motives(3)
「——だからっ、何度も言っているだろう!! 本当に頭が固いな外務省は!!」
「前回は
会議室に飛び交う怒号。バチバチと激しく火花が飛び散る。見慣れた光景であるとはいえ、四名ずつ計八名の部下たちにのしかかる空気は重くなるばかりだ。
今回の内務・外務会談も、熾烈な戦いにもつれ込んだ。この主張の応酬は、かれこれ小一時間続いているが、いまだ着地点は見つからない。
内務大臣オーエン・ヴァンス、五十二歳。
外務大臣モーガン・ルツヘルム、五十二歳。
犬と猿、水と油、ハブとマングース(3つ目の喩えは、イーサンはじめ南方出身者しかピンと来ない)。とにかく仲が悪いことで有名なふたりだが、大国の大臣同士、今日も今日とて職務に勤しんでいる。
そう、これは職務なのだ。ただのいがみ合いではない。
「……仕方がない。ではアレで決めるとするか」
「ふん。望むところだ」
切れ味抜群の蒼眼でモーガンが提案する。これにオーエンは即座に乗っかった。できれば避けたかったが、こうなってしまった以上致し方ない。決着をつける時が来た。
大臣ふたりのこのやり取りに、またか……と、先の見えた部下たちが肩を落とす。
部下のひとりが、死んだ魚のような目で一枚の硬貨を取り出した。金色に輝くそれには、ガルディア帝国の
オーエンが「表!」と叫べば、モーガンが「裏!」と叫んだ。
大国の大臣ふたり。なんとコイントスで雌雄を決するらしい。
コインを取り出した部下は部屋のドアを開け、廊下を見渡す。難儀ではあるが、一応の公平性を保つため、トスは第三者に委ねなければならない。よって、わずかに心苦しさを覚えながらも『贄』を探す。
すると、そこに偶然、今春入庁したばかりの女性行政官が通りかかった。よく働くと評判の
唐突な先輩からの頼みに疑問符しか浮かばないが、彼女は渡されたコインを宙に弾き、落ちてきたそれを手の甲に押さえつけた。おたおたしながら、おもむろに押さえていたほうの手を退ける。
「表か!!」
「馬鹿を言え!! 裏だろう!!」
後方、ドアの向こう側で、大臣たちが大声をあげている。
大臣ふたりの声に気づき、目を丸くする新人行政官。事の大きさを認識し、硬直する彼女を前に、頼むからあと少しだけ静かにしていてほしいと、部下は小さく願った。
とっとと結果を確認しなければ。彼女の手の甲を覗き込めば、そこには芍薬の花が咲いていた。——表だ。
「見たかモーガン!! 私の勝ちだ!!」
「ぐう……っ!!」
得意と失意。
彼女に詫びを入れ、戻って結果を伝えると、室内の空気は見事に二分した。……ちなみにコイントスの戦績は、これで四十七勝四十七敗である。
「
「大きなお世話だ!! 貴様の手など借りずとも、うちだけでじゅうぶん対応できる!!」
決着がついたにもかかわらず、まだ言い合いをする両者に、部下八名は揃って大きな溜息をついた。
なぜ、これほどまでにいがみ合うのか。
かたやヒトで叩き上げ。かたや竜人で政界のサラブレッド。種族の違いや生まれ育った環境を鑑みれば、いがみ合うのはある程度仕方ないことなのかもしれない。
しかし、その二点を互いが意識しているのかといえば、けっしてそんなことはないのだ。むしろ、毛ほども意識していない。仮に種族が同じだろうが、生まれた環境が似ていようが、ふたりのこの関係はおそらく変わらない。
唯一無二のライバルという、この特別な関係は。
「それはそうと、スハラが病床の王の延命措置に踏み切ったらしい。一年後か、はたまた五年後か……いずれにせよ、来るべき時に備えておかねばならん」
「ああ。陛下は、情勢を注視しながら従来どおりの国交を続けていくと仰った。陛下のご指示通り、私は引き続き外交を行っていく」
