ChapterⅢ:a year ago

paradigm

「お疲れ様でしたー!」

 宙に掲げられたグラスが、ちかちかと光を集める。

 ペンダントライトの淡く優しい光。続けて「かんぱーい!」と音頭の声が弾めば、総勢五十名のグラスやジョッキが星屑のように瞬いた。

 中に入っているのは、もちろん酒。ビール、ワイン、シャンパン……それぞれ種類は異なれど、この瞬間のこの味はいつだって格別だ。

「~~っ、んめぇ……!」

 ジョッキを傾け、アミルはその半分を一気に体の中へと流し込んだ。「この時のために生きてんだ俺は!」と、閉じた上瞼にさらにぎゅーっと力を加える。すこぶる上機嫌だ。

「アミルくん、お疲れ様。ビール注ごうか?」

 直前に音頭を取ったユリアが、アミルの手もとを覗き込む。彼が酒豪であることは昔からよくよく存じ上げているので、ジョッキへの配慮も馴れたものである。

「いんや。適当に自分で注ぐから気にすんな。それよか、ほかのスタッフんとこ行ってこいよ。みんなお前と話したがってるぞ」

 しかし、彼から返ってきたのは、こんな言葉だった。

 この日、ユリアたちは、年始から周遊していた世界ワールド公演ツアーの最終日を迎えていた。海を越え、大陸を跨ぎ、7つの国と地域で行われた公演回数は、延べ30回。そのラストは、彼らの母国である、ここガルディア帝国で華々しく飾られた。

 帝都での三日間の日程も無事に終了し、現在は、馴染みのカフェを借り切っての打ち上げに興じている最中だ。

「そうだね。『お疲れ様』と『ありがとう』言ってこなきゃ。少し席離れるね」

「おー、ゆっくり話してこい」

「レイくん。アミルくん飲み過ぎないように見張っててね」

「心配するな。任せろ」

「……ん!?」

 同じテーブルについているレイにアミルのことを託すと、ユリアはにこっと笑ってこのを離れた。

 ユリアがいるのは、バンドメンバー四人を含む五人の島。ほかにも、音響係の島や、照明係の島など、職種によってテーブルが分かれている。彼らの打ち上げは、だいたいいつもこのスタイルだ(……といっても、アルコールがいい感じに回ってくれば、島は体を成さなくなる)。

 不服そうなアミルの顔を尻目に、ユリアはまずスタイリストの島を目指すことにした。

 そこには、彼女がいる。

「みなさん、半年間お疲れ様でした。ありがとうございました」

「ユリアちゃーん、お疲れ様! 今回のステージも最っ高だったよー!」

 興奮冷めやらぬ様子で、この島のチームリーダーを務めるシンシアが、ユリアに抱きついた。

 アッシュグレイのボブヘアがふわりと揺れ、緋色の瞳がきらりと躍る。人懐こい彼女の笑顔は、向けられた人の心を瞬時に癒やしてくれる。

「ありがとう。シンシアちゃんたちのおかげだよ」

 そう言ってぎゅっと抱き締め返すと、よりいっそう強く抱き締められた。

 そんなふたりの見慣れた場景に、近くにいるスタッフたちが目を細める。ヒトのユリアと竜人のシンシア。ここで仕事をしていれば、種族の差などもはや取るに足りない些末な事柄だ。……仲間内だけではない。ユリアのファンを見ても、それは歴然。この半年間、種族の垣根など関係なく、彼らは最高の時間を共有してきた。

 名残惜しいほどに。

「明日から休みかー……何しようかな」

 ようやくユリアから離れたシンシアが、溜息交じりに口を開いた。直前までの明るい表情に、少しだけ翳りが差している。

 実はユリアたち。本日をもって、公の場に顔を出す活動は無期限休止することが決まっているのだ。

「いつまで休みって、はっきりわからないから予定立てにくいよね。旅行とかも行けないだろうし」

 それは、あまりにも不条理な理由から。

「うん。兄にも注意された。とくに『人の多い場所には行かないように』って」

 シンシアの兄とは、言わずもがな、帝国軍中将——イーサン・オランドである。

 シンシアとは似ても似つかぬ魁偉ぶりだが、兄妹きょうだい仲はいたって良好。周遊中も、頻繁に連絡を取り合っていた。

 軍の要職に就いている彼が、なぜ妹にこのような忠告をしなければならなかったのか。

 ここ数ヶ月。ガルディア帝国では、反政府勢力によるデモが各地で頻発している。『竜人とヒトの共栄』という現皇帝が進めてきた施策の撤回を求め、参加者の一部が暴徒化する事例が多発しているのだ。

