motives(2)

「ん゛あ゛ーーーーっ!!!!」

 ガシャンッ。

   ドンッ。

    バリンッ。

  グシャッ。

 足の踏み場もないほど散乱した室内に、癇癪を起こしたラムジの咆哮が轟いた。

 割れた花瓶、引き倒された家具、叩き壊された柱、引き裂かれた布……。床の上は硝子や綿で埋め尽くされ、あちこち水浸しになっている。

 手当たり次第に繰り返した破壊活動がひと段落すると、ぶんむくれた顔でベッドにドスンと座り込んだ。下唇を突き出し、鼻息荒く溜息をつく。

「少し落ち着かれましたか?」

 事の一部始終をはたで見ていたナジュが、頃合いを見計らって声をかけた。まったく動じていない気色で残骸を掻き集め、足の踏み場を作りながら、ラムジのもとへと歩み寄る。

「ムカつくムカつくムカつくっ!!」

 いまだ完全に引かぬ怒り。それを今度は枕にぶつける。力任せに引きちぎれば、飛び出した羽毛が宙に舞った。

 サミットから帰国して以来、ほぼ毎日この状態が続いている。枕をダメにしたのはこれで11個目。シーツとカーテンは昨日交換したばかり。壁や柱に至っては、修復が追いついていないといった状況だ。

「なんなんだアイツは!! ヒトの分際で!! このボクに恥をかかせてっ!!」

 ラムジの怒りの対象は、言うまでもなくシャレム。いつもなら即刻粛清できているはずなのに、自分の手の届かないところにいるせいで、それができない。

 しかし、そのことより何より、大勢の前で恥をかかされたということに、とにかく腹を立てているらしかった。

「いい子にしてたのに!! ほかの国の王様たちにバレないように!! いい子にしてたのに!! どうしてあんなヤツに台無しにされなきゃいけないんだ!! そもそも娘ってどれのことだよっ!!」

 バシンバシンッと、枕だったものをベッドに叩きつける。その姿は、さながら単調な動きを繰り返す玩具おもちゃ。しばらくすると、ゼンマイが切れたかのごとく、ベッドに仰向けに沈んだ。再度羽毛が宙に舞う。

 ことは、他国ではいけないことらしい。だから隠していたのだ。バレないように。ヒトは竜人と同等の生き物らしい。そんなことあるはずないのに、余所の王様たちは、揃いも揃っておかしなことを言う。

 けれども、スハラが国家として存続するためには——ラムジがこれまでどおり好きなことをするためには——他国と(主にガルディアと)足並みをそろえることが必要なのだと父王は言った。ナジュも同じようなことを常に言っている。なので、よくわからないし、納得もできないけれど、そのとおりにするしかない。

 そういうわけで、なんとなく、今はヒトを飼うのをやめている。愛玩ペットを切らしたのは初めてだ。

「アイツがなんでボクの隷属に紛れてたのか、わかったのか?」

「いえ、現在調査を進めているところです。……もしかすると、ファルク様が関与されているのかもしれません」

「!! ファルクのヤツ、やっぱりボクのこと……っ——」

「お静かに。まだ確定したわけではありません。あくまで可能性の話です」

 ファルクとは、ラムジよりひとつ年下の異母弟で、スハラ王国の第二王子である。現在二十五歳。ラムジとは似ても似つかぬ容貌をしており、半分でも血が繋がっているということが不思議なほどの美丈夫だ。もちろん、カモメ眉でもない。

 聡明な彼を慕う者も相当数いるようで、とくに軍部は彼に心服しているらしい。軍人として己の命を預けることを考慮すれば、理解できなくもないだろう。

「ファルクは、きっと王座が欲しいんだ。羨ましんだ、ボクのことが。ボクのほうがお兄ちゃんで、何でも持ってるからな。でも、絶対にあげない。ボクのものはボクのものだ」

「……」

 くふふと声を漏らす。実に愉快そうにベッドの上で臥し転ぶと、引き裂いたシーツに埋もれるように丸い体をさらに丸めた。

 だが、ここで気になることがひとつ。

 ラムジの体が、ぴたっと止まる。

「グランヴァルト陛下は、ボクのこと疑ってるかな?」

 体を起こすことなく、顔だけナジュのほうへと向ける。

 気になるのは、グランヴァルトに、いけないことがバレてしまったか否かということ。

 彼が即位し、ガルディアの国力は以前にも増して充実した。政権の中枢を担うのは慧眼の士ばかり。加えて、軍のトップは、かの知将セオドア・シュトラスだ。

 ガルディアに見放されてしまえば、スハラはたちまち立ち行かなくなる。ガルディアに地下資源を輸出しているとはいえ、それでもイーブンな関係であるとは到底言えない。困った。非常に困った。