「例のサミットの件もあるし、最近では、反皇帝派の動向も気にかかる。国内のさらなる治安強化が必要だろう」
「そうだな」
こいつには負けたくない。自分が認めたこいつにだけは、みっともない姿を晒したくない。こいつのライバルは、自分でなければならない。
変革の荒波が押し寄せる時代の中で掴んだもの。国に対する忠誠も、民を想う気持ちも、こいつがいるから大きくなった。離したくはない、絶対に。
「……本当に手伝いは要らないのか?」
「しつこいぞオーエン!! 必要ないと言っているだろうっ!!」
今日も平和だ——部下のひとりが、目を細めてそう呟いた。これに、他の七名も思わず笑みを漏らす。
尊敬する上司の口論をBGMに、彼らはせっせと後片づけに取りかかった。
◆ ◆ ◆
空が高い。
相変わらず日差しは強いが、それでも青空はどこか秋めいていた。吹く風も、どことなく澄んでいる。
もう何度目になるだろうか、この国で秋を迎えるのは。移住したのが夏の終わりだったため、ちょうど区切りの季節になる。
過去に繋がる糸を手繰り寄せながら、アミルはゆっくりと門をくぐった。
ここは、帝都のとある拘置所。ロナードに教えてもらったとおりに手続きを踏めば、驚くほどスムーズに中へ入ることができた。
「アミル・ゴードンさんですね。こちらへどうぞ」
面会室まで案内してくれたのは、自身とさほど年の変わらない竜人男性だった。この場所にはミスマッチとも感じられる柔和な笑顔。だが、そのおかげで、施設の独特の雰囲気に呑み込まれずにすんだ。
味気ない廊下に、二足の靴音がやけに耳に障る。ここにはまだ刑の確定していない人物も収容されているゆえ、俗に言う牢屋とは異なるが、傍から見ればそれほど大差ないように思えた。
昨夜は、あまり眠れなかった。
鉛のように重い緊張に、胸を圧迫された。サミットでの事件を思い浮かべれば、十六年前の光景がまざまざと蘇った。一番苦しかったのは、柩の中で横たわるライラの死に顔を思い出したこと。
眠るのが怖いと思ったのは久しぶりだ。
「こちらです」
彼について歩くこと数分。ついに面会室に到着した。透明のアクリル板で二分された空間は、廊下以上に味気ないところだった。
「すぐに担当の者が連れてまいりますので、椅子に掛けてお待ちください。私は外へ出ています。面会が終わりましたらひとことお声がけを」
「ありがとうございます」
至極丁寧に説明してくれた彼に、アミルは頭を下げた。
この国に来て驚いたのは、市民に対する公務員の接し方。もちろん、皆が皆というわけではないが、ほとんどの人が今の彼のように親切だ。公務員がこれほど身近に感じられるなんて、スハラでは考えられないことだった。
その最たる例は、なんと言ってもセオドアだろう。出会った当時、大将だったセオドアに「私のことは『
この国で秋を迎えるのは、今年で十七度目だ。
「入ります!」
透明な板の向こう側の、そのまたドアの向こう側から、真っ直ぐな声が飛んできた。擦りガラス越しに見える人影はふたつ。
ドアが開いた。思わず立ち上がる。
「おっちゃん……」
担当官に連れられ、シャレムが入ってきた。貸与品であろうグレーのスウェットを着用し、両の手首にはしっかりと手錠が嵌められている。
連れてきた担当官もまた、アミルと同じ年頃の男性だったが、こちらはヒトだった。アミルと対座するようシャレムに促すと、ドアの傍まで下がり、「面会時間は最大で三十分です」とふたりに告げる。
「……」
何から話そう。
話すことは事前に考えてきた。言いたいことや聞きたいことは山ほどあるのに、いざ本人を前にすると、言葉が出てこない。十六年という月日は、思っていたよりもずっと長いらしい。
アミルが言葉を詰まらせていると、
「本当に大きくなったな。アイリスさんにそっくりだ」
頬を緩めたシャレムが、先に口を開いた。
