motives(1)

「あっつ……」

 太陽が、容赦なく照りつける。

 足もとの石畳から照り返す熱気。先ほどから腰掛けているこの柵も、いい具合に熱を蓄えている。まるで鉄板で焼かれる肉の気分。暑さ対策として、ストローハットを被ってはきたものの、やはり暑いものは暑い。

 目の前には、帝国が管理している国立の公園。木陰のベンチに座ろうかとも考えたが、若い母親たちが座っていたため、控えることにした。園内の木々は青々と茂り、中央の噴水では小さな子どもたちが水遊びをしている。母親たちの優しい眼差しは、はしゃぐ彼らに注がれていた。

「元気だなー」

 輝く水しぶきと子どもたちの笑顔に目を細める。そういえば、これから会うアイツの息子も、年の頃は彼らと同じくらいのはず。

 ゆらゆら揺らめく景色の中。

 故郷と同じ真っ青な夏空を仰ぎながら、アミルは滲む汗を拭った。

「アミル!」

 視界の外から、自身の名前を呼ぶ声が聞こえた。顎を引き、そちらへと顔を向ける。

 ここで待つことおよそ十分。ようやくアイツがやってきた。

「よう、ロナード。久しぶり」

 駆け寄ってきたアイツ——ロナードに声をかける。座っていた柵から腰を持ち上げ、久方ぶりに会う旧友を迎えた。

「悪いな。遅くなった」

「気にすんなって。オレのほうこそごめん。忙しいのに、時間作ってもらって」

「いや。俺もお前の顔見たかったからな。連絡してくれてよかった」

「……」

「……どうした?」

「……いや、その服さ。冬はあったかそうだけど、夏見るとクソ暑そうだよな」

 ロナードが着用している法服をまじまじと見つめ、アミルが言う。

 少し短めの黒いローブと、黒いパンツ。一見すると聖職者のような風采ではあるが、その胸もとには、黒いサテンでしっかりと『国章』が刺繍されている。

 黒色は、『何色にも染まることなく公正に裁きを下す』という、いわば司法官である彼らの矜持だ。

「まあ、否定はしないけどな。でもこれ、夏用だから薄めの生地なんだぞ」

「マジで? どれどれ……いや、これでもじゅうぶん厚いわ」

「俺からすれば、お前たちの衣装のほうが暑そうだけどな」

「暑い。マジで暑い。ステージの上はとくに」

「汗すごいもんな」

「照明の熱が半端ねーんだって。んで、体動かすだろ。アレで歌いながら走り回ってるお前の妹、マジですげーぞ」

 緩い会話を交わしながら、ふたりは並んで歩き始めた。目的地は近くの喫茶店。三十路男ふたり、これから仲良くランチタイムだ。

 ロナードの職場である中央裁判所の前を横切り、二ブロック先の区画に移動する。帝都随一のオフィス街。公的な機関はもちろん、民間の会社や事務所も多く立ち並んでいる。それゆえ、働き手向けに食事処も多く点在しているのだ。

 昼休憩を利用してのランチを提案したのはロナードだった。いつも妹のユリアが世話になっているからと、奢ることを申し出た。はじめは、「会ってもらうのは自分のほうだから」と受け容れなかったアミルだったが、ロナードに押し切られ(とにかく押し切られ)、奢られることを承諾した。

 着いたのは、非常に趣のある落ち着いた喫茶店。ロナードがこちらに赴任してきた際、上司が連れてきてくれた店だ。店内の雰囲気といい、料理の味といい、すべてが好みだったため、以来何度も訪れている。今では店主とも顔馴染みだ。

 お気に入りのメニュー——季節野菜のパイ包み焼きをふたり分注文する。しかし、注文してしまったあとで、とある懸念がロナードの脳裏をかすめた。

「……ん? お前、ナスとかトマト嫌いだったか?」

「え? あ、それオレじゃなくてレイ。オレは基本何でも食べる」

「ああ、そうだ、レイだ。あいつ好き嫌いなさそうで意外とあるんだよな」

「そうそう。『え、これ食べれんのにそれ食べれねーの?』みたいな。でも、結婚してから、かなり改善されたぞ」

 同じく付き合いの長いレイの話題も出しつつ、ふたりは他愛のない話を楽しんだ。出会った頃のこと。くだらない遊びをしたこと。それが原因で大人たちに叱られたこと。本格的な秘密基地ツリーハウスを作り、暗くなるまでそこで語り合ったこと。

 昔を懐かしむようになったあたり、互いに年を取ったとしみじみ感じる。あの頃は、どんな大人になるかなど想像していなかった。知識や経験の浅さゆえ、想像できなかったというほうが正しいかもしれない。