 ところが、数秒後。

「それはわかりませんが、決定的な証拠があるわけではありません。ですので、知らぬ存ぜぬで通せばよろしいかと」

 ナジュの涼やかなこの発言で、ラムジの杞憂は一瞬にして消散した。ベッドから弾むように起き上がり、カモメ眉をきりりと上げる。

「そうか……そうだな! しょせん罪人ヒトの言うことだしな! まともに取り合うはずないな!」

 機嫌は上向き。単純かつ底抜けにポジティブである。おそらく、破壊活動はこれで終息に向かうだろう。

 一度強い衝動に駆られると我慢がきかない。やりたいと思えば、手に入れたいと思えば、周囲を巻き込んで実行に移してしまう。それのどこが悪いのか、考えを改められる機会などないまま、図体ばかりがデカくなった。

「オマール様」

「なんだ?」

「あの者の娘のこと、本当に覚えていらっしゃらないのですか?」

「覚えてない。だってアイツら似たような顔してるだろ? いちいち覚えてられるか」

「……」

「けど」

 突然、ラムジの目が弧を描いた。何かを思いついたらしいその表情は、子どもが悪戯を思いついたときのそれによく似ていた。

 今は飼うのをやめている。でも、そろそろ次が欲しい。

の顔は覚えてる。色も白くて、髪もキラキラ光ってて、歌も上手だった。あんなの初めて見た。どうにかして連れてこれないかなあ」

 ラムジは、にぃっと笑って言った。

 それは、十六年前と一言一句違わぬ魔の文句。


「アレが欲しい」





 ◆ ◆ ◆





「わっ!」

「なに? どうしたの?」

「油がはねておでこに当たった」

「ちゃんと水気切らないからよ。ほら早く冷やして」

「うー……」

 フライパンにナスを投入したとたん、勢いよく弾けた油がユリアの額に飛んできた。慌てて顔を伏せるも、油のスピードには及ばず。幸いにも大したことはなかったようで、氷水で冷やしたガーゼを充てると痛みはすぐに治まった。

 母娘おやこ並んでキッチンに立つ。ユリアが休業中の今、ほぼ毎日こうしてふたりで調理をしている。しかし、来週にはユリアの仕事が再開するため、ふたりの時間はまた激減するだろう。

「アミル、元気になって良かったわね」

「うん。エマちゃんには聞いてたけど、実際会ってみて安心した」

 現在、シュトラス邸には母娘ふたりだけだが、つい先ほどまでアミルがいた。ユリアに心配かけたことへの謝罪と、シャレムに面会することを報告するためである。

 紅茶を飲んで、焼き菓子を食べて、話をして、笑って。

 いつもどおりの彼の様子に、母娘ともに胸を撫で下ろした。

「ナス焼けた?」

「焼けた。わたしのおでこと引き換えに」

「はいはい、ご苦労様。じゃあ、耐熱皿に全部盛って、オーブンに入れましょ」

 この日の夕飯は、ナスとトマトのラザニア。ユリアの好物だ。

 艶やかなナスと鮮やかなトマトを調理するのは心が躍る。熱が加えられ、とろとろに溶けたチーズを想像すれば、ますますテンションが上がった。

 ちなみに、使用しているナスとトマトは、先日ユリアが祖母のシェリーを訪ねた際、彼女の家庭菜園で収穫したものである。

「アミルも一緒に食べられたら良かったけど……先約があるんじゃ仕方ないわね」

 オーブンの火力を調節しながらアンジェラが言う。これに対し、ユリアも「うん」と首肯した。

 アミルはアンジェラにとって息子も同然。食事を振る舞うことも珍しくはないが、今日はシンシアとの先約があるらしく、早々に帰路についた。おそらく、今夜は彼女と夕食をともにするのだろう。