体の奥底に届くような、低くて渋い声。この声を聞くだけで、懐かしさに咽びそうになる。痩せて落ち窪んだ目は、昔と同じく優しかった。
「アイリスさんの具合はどうだ?」
「……治療しても良くならなくて、こっちに来た二年後に死んだ。医者は、もう少し早く治療を始めてたら、完治した可能性もあっただろうって」
「……そうか」
他人から母の名前を聞くのは、いつぶりだろうか。ともすれば、亡くなって以来はじめてかもしれない。
母のアイリスは、ここ帝都で生まれ育ったが、家族の猛反対を押し切ってスハラへと渡った。父と結婚するために。
貿易商だった父のおかげで、そこそこの生活は送れていた。けれど、父が海難事故で亡くなり、母が病を発症してからは、生活が一変した。
不幸が重なって意を決してガルディアに移住して……待っていたものは、母の両親による罵詈雑言。
——親の言うことを聞かず、スハラ人なんかと一緒になったやつのことなんぞ知らん! うちに娘はいなかった! 今までも、これからも! 二度と顔を見せるな!
血の繋がった娘に、それも病を抱えた実の娘に、よくもあれだけ酷い言葉を吐き捨てられたものだと唖然とした。恐ろしいことに、それが自身とも血の繋がった人物なのだ。怒りを通り越してぞっとする。
「大変だったんだな。お前も」
「まあ、それなりに。……でも、ひとりじゃなかったから。寄り添ってくれた人がいっぱいいるんだ。だから、こっちに来たこと、オレは後悔してない」
祖父だという男に追い返され、病気で苦しむ母を抱えて、見知らぬ土地で途方に暮れた。自分たちが生きていける場所はどこにもない。あるのは絶望だけ。
そんなふうに悲観していた、ある日のこと。
——おう、ボウズ。お前ギター弾くのか。ちと聴かせてくれや。
突然、顔面に傷のある厳ついおっさんに絡まれた。
あの時は、わりと本気で殺されると思ったが、いずれ死ぬのならと、言われるがままに演奏した。
物好きな彼との運命的な出会い。あの日あの時あの場所から、アミルのすべては始まった。
その後、衣食住から母の治療費まで、条件付きで彼が面倒を見てくれた。その条件とは、彼のもとで音楽を生業とすること。
生まれて初めてだった。あんなにも強く「生きたい」と願ったのは。
シャレムにすべては話さなかった。今ここで話すことではないと思ったから。
しかし、アミルの「後悔してない」という言葉で何かを悟ったシャレムは、ひとこと「そうか」と滴下し、目を伏せた。その声や顔には、はっきりと安堵の色が滲んでいた。
「この国はすごいな。オレのような犯罪者にまで弁護人をつけ、話を聞こうとしてくれる。スハラではありえないことだ」
国が違えばこうも違う。アミルが感じてきたことを、まさに今、シャレムもひしひしと感じていた。あの国では、権力者の裁量いかんで、人権など瞬時にゴミ屑に変わる。今この瞬間も、そうして命が奪われているのだ。
「そうだ。ここはスハラとは全然違う。……だから頼む。全部話してくれ」
「……」
「まだ何も話してないんだろ? おっちゃんには黙秘権がある。黙ってたって、この国では拷問されたりなんかしない。話すも話さないも、おっちゃんの自由だ。けど、まずは弁護人にだけでもちゃんと話せ。スハラで何があったのか。どうしてあんなことしたのか」
今一番話したいこと。ここへ来て、アミルはようやくそれを口にすることができた。
「あんな大それたこと、おっちゃんひとりでできるはずない。何か特別な事情があるんだろ?」
とにかく真実を話してほしい。その一心で、アミルは板越しに言葉をぶつけた。思いきりぶつけた。
だが。
「話すつもりはない」
「なんで……っ!」
「スハラで何があったのか、どうしてあんなことしたのか……そんなこと、お前が一番よく知ってるんじゃないのか」
