閑話②

 小春日和の日差しが降り注ぐ。

 秋めく光がきらきらと躍る休日の午後。あかや黄色に色づき始めた雑木林、その奥深くで、数人の男性たちの声がする。

 彼ら以外に人気ひとけはない。なぜなら、この雑木林一帯が私有地だから。聞こえる音といえば、近くを流れる沢のせせらぎと、鳥の鳴き声くらいだ。

 地上から四メートルほど上。周囲の木々の中でひときわ大きなクヌギの木に、それは造られていた。

 太く頑丈な枝にしっかりと固定されたツリーハウス。彼らが十代半ばの頃、ともに協力して造り上げた、いわば秘密基地である。

「いやほんと。出会った頃のオマエの目つき、相当ヤバかったからな」

「だからもうその話はやめろって……」

 しみじみと過去を回想するアミルに、レイが溜息をつく。もう何度目かわからない思い出話は、レイにとってあまり面白いものではないらしい。

「まあ、いろいろ派手にやらかしてはいたが、目つきに関しては単純に人見知りだっただけだよな?」

「先輩まで……やめてください」

 フォローのつもりでロナードがこう発言するも、レイにとってはやはり面白くなかったようで。再度溜息をつきながら、缶コーヒーのプルタブに指を引っ掛けた。

 床に直接座り込み、ラフな格好で会話を交わす。着ている服も衣装や制服ではなく私服。アミルは前傾姿勢で胡坐をかき、レイとロナードは立膝をついていた。成人男性が三人集まっても、じゅうぶんにゆとりのある広さ。これからもうひとり増える予定だが、それでもまだ余裕がある。

 シュトラス邸から少し離れた、丘のてっぺんにある雑木林。丘を丸ごと所有しているのがシュトラス家のため、誰に気兼ねする必要もない。よって、普段外ではあまり話せないような内容も、ここでは声を小さくせずとも話せてしまうのだ。

「オレは、家や学校の外の人間で、しかも好きな音楽を介して知り合ったからまだコイツと付き合いやすかったけどさ。ロナは先輩で、どっちかってーと学校寄りの人間じゃん? よくコイツのこと手懐けられたよな」

「てなず……」

 好物のフライドポテトを口に咥えたまま、アミルがロナードに話を振った。鳶色の目が、好奇心と幸福感に満たされているのがわかる。

 ここで食べる好物は格別美味しい。場所と気候、それに旧友たちが相俟って、ますます食が進む。

 そんなアミルに、レイは抵抗するのを諦めたようだ。

 親——とくに父親との折り合いが悪く、家出を繰り返していたレイ少年。頭が良くて運動神経も抜群だったが、学校にはほとんど通っていなかった。たまに登校したかと思えば、教師と大ゲンカ。竜人が大半を占めていた名門校で、ヒトに対する偏見もなくはなかったため、それがレイ少年の義憤を駆り立てた。

「俺は手懐けようとしたつもりはないけどな。ただ、話してみたら、意外と可愛かったっていうだけで」

「かわい……」

 当時を振り返り、平然とこんなことを言ってのけるロナードにも、レイは抵抗するのを諦めたようだ。

「最初は、俺よりもコンラートのほうが、こいつのことを気にかけてたんだ。『すごいドラム上手いヤツ見つけた!』ってな。旧校舎でこっそりドラム叩いてたの覗き見して、それはそれは大騒ぎしてたんだぞ。階段から落ちて骨にヒビ入るくらい」

「……それ、十三とか四のときの話だろ? そんときからアホだったんだな、アイツ」

「ああ。あいつに比べれば、お前のほうがまだまともに見える気がするな」

「うんうん。……うん?」

 今は亡きコンラートも、このツリーハウスを造ったメンバーのひとり。いつも暢気に笑う、ふわふわとしたヒトだった。音楽の才能は桁外れに優れていたが、どこか抜けていた。端的に言えば、ただの音楽バカである。

 それでも、彼には惹きつける何かがあった。彼がいなくなった喪失感、彼が遺した数々の想いや音は、今なお彼らの中にある。

「……っていうか、今日はお前の話を聞くために集まったんだぞ。俺の昔話とかどうでもいいから、お前の話しろよ」

「ああ、そうそう。拘置所に面会に行ったんだろ? 話したいことは話せたのか?」

 ここへ来て、ようやく本題に辿り着いた。とはいえ、毎度自分たちの前置きが長いことは自覚している。

 本日、忙しい彼らがこの場所に集まったのは、例のアミルの話を聞くため。

 アミルがシャレムと面会して以来、彼らが顔を合わせるのは初めてだ。よって、どんな結果になったのか、レイとロナードはずっと気にかけていた。もちろん、アミルの心理状態も。