「あのふたり、仲いいわよね。付き合ってるの?」

「え? うーん……どうなんだろう。そういうんじゃないと思う、けど、仲はすっごくいいよ。シンシアちゃんのことニックネームで呼んでるの、アミルくんだけだし」

「へー、そうなんだ。付き合っちゃえばいいのにね」

「……は? もー、すぐそういうこと言う! 周りがとやかく言うことじゃないんだから、ふたりに余計なこと言わないでよね!」

「失礼ね。そこまで無神経じゃないわよ」

「ほんとに言いそうで怖いから釘刺してるの! 絶対言っちゃだめだからね! 軽々しく付き合うとか口にしな——」

 ここまで頬を膨らませてぷりぷりしていたユリアだったが、突然その熱がさーっと引いた。はっと息を呑み、口を噤む。

「……どうしたの?」

「な、なんでもない!!」

 怪訝そうにアンジェラが顔を覗き込むも、ユリアは全力でかぶりを振るばかり。かなり動揺している。明らかに、なんでもなくはない。

 けれど、アンジェラは深く詮索しなかった。オーブンの中、ぐつぐつ煮立つラザニアの様子を窺いながら、時計を確認する。

「わ、わたし部屋にいるから、お父さん帰ってきたら呼んでくださいっ!!」

 これだけ、しかも敬語で言い残すと、ユリアは脱兎のごとくキッチンを飛び出した。タタタタタッと廊下を駆け抜け、タタタタタンッと階段を駆け上がる。両親譲りの優れた運動神経で、あっという間に自室に辿り着いた。

 バタンッ!

 激しく閉扉する音が、屋敷中に響き渡った。

「……青春ねー」

 一連の娘の言動に目を細める。焦る姿もたまらなく可愛い。怒るとわかっているので伝えたりはしないけれど、伝えて怒ったその顔も見てみたいと魔が差してしまったり。……伝えないけれど。

 鼻歌交じりに食器を準備し、ダイニングテーブルの上を整える。自身の遠い過去を追憶すれば、今の娘の姿が昔の自分のそれと重なった。

 もうすぐ、愛する夫が帰宅する時間だ。



 自室に駆け込んだユリアは、そのままベッドへと直行した。倒れ込むように寝転がり、火照る顔を両手で覆う。さまざまな情感が胸の奥底から込み上げ、体じゅうの熱が一気に上昇していくのを感じた。

 熱い。暑い。とにかくあつい。

 ユリアの頭の中は今、とある人物のことでいっぱいだった。きっかけは、先ほどの母とのやり取り。どうやら母の口から出た『付き合う』という単語がスイッチになったらしい。

 彼の顔が浮かぶ。整い過ぎた輪郭も、黄金色の双眼も、優しい笑顔も、何もかもが太陽のように眩しい。

 彼への想いをエマに自覚させられてからというもの、ユリアの脳内と胸中はぐちゃぐちゃだった。自分の中にこんな自分がいたのかと戸惑うばかりである。

「……どうすればいいんだろ……」

 そもそも、同じ時間を過ごしたいと願ったところで、簡単に叶えられる相手ではない。こんな一方通行の想いなど、彼にとっては迷惑以外の何物でもないはずだ。

 いっそなかったことに——

「……それは、嫌、だな……」

 ぽつりと零した言葉が、シーツにじわりと染み込んだ。

 なかったことにはしたくない。彼に恋をしたその事実を、消し去ることなどできはしない。

 はっきりとした理由はわからない。でも、この想いだけは大切にしたい。

「……っ」

 一度だけ……一度だけ勇気を出してみよう。行動を起こさなければ、何も前進しない。

 がばっと、ベッドから起き上がる。乱れた髪を手櫛で直すと、ユリアはもうひとりの兄へ連絡を試みた。彼に直接会えるよう、力を貸してもらうために。

 もちろん、会える保証などないことや、諸所に迷惑をかけることは百も承知だが、現状ジークに相談する以外に方法はない。

 透明な歯車が、大きく動き始めた。



「ただいま」

「あ、おかえりなさい。ご飯できてるわよ」

「ああ、ありがとう。……ユリアは?」

「部屋で青春中」

「……せいしゅ……え?」

「いやー、若いっていいわねー」

「ずいぶん楽しそうだな」

「そりゃあもう。あの子、可愛過ぎるんだもの」

「またからかったのか?」

「失礼ね、今日はからかってないわよ。……ねえ、貴方」

「うん?」

「ユリアに好きな人ができたらどうする?」

「……できたのか?」

「『できたら』って聞いてるでしょ。今そういう人がいるかどうか知らないわよ。聞いてないから」

「……」

「あら、険しい顔。やっぱり父親としては認めたくない?」

「お前が二十二のときには……」

「ええ、お付き合いしてたわね。貴方と」

「そう考えると、父親が口を出すことではないのだろう、とは思う。実際に結婚していてもおかしくない年齢だしな。だが……」

「珍しく葛藤してるわね」

「……娘の選んだ人を、信じるべきなんだろうな。お義父とうさんがそうしてくれたように」

「……」

「なんだ? 的外れなこと言ったか?」

「ううん。ただ……」

「?」

「貴方と結婚できてよかったって、改めてそう思っただけ」

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