫用して教えてもらった。たまたま休みだったから、消沈した顔でも拝んでやろうと思って」
歩道脇のガードパイプから腰を持ち上げ、ゆっくりとアミルに近づく。職業柄、何かコネがあるのだろうか。面会が終了する時間を見越して待ち伏せしていたのだと、ロナードは笑った。
「お前、このあと予定は?」
「え? いや、とくにないけど」
「じゃあ、何か食い物買って、
まったくもって予期せぬ展開だったが、断る理由なんて皆無とばかりにアミルは肯いた。親友との時間は、無条件でわくわくする。互いに多忙を極めているゆえ、よけいに。
それに、誰にも聞かせられない話をするなら、あの場所は打ってつけだ。
沈んでいた心が浮上する。頭の中で食べたいものリストを作成しながら、アミルは親友と肩を並べて歩き出した。
◆
「もうすっかり色づいたなー」
見渡すかぎりの雑木林は、そのほとんどが広葉樹のため、どれも赤く黄色く色づいている。中にはすでに落葉し終わっているものもいくつかあって、得も言われぬ物悲しさが胸中に染み込んできた。
「いい匂い。オレ、ここの匂いが一番好き」
「お前、ここに来るといつもそう言うよな。匂いって何の? 木?」
「んー……木なのかな? あ、いや、木だけじゃねーかも。うまく説明できねーけど。……スハラってさ、乾燥してるから生えてくる植物って限られてるだろ? だから、こっちでいろんな植物を知って、マジで感動したんだよな」
こんなにも緑が鮮やかな景色が存在するのかと感動した。雨露に濡れる葉っぱが、こんなにも美しいのかと。
アンジェラやルナリアの影響で観葉植物にも興味を持つようになり、彼女たちに教えてもらいつつ、独学でもいろいろ勉強した。その結果、今では十数種類もの植物たちと同居するようになった。
「なるほどな。俺は生まれたときからこの景色が当たり前だったから、とくに意識したことはなかったが……お前には特別だったんだな」
「そうそう。当たり前じゃねーんだぞマジで。感謝しろ?」
そう言って部屋の中央に座り込むと、アミルは買い込んだ食べ物を袋から出し始めた。ハンバーガーやピザ、フライドポテトといった、数々のジャンクフード。ロナードに財布を出させないよう牽制しながら、この日の代金はすべてアミルが支払った。
普段はあまり食べない好物を、非日常の中で旧友とともに食べる。ここでこうして過ごしていると、背伸びしていたあの頃の自分たちに戻れるような、そんな気がした。
けれど、いつまでも懐かしさに浸っているわけにもいかず。
「……聞いてもいいか? 今日彼と話したこと」
街中の喫茶店ではなく、ここへと移動した目的を果たすべく、ロナードが口を切った。
「……いいけど、なんの進展もねーぞ?」
この日の本題。アミルとシャレムの面会。
アミルは、先ほどのシャレムとのやり取りを、包み隠すことなくすべて話した。相変わらず互いに悪態をついてしまうこと。相変わらずシャレムは黙秘を貫いていること。
ライラの死の詳細は、ロナードもすでに知っているため、ここでは省略した。
「……『今はまだ』って言ったのか?」
「ああ。ちょうど時間が来て、それ以上は何も聞けなかったけど」
「彼の言ったことをそのまま鵜呑みにするなら、供述するつもりはある……ってことになるな」
「……そう思いたいけどな」
シャレムはいったい何を思ってサミットで凶行に及んだのか。ライラの復讐であることは明白だが、なぜあの場所を選んだのか。
ひとりで考え、実行したはずはない。そんなこと、あの国でできるはずがない。アミルは痛いくらいに知っている。それほど監視の厳しい国なのだ。
「……もし、おっちゃんがライラのことを供述すれば、どうなるんだ?」
「通常は、真偽を確かめ、証拠を集めるということになるが……国外で、しかも相手が閉鎖的なあの国の王太子だからな……かなり厳しいと思う」
証拠——とくに物証を集めることは難しいだろう、とロナードは言った。供述すること自体を否定はしないけれど、と。
「やっぱ無理なのかな。アイツの悪事を暴くのは」
「そうだな。あの国で、ある程度地位のある人物の証言があればまた違うだろうが……王太子と同等か、それ以上の地位となると……」
「……いねーよな」
悔しさや怒りが、腹の底から際限なく込み上げる。
いくら年を重ねても、無力な自分が、情けなくて不甲斐なくてたまらない。あれから十八年も経つというのに、一縷の望みでさえも叶わないのか。
肩を落として項垂れる。
そんなアミルの頭を片手で鷲掴みにすると、ロナードは無遠慮にわしゃわしゃと撫で回した。さながら鳥の巣のように爆発したアミルの頭頂部、その様を見て、痛快とばかりにケラケラ笑う。
右手で右手を払いのける。左手が飛んでくる。左手で払いのける。右手が飛んでくる。
このくだらない応酬を数回繰り返した後、アミルは振り仰ぐようにして顔を持ち上げた。視界に入ってきたのは、満足そうなロナードの顔。相変わらずの雑な慰め方に、怒る気力も消失した。
そう。慰めなのだ。コイツなりの。
下を向くな——そう、言っている。
気持ちを刷新し、アミルはロナードのほうへと向き直った。今なら、ロナードになら、話ができる。そう判断し、これまで一度も口にすることのなかった疑念を、このタイミングで初めて吐露することにした。
「……オレ、ずっと不思議に思ってることがあってさ」
「ん?」
「言っただろ? ライラは逃げ出してきたって」
「ああ。たしかそう言ってたな」
「……逃げ出せると思うか? 宮殿にいたんだぞ? 間取りだって複雑なはずだし、警備だって厳重なはずだし」
幼心におぼえた、かすかな違和感。
不可解だった。誰にも見つからずに宮殿から逃げ出すことなど、本当に可能なのだろうかと。
これを聞いたロナードは、アミルが言わんとすることを、瞬時に的確に汲み取った。
「……彼女が逃げ出すのを手伝った人物がいるってことか?」
まさか。
そんなこと。
「わかんねーけど……そう考えるのが自然なんじゃないかって、オレは思ってる」
まさか。
これは、アミル自身も思っていたことだ。だからこそ、今まで誰にも言わず、自分の中にしまい込んでいた。
おびただしい数の
厳重に封じ込んでいたはずの扉。その扉が、十八年の時を経て、勢いよく開け放たれた。
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