malignity

「帰りたい……」

 目障りなキラキラと耳障りなザワザワに、グランヴァルトの口から思わず本音が漏れ出た。

 右を向いても左を向いても実にけばけばしい。かれこれ二時間くらいこの空気に揉まれているが、慣れるどころか気分は増悪するばかり。とくに何も口にしていないが、胸焼けしそうである。

「どうしてこうも派手に騒ぎたがるんだこいつらは。食いモン絶対余んだろ。まず『エシカル』って単語覚えて理解してから来いよ」

 淡々とした語調で独り言つ。「時代は『エシカル消費』だぞ、わかってんのか」と、たたみかけるように呟けば、従者のひとりに軽く諫められた。本日何度目かの溜息が、グランヴァルトの周りで群発する。

 見渡すかぎり竜人。どこを向いても竜人、竜人。

 現在催されているのは帝室主催の建国記念パーティーなのだが、変わり映えのしない貴族メンツ、その内側にこびりついた驕慢さに、グランヴァルトは辟易していた。

 ところが。

「あ」

 今夜は、やや様相が異なっていた。

 何か面白いものを見つけた子どものように口角を上げ、従者の制止を制して座っていた椅子から立ち上がる。ロイヤルブルーのマントから覗く爪先は、とある夫妻のもとへ向けられた。

