clamp(1)

 ——アミルは将来何になりたいの?

 ——……まだ決めてない。

 ——嘘ばっかり。ミュージシャンでしょ?

 ——知ってるなら聞くなよ。……けど、無理に決まってる。

 ——誰が決めたのよ。無理じゃないかもしれないじゃない。

 ——無理だよ。この国にいるかぎりは。

 ——じゃあ、出ていけば?

 ——……っ、簡単に言うなよ。ほんとお前って楽天的……っ!? いってぇな!! しばくなよっ!!

 ——いつまでもうじうじしてんじゃないわよ。最初から諦めてちゃ、始まるもんも始まらないでしょうが。あんたはどうしたいわけ?

 ——……、俺は……。

 ——ねぇ、アミル。出ていくきっかけがあるなら、出ていってもいいのよ? この国に縛られる必要なんてない。自分の才能、潰すようなことしないで。

 ——……。

 ——あんたのことだもの。どこへ行っても、すてきな仲間に出会えるわ。きっと。





 ❈ ❈ ❈





「……また来たのか。頑固だな」

「おっちゃんにだけは言われたくねぇ」

 通算七度目となる面会も、やはり悪態から始まった。

 透明のアクリル板越しに交わされる、アミルとシャレムの会話。最初の頃ほど派手に言い合わなくなったとはいえ、小さな火花は今日もぱちぱちと散っている。

 この二年、アミルはこうして面会に訪れ続けている。忙しい合間に無理やり時間を作っては、めげることなくずっと。

「もうここには来るなって言ってるだろ。仲間に迷惑がかかる」

「だから理解してくれてるって言ってんだろ。つーか、そう思うなら正直に全部話せよ。そしたら来る必要もなくなる」

 互いに一歩も譲ることなく膠着状態が続く。まさに似た者同士。

 ふたりを今日も後ろで見守る青年担当官は、この言葉を胸に浮かべ、ひとり静かに笑みを滲ませた。

 事件に関して、取り調べにも、弁護人にも、これまで一度もシャレムは口を開いていない。本来ならもうとっくに裁判が始まっているはずだが、重大かつ慎重に対処すべき案件であるため、いまだ処遇が決まっていないというのが実状だ。

「……本当にいい国だな、ガルディアは」

 と、それまで尖っていたシャレムのトーンが変わった。アミルの顔を見ることなく、俯き、しみじみと言葉を滴下する。

「冤罪でもなんでもない。はっきりと罪を犯したオレに、弁護士をつけ、食事を出し、寝床を用意し、祈りの時間まで与えてくれる。……自由の意味が、わからなくなりそうだ」

 拘束された当初と同じ思い。だが、その程度は、この二年でよりいっそう大きさを増した。

 人権という、何よりも尊重されるべき権利を、生まれて初めて行使している気がした。衣食住だけではなく、信じるものの異なる自分に、そのための時間を設けてくれる。一日も欠かすことなく、決まった時間に。

「……親友の司法官に聞いたけど、裁判が開かれて有罪が確定するまでは、厳密にはまだ犯罪者じゃねーって。けど、有罪になって刑務所入ったとしても、拘置所こっちで認められてる権利はちゃんと認めてくれるって言ってた。ここはそういう国なんだ。スハラとは違う。……頼む。正直に話してくれ。あいつがライラにやったこと含めて全部」

「……」

 ライラ——アミルの幼馴染み。オマールの気まぐれで身も心もボロボロにされ、みずから命を絶った、シャレムのひとり娘。

 十八年前。市場でオマールによって攫われたライラは、宮殿へと連れて行かれた。そこで何をされたのか……詳細はわからないし、想像もしたくないが、数ヶ月後、命からがら逃げ出してきたという彼女の手足を見て、アミルは言葉を失った。

 彼女の美しい肌を塗りつぶすほどの黒い刺青。玩具ペットとして、奴隷として弄ばれたことは、火を見るより明らかだった。

 逃げてきた。けれど、実際のところ、逃げる場所なんてどこにもなかった。『所有の証』を刻まれた彼女の未来は、彼女の美しい肌と同じように、黒く塗りつぶされてしまったのだ。

 彼女には夢があった。亡くなった彼女の母と同じ、教師になるという夢。その夢が、命が、潰える瞬間を、当時十四歳だったアミルは目の当たりにした。

 彼女は飛んだ。

 笑いながら、泣きながら、橋の欄干に足をかけ——飛んだ。

 伸ばした手は、届かなかった。

「あの頃のオレは、何もかも諦めてた。変えたいと強く願っても、何も変わるはずないって……仕方ないって。ライラの死すら、諦めたんだ。けど、この国に来て、家族みたいな仲間ができて、そうじゃないって教えてもらった。……なかったことにしていいはずない。まだ十七だったんだぞ? ライラの死を無駄にしないためにも、アイツの悪事知りうるかぎり全部公表しなきゃだめだ」

 スハラではたやすく握りつぶされる言葉も命も、この国では守られ、自由に表現できる。この国にいるからこそ、音にできる。

 何も変わらないかもしれない。それでも、変わる可能性が一パーセントでもあるのなら、とにかく一石を投じなければ。

 波紋を作らなければ、うねりを起こさなければ、何も始まらない。

「もう、諦めたくない。逃げるようなことしたくないんだ」

 アミルの力強い眼差しが、声が、シャレムの心臓を真っ直ぐ射抜く。

 今、自身と対峙しているのは、もはやあの頃のアミルではない。すぐにべそをかき、娘に叱られ諭されていた、幼い少年ではなくなっていた。いつまでも子どもだと思っていたのに……知らないあいだに成長していたのだ。異国の地で。立派な、青年へと。

 射抜かれた心臓が、熱を帯びていく。

 決意が——鈍りそうになる。

「頼むよ、おっちゃん」

「……っ、……今はまだ、その時じゃない」

「え?」

「時間です!」

「ちょっ……それどういう意味だよ! おっちゃん!」

 喉から絞り出すように漏らしたシャレムの言葉、その真意を質そうとアミルが身を乗り出すも、時間が来てしまった。けたたましくブザーが鳴り渡る。

 一度も振り返ることなく、シャレムは出ていった。褪せることのない悲しみに沈んだ背中を、ただ黙って目送する。

 硬質な閉扉音が、アミルの耳朶を冷たく打ちつけた。

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