 また、郊外では、テロリストによる施設の破壊や人質事件も群発したりと、警察や軍が鎮圧に乗り出した例も少なくはない。

 ゆえの活動休止、ゆえのイーサンの言葉、というわけである。

「人の集まるところは、どうしてもリスク高くなっちゃうもんね。……今回、無事に終われて、ほんとに良かった」

 愁眉を開き、笑みを湛えるも、ユリアの顔には沈鬱な色が滲んでいた。

 セキュリティを強化し、万全の体制で臨んだ今回の公演。とはいえ、常に不安はかかえていた。かかえたまま、ステージに立っていた。

 それをおくびにも出すことなく歌いきることができたのは、仲間の支えがあったから。それから、家族の。

 そして——。


 シンシアと話すユリアを視界の端に収め、バンドメンバー四人は馴染みの味を堪能していた。この味も実に半年ぶり。舌鼓を打つたび、故郷に帰ってきたのだと実感する。

 鮮やかな創作料理がテーブルを彩る。晩夏の折から、ナスやトマトといった旬の野菜を楽しめるのも、あともう少しだ。

「レイ、ナスのチーズ焼き取って」

「ん」

「サンキュー。あと、トマトスープも」

「ん」

「サンキュー。……食う?」

「……お前ケンカ売ってるのか」

 愉しそうにケタケタと笑うアミルを、レイが鋭く睨みつける。レイはナスとトマトが大の苦手。それを知ってのアミルの嘲弄だが、二十年近く昔のレイになら間違いなくぶっ飛ばされていただろう。

「ったく、性懲りもなくアンタは……いい加減一発くらいレイに殴られたら?」

「いやいや何言ってんだよ、アイラ。オレ死ぬんだけど」

「レイくん、たぶん食べられるよ。すごい顔になるけど」

「マジで? お前ナスとトマト食えるようになったの?」

「心を無にすれば」

「すごい顔になる時点で無にできてねぇんだよ。つか、食材に失礼だろ」

「だから可能なかぎり避けてるんだよ」

 まるで子どものような言い合いに、そこかしこで笑いが湧き起こる。ある意味、これを肴にして呑むまでが公演だと、スタッフたちは心得ていた。呆れてなどいない。むしろ、愉しんでいる。

 十代の頃に出会った四人も、もう三十代前半から二十代後半。最年少のユリアにいたっては、今年二十四歳になった。

 来年、彼女は、デビュー十周年を迎える。

「……にしても、驚いたよな。ジーク」

「ああ。まさか、こんなに早く結婚するとはな」

 直前までの喧噪はどこへやら。一転、アミルとレイは、話題を弟分の慶事へと切り替えた。

 今春、少年期から旧知の仲であるジーク・フレイムが結婚した。相手は、彼より十も年下のヒトの女性……否、少女。

 昨年末に国外での任務がようやく落ち着き、所属が本部に戻ったことで、先方へ結婚を申し込んだらしい。まさに電撃婚。その一報は、周遊中、彼から直接知らされることとなった。

 驚いた。同時に、心の底から言祝ぎ、歓喜した。

 世情を鑑み、式は内々で小さく済ませたと言っていた。ゆえに、実の家族同然のシュトラス家からも、誰ひとり参列していないのだと。

 詳しいことは、今夜実家に帰ってユリアが聞くだろう。彼らの中で一番喜んでいたのは、他の誰でもないユリアだ。

「それにしても、思い切ったわよね。こんなこと言うと失礼かもだけど、もっと淡泊なのかと思ってた」

「昔はいろんな子とお付き合いしてたもんね」

 十代後半から二十代前半のジークの女性遍歴は、四人ともだいたい把握している。とにかく『去る者追わず』で、交際期間はもって三ヶ月。見かけるたび、違う子が隣で嬉しそうに笑っていた。それは、彼の母の死後が一番顕著だったような気がする。