 必要とあらば、慰める準備はできている。酒は買い込んだし、つまみもばっちりだ。

 ところが。

「あー……と、そのことなんだけど……。実はさ——」

 アミルから、面会の際に起こったありのままを聞かされたふたりは、

「……」

「……」

「……ふっ」

「……はっ」

「あははははははっ!! ……ははっ、あっ、涙出た……っ、あはは……っ!!」

「……っ、面会で、啖呵切るやつとか、初めて聞いた……っ、腹痛い……はは……っ!!」

 抱腹絶倒した。

「なっ……そんな笑うことねーだろ! オレだってケンカするつもりなんざなかったわっ!」

 腹をかかえてうずくまるレイとロナードに向かって、ガルルッとアミルが吠える。しかし、その抗議も空しく、ふたりはしばらくのあいだ大声で笑い転げた。

 確かに大人げなかったと反省はしている。けれども、論点をずらし、もっともらしく言って、自分を突き離そうとしたシャレムに腹が立ってたまらなかったのだ。

 反省はしている。だけど、後悔はしていない。

「まあ、お前らしくていいんじゃないか。……っ、彼も、お前と言い合って、大なり小なり思うことはあっただろうしな……っ、……あー、久しぶりにこんな笑った。やっぱりお前すごいな。それたぶんレジェンド級の逸話になるぞ。見直した」

「褒めてんのか馬鹿にしてんのかどっちだよ」

「両方」

「こんの……っ、おいロナちょっとこっち来い!! オマエのだいすきなブルーチーズ食わせてやるっ!!」

「あははっ!」

 ツリーハウスの中に、筆舌に尽くし難いほど芳醇な香りが充満する。楽しそうに笑ってはいるが、ロナードはブルーチーズが大嫌い。今にも鼻がもげそうだ。

 三十路ふたり。仲良く仁義なき戦いを繰り広げていると、

「なにじゃれ合ってるんです?」

 銀髪の二十六歳最年少がやってきた。

 こちらも軍服ではなく私服姿。背中の中ほどまである長い髪の毛も、今日は珍しくひとつに束ねてある。

「ジ~ク~っ!! 頼むからオマエの兄貴どうにかしてくれっ!!」

「え……?」

 仕事の都合で遅くなったジークに、がばっとアミルが抱きついた。困惑気味に目をしばたかせる4つも年下の胸もとに、ぐりぐりと栗色の頭を無遠慮に擦りつける。

「やめろよ、アミル。ジークが困ってるだろ。 いつものことだから気にするな。何飲む? ワインとかもあるけど」

「あ、いえ。今はお酒は……コーヒーを頂いてもいいですか?」

「ん。了解」

 アミルになされるがままの状態でレイに応える。ちゃっかり窓を透かす兄の愉しそうな顔を見れば、だいたいの想像はつくので、詳細を聞くのはやめておいた。首を突っ込むのも面倒くさいし、なんだかんだ言いつつ仲がいいことも知っている。

 ジークも、年上の彼らとともに、このツリーハウスを造ったメンバーのひとりだ。最年少とは思えぬ言動で、ときには年上たちを諌めてきた。……が、やはりそれ以上に可愛がられてきた場面が多く、コンラートを含め、彼らのことは心の底から敬愛している。

「今日仕事だったんだな」

「仕事……というほどではないのですが、元帥と話をしていました」

「親父と?」

「はい。年明けに国外任務が決まって、そのことについて少し話を」

「……期間は? 長いのか?」

「一応三ヶ月ですが、その後も、しばらくは行ったり来たりになると思います」

「そうか。……仕事をしていると、三ヶ月くらい会わないなんてことはざらだが、国外となると寂しいな」

 先ほどの騒々しい空気から一転。ジークとロナードのこのやり取りに、しんみりとした空気が漂った。コーヒーを差し出したレイも、いまだジークに抱きついたままのアミルも、鈍色の気持ちを零さないよう胸に蓋をする。

 仕方のないことだと理解している。ジークの階級、その高い能力を考慮すれば、当然のことだ。とりわけロナードは軍人の息子。軍人の生活がいかに過酷なものであるかは、身を以て知っている。

 それでも……否、だからこそ、この寂しさは拭えない。

「……また落ち着いたら四人で集まろうぜ。ここに」

「そうだな。お前の任務地に音が届くように俺たちも頑張るから、お前も体に気をつけて頑張れよ」

「はい。……ありがとうございます」

 間違いなく、時代の転換期に彼らはいる。

 けれど、これまでも、これからも、とにかく『今』を生きるしかない。

「よっし! 今日はジークの淡い恋バナを肴に飲むぞ飲むぞー!」

「…………は?」

「レイ、ビール出してビール!」

「瓶と缶どっちがいいんだ?」

「瓶!」

「ちょ……まさかっ! ロナードさん、ふたりに話したんですかっ?」

「……」

「すました顔で誤魔化さないでくださいっ!! 話したんですねっ!?」

「まあまあ、ジーク。オレらの仲じゃねーか。黙ってたっていつかはバレる」

「そうそう。遅いか早いかだ」

「……アミルさんとレイさん、こういう時だけ結束するのほんと早いですよね」


 変わらないものの形、その輪郭を、そっとなぞりながら。

 彼らは、『今』を生きている。

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