 部屋の一隅。

 この空間において、ひときわ異質で、ひときわ精彩を放つふたり——フレイム侯爵夫妻である。

「よう、ジーク。ご足労痛み入るな」

 取って付けたような敬語を投げかければ、ジークは包み隠すことなく面倒くさそうなオーラを放出させた。その相貌が可笑しくて可愛くて、つい噴き出してしまう。

 銀色の長髪を珍しくひとつに束ね、ロイヤルブルーの礼服を身に纏った幼なじみ。その隣には、金色の髪を結い上げ、パールホワイトのドレスを纏った彼の妻がいた。

「楽しんでるか?」

「愚問ですね。陛下こそ、すでにいくつ愚痴を零されたのですか?」

「まっ、両手じゃ足りんだろうな」

 肩をすくめてこう答えると、ジークは従者たちよろしく嘆息した。けれども、直前までの険しい貌から一転。心なしか、その硬さが和らいだ気がする。

「そっちにいるのが噂の嫁か」

「ええ。……そういえば、会うのは今日が初めてでしたね。妻のディアナです」

 一方、彼の妻はというと。

「あっ、お、お初に、お目にかか……かかりますっ、ディアナ、と、申します……っ!」

 見事に角張っていた。

 さながら石像。皇帝グランヴァルトの御姿みすがたを視認したときからずっと、ジークの妻——ディアナは、瞠目したまま、まるで脚を床に固定されたかのように直立していた。

「堅苦しい挨拶は抜きだ、抜き。……今日は悪いな。わざわざ時間取らせちまって」

 そんな彼女に対しても、グランヴァルトはいつもの調子を崩さない。宮殿ここに来てから、およそいい思いをしていないであろう彼女を配慮する。

 この場で唯一のヒト。それも、貴族界の高嶺の花と謳われるフレイム侯爵が選んだ相手。……とあらば、好奇の目を向けられるのも致し方のないことなのだろうか。

 羨望の的になるのも。嫉妬の炎を燃やされるのも。

 に、歪んだ関心を示されるのも——。

「慣れない場所で疲れただろ? 休みたくなったら、遠慮せずに言ってくれ。医務室に案内させる」

 グランヴァルトは気づいていた。自身がここへ来る前、夫婦が誰と話をしていたか。

 あの男——リヴド伯爵と話をして穏やかでなどいられるはずがない。ジークが険しい貌をしていたのが何よりの証拠だ。

 毒気を孕んだこの空気にあてられる前に休んでほしいと思った。「帰りたい」という気持ちがわずかでもあるのなら、そうしてくれても構わないと。

 しかし、そんなグランヴァルトの心配は、まったくの杞憂に終わった。

「あ、お、お心づかい、恐悦至極に存じます。……わたしは、大丈夫です。ジーク様が、隣にいてくださいますので」

 美しい、凜とした瞳がグランヴァルトを見上げる。まるで澄んだ星空のような瞳。夫であるジークのことを、深く愛し信頼している瞳だ。

 彼女と話したこのわずかな時間で、グランヴァルトは確信することができた。彼女なら——大事な幼なじみの選んだ彼女なら、きっと大丈夫だと。

 この国の未来を、ともに切り拓いてくれると。

「あ、あの……恐縮ではございますが、少し、夜風に当たってきてもよろしいでしょうか? 顔が、火照ってしまって……」

「ん? ああ。空調効いてるっても、中は暑いもんな。そこのバルコニーで涼んでくるといい。下に噴水があるから、幾分冷たい風が吹く」

「おいで、ディアナ。こっちだ」

「い、いえ。わたしはひとりで大丈夫ですので、ジーク様は、どうか、陛下とご歓談を」

 こう言ってぺこりと頭を下げると、双頬を押さえながら、ディアナは足早に歩いて行った。白い肌が、耳の後ろまで桃色に染まっている。室温のせいもなくはないが、あまりの緊張に息が弾んでしまったようだ。

 だが、ディアナがひとりでこの場を離れた理由は、それだけではない。

 多忙を極め、会う機会も話す機会も少ないジークとグランヴァルトが、少しでも長く一緒にいられればいい。そう考えたがゆえの言動であった。

「いい子だな」

「はい」

「お前のそんな幸せそうな顔、初めて見た」

「おかげさまで毎日充実しています」

惚気のろけか」

「惚気です」

 あまりの直球ぶりに一瞬だけ面を食らうも、グランヴァルトはふっと笑ってその言葉を受け止めた。それから従者のほうに視線を送り、ひとりでバルコニーに出て行ったディアナを警護するよう目配せをした。

 結婚とはこんなにも人をまるくするのか。顔つきを変えてしまうほどに。……いや、おそらくそうではない。結婚はあくまできっかけに過ぎない。自分にとって相手がどういう存在であるかが肝要なのだ。

 ここで、グランヴァルトの脳裡に、とある姿が浮かんだ。

 それは先日。世界公演のグランドフィナーレを、ここ帝都で迎えた歌姫の姿。

 全日程を無事に終了し、このご時世にもかかわらず、観客動員数は延べ60万。その経済効果たるや凄まじいものであるとの試算が、国内の経済紙を軒並み賑わせていた。

 ユリア・マクレーン。母方の姓をアーティストネームに用いる彼女の出生名は、ユリア・シュトラス。

 グランヴァルトが、今もっとも会いたいと願う人物である。

「……ありがとな」

「何がです?」

「カード。送ってくれたんだろ? 花と一緒に」

 グランヴァルトの突然の謝意に首を傾ぐも、その真意を理解したジークは相好を崩してかぶりを振った。申し訳なさそうに微笑を零すあるじに、「気にしないでください」となだらかに告げる。

 ユリアと会ったわけでも話をしたわけでもないが、カードを手にした彼女がどんな様子だったか想像に難くない。もしかすると、これまでに見たことがないような喜色を浮かべていたかもしれない。

 ユリアとグランヴァルトが恋仲となったのは、およそ二年前。以来、何度かジークが機転を利かし、ふたりが一緒に過ごす時間を作ってきた。といっても、国外での任務が圧倒的に多かったため、自身を含めて三人の時間を調整するのは、かなり骨が折れた。

 グランヴァルトの周囲でふたりの関係を知るのは四人の従者のみ。ともすれば国家を揺るがしかねないこの事態に、皆一様に驚き、困惑していた。

 ジークとて、複雑な感情をかかえている。二年経った今でも、簡単に拭い去ることはできない。それでも、ふたりのためにできることは何でもするという心づもりでいる。それは、グランヴァルトに仕える従者たちも同じだろう。