「……まあ、いろいろあったけどさ。最終的に、アイツが自分で選んで連れてきた子だから。ふたりとも、喜んでると思う」

「ああ。おばさんなんか、跳ねてはしゃいで喜んでそうだよな」

 最後のレイの言葉に、三人がどっと声を合わせて笑った。亡き彼女の言動を細部まで想像し、揃って肩を震わせる。

 ジークの母は、伯爵家の出身であるにも関わらず、それはそれは破天荒だった。四人を見つければ、所構わず飛びつき、撫で回す。「1回しか痛い思いしてないのに、こーんなにいっぱい子どもができて、おばさん幸せ!」などと、わかるようなわからないような持論を、意気揚々と展開するのだ。ジークとそっくりな、あの顔で。

「おじさんがまたすごかったわよね。おばさんのアレを、終始にこにこしながら見守ってるんだもん」

 ゼクスとルナリア。

 ふたりは、種族や身分にとらわれることなく、自分たちと自然体で接してくれた。実の子どものように、無償の愛情を注いでくれた。……本当に、素晴らしい夫婦だった。

「あのふたりや、ユリアんとこの両親見て育ったんだ。大丈夫だよ、アイツは」

「うちのお父さんとお母さんがどうかした?」

 懐かしさに綻んだアミルの顔を、ユリアがひょいと覗き込んだ。つぶらな蒼眼をくりくりとさせ、小首を傾げている。どうやら、島巡りは終わったらしい。

「おかえり。ジークが結婚できて良かったなって話」

「ただいま。……ジーク兄?」

 アミルの返答に、さらに首を傾ける。いまいち話の繋がりが掴めないが、ジークの結婚に関してはまったくもってそのとおりなので、とりあえず数回頷いた。

「ジークの嫁さん、まだ見たことないんだろ?」

「うん。すごく可愛い子だって、お母さんから聞いてはいるんだけど」

「おばさんは見たことあんだ。直接?」

「ううん、写真で。今こんなだから、顔合わせるのはもう少し後にしようって。たぶん、お父さんもまだ会えてないんじゃないかな。あまり家にも帰れてないみたいだから」

 国内の状況が状況ゆえ、ジークの妻との対面は当分お預け。実の妹同然のユリアが『ユリア』であることも伝えられていないらしく、実現するまでには諸々の調整が必要そうだ。

 いつになるかはわからないが、兄から聞いていた心優しい例の少女に会える日を、ユリアは心待ちにしている。


「お疲れ様」

 不意に、ヒールの音に乗って優婉な声が聞こえた。

 五人の前に現れたのは、アーティストマネージャーのミト。今日も今日とて八頭身美人の彼女は、モデル顔負けの元モデルである。

 ひとつにすきっと結い上げた金髪に、深い海のように落ち着いた碧眼。スーツ姿の彼女を見るだけで、なんだか背筋の伸びる思いがする。

「これ、花と一緒に届いてたカード。読むでしょ?」

「あっ、ありがとうございます。早く見に行かなきゃって思ってて……会場では、ちゃんと確認できなかったから」

 ユリアの公演には、毎回多くの花が届けられる。寄せ植え、スタンド、ブーケ……シンプルでシックなものから、鮮烈で絢爛なものまで、形は様々だ。

 その形を、ユリアはとても大切にしている。

「だと思って、送り主のリスト作っておいたわ。ざっと纏めただけだから、また後日事務所で整理し直さないとだけど」

 そう言うと、ミトは束ねたカードとリストをユリアに手渡した。さすがは敏腕マネージャー。アーティストが望むことを先回りして叶えるその姿勢は脱帽ものだ。

「ご家族から届いたカードは別に分けてあるから。ゆっくり読んでちょうだい」

「ミトさん……!」

 至れり尽くせり。ミトの背後に後光が見える。

 感動を全身から放出させ、ユリアは平身低頭してそれらを受け取った。

「じゃあ、あと一時間くらいでお開きにするから、羽目外しすぎない程度に楽しんでね」

 約一名に宛てて後半部分を強調し、ミトはこの場をあとにした。ひらひらと振る手、その指先までもが美しい。

 歩く姿は、まさしく百合の花だ。

「……ん? もしかして今のオレに言った?」

「もしかしなくてもそうだよ。お前以外に誰がいるんだ」

「今回もカードたくさん届いたね、ユリア」

「こっちが家族からって言ってたわね。……あ。これ、おじさんとおばさんからじゃない?」

 そろそろ宴もたけなわ。気づけばテーブルの上の彩りは欠け、空いた器がいたるところに並んでいる。

 次にこの大家族で集まれるのはいつになるだろうか。笑い合えるのは。ステージで歌えるのは……。

 誰ひとりとして口に出したりはしないけれど、かすかに漂う寂しさや不安は、この空間にいるすべての人々が感取していた。が、それを露わにすることなく、そこかしこで話に花を咲かせる。