「っ——!」
シャレムから返ってきたのは、紛れもなく真実だった。
スハラで何があったのか——娘を殺された。
どうしてあんなことしたのか——娘の復讐を果たすため。
シャレムにとってライラはすべてだった。すべてを失った先に辿り着いた結論があの凶行だとしても、なんら矛盾はない。
「お前もこの国に来て、昔以上にかけがえのないものができただろう。ある日突然それを理不尽に奪われたとき、お前ならどうする?」
「……」
「それがオレの答えだ」
表情が窺えないほど俯いてしまったアミルに、シャレムはそれ以上何も話さなかった。味気ない空間に、鈍色の沈黙が立ち込める。
アミルが面会を申し出たと知ったとき、シャレムはとても驚いた。それから、同じくらい嬉しかった。話せる事柄は限られるだろうが、顔を見られるだけでじゅうぶんだと思った。
おそらくこれが最後になる。アミルはきっと、もうここへは来ない。来ないほうがいい。自分に失望してくれればいいのだ。それが、輝かしいステージに身を置く彼のためになる。
これで面会は終わり。後方の担当官に、そう告げようとした。
そのとき。
「……だったら、それを話せばいいだろ。アイツのせいでライラが死んだって、アイツはろくでもないクソ野郎だって、そう話せばいいじゃねーか。それくらい話せんだろ。それすら話せない理由って何だよ」
アミルが、静かに口を開いた。
まるで煮え始めの鍋のように、ぐらぐらと沸き立つ語調。息継ぎをすることなく言葉を続ける。
そしてついに、
「そもそも答えになってねーんだよ。『あんな大それたことひとりでできるはずない』っつってんのになにが『オレの答え』だよふざけんな。そーゆー微妙に論点ずらしてもっともらしく言うとこ、ほんっと変わってねーなおっちゃんはっ!!」
キレた。
「こっちだってもういい年してんだよ!! いつまでも子ども扱いすんな!!」
これに対し、
「……黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって……いい加減にしろよこのクソガキ!!」
シャレムもキレた。
「ガキ扱いされても仕方ねーくらいじゅうぶんガキだよお前は!! だいたい今言うことじゃねーだろ!!」
「言いたいことあるならその場で面と向かってはっきり言えってオレに教えたのおっちゃんだろ!!」
「だからってTPOわきまえろよ!! つか、いつの話だそれは!!」
「二十五年前だよ!!」
アクリル板で遮られていなければ、間違いなく掴み合いのケンカになっていただろう。ケンカのレベルに高低があるかは不明だが、あるとするならば、明らかに低レベルである。
室内に充満するふたつの荒い鼻息。一気にまくし立てたせいで、ふたりの肩は激しく上下していた。
似た者同士のケンカは、疲労により一時休戦だ。
「……オレ、また来るから」
「は? おい、アミル——」
「ぜってー来るからな! 拒否んじゃねーぞ!」
首を洗って待ってろと言わんばかりに吐き捨て、アミルはこの場をあとにした。シャレムの後方で仲裁に入ろうか極限まで悩み、見守ってくれた担当官への一礼も、もちろん忘れない。
決めたのだ。何があっても信じると。自分だけは味方でいると。
だから、絶対に諦めない。
「……変わってねーのはどっちだ馬鹿……」
掠れた声が、喧騒のあとの乾いた空気を揺らす。
眩しさに目がくらんだ。眼差しも、頑固さも、何もかもが愛おしくて眩しかった。瞼の裏の残像ごと隠すように、手のひらで顔を覆う。
その下で唾液とともに飲み込んだものは、あたたかくて、しょっぱくて、ほんの少しだけ甘かった。
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