 ふたりが繋がったその縁を、互いを想い合うその気持ちを、大切にしたいのだ。

「お前もユリアにずっと会ってないのか?」

「はい」

「どのくらいだ?」

「陛下と同じです。一年ほど前、一時帰国した際にユリアをここへ連れてきたでしょう? あれ以来、私も会っていません」

 グランヴァルトの問いかけに、寂しそうな笑みを滲ませる。

 周遊中にディアナとの結婚を報告したとき、ユリアは何度も何度も嬉しそうに祝いの言葉をかけてくれた。早くディアナに会いたいと、会える日を心から楽しみにしていると。

「世情が世情なので、妻と会う場を設けるのも見送っていますが……早く、紹介したいと思っています」

 身内で最年少の自分に妹ができると喜んでいたユリアに、どちらかと言うと姉ではないかと指摘すれば、しばし呻吟した後に「どっちでもいい!」と、いかにもユリアらしい返事が返ってきた。ユリアのほうがディアナより6つも年上なのだが、童顔も相俟ってとてもそうは見えない。本人の前では言えないけれど。

「……。そのうち、お前の耳にも入るだろうが……」

 不意に、改まった口調でグランヴァルトがこう切り出した。声のトーンを抑え、ジークの公人としての意識を誘う。

 刹那。

 ぴりっと、空気が引き攣った。

「このパーティーを最後に、しばらく帝都での公務は行わないことにした。早ければ、来週にもコテージへ移動する」

「……っ」

 グランヴァルトの言葉に、ジークは無言のまま目を見開いた。自身の心臓の音が、まるで地鳴りのように内側で響き渡る。

 グランヴァルトの言う『コテージ』とは、彼個人が所有する別荘のことで、帝都から離れた山深い場所に佇む、いわば隠れ家だ。その存在は、彼自身に近しい、ごく一部の者しか知らない。

 驚いた。けれど、想定していたことではあった。

 あれから二十余年……彼とあの場所は、どうやっても切り離すことができないのだろうか。

「……期間は?」

「わからん。正直、俺は逃げるみたいで嫌なんだが……周りの連中のことを考えると、そうも言ってられんからな」

 周りの連中——すなわち、『自身を護衛する者たち』のこと。グランヴァルトが表に出れば出るほど、彼らの仕事の難易度は上がる。護ることが仕事とはいえ、彼らのためにもできるかぎり危険は回避したいと、グランヴァルトは考えているようだった。

 すべてジークにとって想定内の返答。わかっている。期間など、自分たち次第なのだ。

「そんな顔するな。ガキの頃、あの場所で軟禁されていたことを思えば、短期間くらいどうってことない。……早くここへ帰らせてくれるんだろう?」

「……、……必ず」

 力強いジークの眼差しに、グランヴァルトは満足げに微笑んだ。全幅の信頼を込めて、胸もとを拳でぽすんと殴る。

 絶対に屈するわけにはいかない。奴の主義主張など、国家として到底容認することはできない。

 嬲るような目つきでこちらを見ているあの男を、ふたりはじっと睨んだ。ひたすら真っ直ぐに、たゆむことのない確かな意志を持って。

「さて、と。俺らが一緒にいたら、いつまで経ってもお前の嫁が戻って来れんな。そろそろ迎えに行ってやれ」

 少なからず害した気分を一掃するように、グランヴァルトは軽く咳払いをした。自分たちを気遣って戻らないディアナを気づかい、ジークの肩をトンッと叩く。

 これに対し、静かに一礼すると、ジークは足早に妻のもとへと歩いて行った。

 結婚し、さらに大きくなった幼なじみの背中を、眩しそうに見送る。

「あー……」

 口から出て耳に入ってきたのは、蓋をしていたはずの羨望。それを自覚すれば、あとはもう抑えることができなかった。

 睦まじい夫婦の麗しい姿を見届けた、その直後。

「ユリアに会いたい……」

 やんごとなき嘆息が、高くきらびやかな天井に立ち上った。

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