「あ……」

 と、何かに気づいた様子のユリアが、小さく声を詰まらせた。手には、金の蔦が箔押しされた、上質で上品なカード。見るからに高級感溢れるデザインだ。

 そこには、流麗な文字でこう書かれてあった。


 ——また会える日を楽しみにしている。


「すごく綺麗なカードだね」

「え? ……あっ、これ、ジーク兄が寄せ植えと一緒に送ってくれたみたい」

 隣からひょこっと身を乗り出してエマが言う。これに対し、ユリアは少々早口で返した。

 心なしか薄桃色に染まったその頬で、四人はそのカードのを悟った。

「……俺、ちょっと外の空気吸ってくる」

「おお。行ってこい行ってこ——」

「……」

「……あー、オレも行こう、かな」

 立ち上がり、テラスに向かって歩き出したレイの後ろを、そそくさとアミルがついて行く。男ふたりがいなくなったテーブルには、いまだカードを噛み締めるように見つめるユリアと、それを見守るエマとアイラ。

 テラスに繋がる掃き出し窓、その向こう側には、夏の宵が広がっていた。


「なんだよ。急に呼び出したりして」

 涼風になびく前髪を指で払いながら、アミルはレイに近づいた。背後から声をかけるも、レイが振り向く様子はない。木柵に両肘を乗せ、眼前の黒い川を眺めている。

 アミルに対して、レイが何か誘い文句を発したわけではない。けれども、その紫紺の目が確かに語っていたのだ。「話があるからお前も来い」と。

 短い沈黙の後。振り返ったレイが、おもむろに口を開いた。

「……お前、ユリアと陛下の関係について、どう思う?」

「あ? どうって……」

 鋭敏な視線が、アミルを捉える。刹那、アミルはレイの言わんとすることを、即座にくみ取った。くみ取ったうえで、口を噤んだ。

 ユリアがグランヴァルトと恋仲であることは、メンバー全員が知っている。メンバー以外では、ジークと、なぜかイーサンが知っているらしいのだが、それ以外は誰も知らない。社長のヴォルターも、ユリアの両親のセオドアとアンジェラも、誰も……。

 ふたりの関係がこのまま続けば、どのような影響がもたらされるのか。壮丁たる彼らは、事の重大さをつぶさに理解していた。

 先ほどよりも長い沈黙。水のせせらぐ音が、やけに執拗に鼓膜に絡みつく。

 ややあって。

「……わかんねぇ」

 アミルが、ぽつりと言葉を垂らした。

「けどさ、お前ユリアのあんな顔見たことあるか?」

 そして、すぐさま二の句を継ぐと、遠く離れた屋内のユリアに視線を移した。今なお愛おしそうにカードを見つめるその姿に、篤く優しい眼差しを送る。

「オレはアイツの幸せだけを願ってる。もう、あの時みたいな思いはしてほしくない。それは、お前だって同じだろ? 陛下と引き離すことがアイツの幸せとは思えない。少なくとも今は」

 戻りたくない過去を想起しながら、請うような、祈るような気持ちで、切々と吐露する。もう二度と、ユリアを暗い闇の底へと沈ませたくはなかった。

「そう、だな」

 それは、レイも同じ。

 きっと、エマとアイラも。

「今はとにかく静かに見守ろうぜ。オレらにできることは限られてるけど……まあ、アイツが相談したいときにしやすい雰囲気くらいは作っといてやんないと」

 眉をつり上げ「なっ」と笑ったアミルに、ポンと肩を叩かれた。普段が普段なだけに、その姿が憎らしいほど格好いい。

 こういうとき、アミルとの経験値の差、その存在の大きさを、レイは改めて実感するのだった。

「ただ……」

「?」

「おじさんとおばさんに黙ってんのは正直キツいよなー。あとロナードにも」

「……たしかに」

「吐きそう……マジで吐きそう……」

「……」

「……うぇ」

「……それ単に食い過ぎただけだろ」

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