 それでも、いくら年を取っても、飽きることなく一緒にいるのだろうなと……漠然とだが、それだけは想像することができた。結果、十六年経った今でも、こうして一緒にいる。

 きっと、十六年後も。もっと先も。

「……あのさ」

 ここに座って十分ほど経ったとき。改まった態度でアミルが呼びかけた。本題に入ろうとしているのだろう。声の調子から、ロナードはそれを悟った。これからアミルが何を言おうとしているのか、なぜ今日会いたいと連絡を寄越したのか、あらかじめ何かを聞いているわけではないけれど、だいたいわかる。

「教えてほしいことが、あるんだけど」

「……勾留中の彼のことか?」

「うん。オレ、おっちゃんに会いたいんだ。会って、直接話がしたい。……手続きの仕方、教えてくれ」

 やっぱり。

 予想していたとおりの内容に、ロナードはふっと笑みを漏らした。それから、一枚のメモを、アミルの前にすっと差し出す。それは、勾留中の被疑者と面会するための流れを簡潔に記したものだった。

「……え? オレ、お前に何も言ってなかったよな? あっ、もしかしてレイから聞いた?」

「馬鹿。何年一緒にいると思ってるんだ。人生の約半分だぞ、半分。お前の頭の中覗くくらい、わけない」

 そう言って、ロナードはグラスの水をひとくち含んだ。玲瓏な氷の音が、グラスの中でカランと響いた。

 目の前の旧友に視線を送りながら、同じくアミルもグラスを傾ける。昔から勘の鋭いヤツだったが、まさかここまで準備万端整えてあったとは。

 自分のことを理解してくれていたことがとても嬉しかった。同時に、『コイツに隠し事はできないな』と、ほんの少しだけ怖くなった。心の中でそう呟くと、「お前がわかりやすすぎるんだよ」と言われてしまった。……やっぱり怖くなった。

 忙しない飲食店の昼下がり。あちこちで食器のぶつかる甲高い音が聞こえ、おいしそうな香りが入り交じる。

 ふたりのテーブルにも、注文していた品が到着した。トレーの上には、メインのパイ包みのほかに、スープとサラダが添えられていた。素朴さの中に上品さのある見た目と味に、アミルも満悦したようだ。

「なあ、ロナード」

「うん?」

「おっちゃん、これからどうなるんだ?」

 不意に、アミルがぽそりと問いかけた。伏せた目線の先には、フォークで突き刺したミニトマト。糸をるように何度も何度もフォークを回す。ロナードにも言ったが、嫌いなわけではない。嫌いなわけではないけれど、どうにも口に運ぶ気になれなかった。

 あの事件に関連したニュースはできるかぎりチェックした。最初は見る気になれなかったので、数日経過したあたりから少しずつ。

 シャレムは、黙秘を貫いているらしい。

「このまま自白しなくても、もちろん有罪、だよな?」

「そうだな。断定的なことは言えないが、無罪か有罪かと言われれば有罪だろうな。ただ、罪状がな……」

「罪状?」

「ああ。警察は、彼を『殺人未遂』の容疑で逮捕した。彼に『殺意』があったかどうか、状況だけを見ればクロかもしれないが、それだけでは不十分だ。彼の自白を得られていないのなら、今頃躍起になって証拠を集めていると思う」

「……」

「お前も警察から聴取されただろ? 彼がラムジに言った内容が事実かどうか」

「……うん。訊かれた」

「何て答えたんだ?」

「事実だって言った。だって、全部ほんとのことだから。……もしかして、オレが話したことで、おっちゃん不利になっちまうのか?」

 事件直後。アミルは、警察からあの場ですぐに事情聴取を受けていた。答えられるものはすべて答えた。嘘はついていない。隣にいたイーサンに、本当のことを話すよう言われていたから。

 シャレムの娘は……ライラは、あいつのせいで死んだのだ。少なくともシャレムはそう思っているし、アミルだってそう思っている。あいつを憎む気持ちだって同じ。許せる日など来るはずない。永遠に。

「彼を有罪とする上で、お前の証言は証拠として高く評価されるだろう。なんたって、十四まで彼と一緒に過ごしていたんだからな。だが、逆に考えれば、彼に情状酌量の余地があると訴える要素にもなり得る」

「……どういうことだ?」

「裁判っていうのは、司法官をより説得できたほうの勝ちだ。司法官は、検察側と弁護側双方から出された証拠を見て、話を聞いて、法に則って天秤を傾ける。公正にな。とはいえ、司法官だって人間だ。感情を百パーセント殺すことはできない。彼の娘が死んだ理由を知れば、殺意を抱くのも無理はないと考えるかもしれない。おそらく、それは検察もわかっている」

「おっちゃんを減刑させたくなかったら、オレの証言は使わないってことか。でもそれって、弁護側にも似たようなこと言えるよな? オレの証言で殺意が認められるかもしれないけど、もしもの場合は減刑できるかもしれないってことだろ?」

「さすが。ご明察だ。まあ、最終的な判断は担当司法官に委ねられるんだけどな」

「……お前だったら、どうすんだ?」

 ぴたっと、まるでふたりの周囲だけ時が止まったかのように空気が凪いだ。おのずと途切れた会話。

 アミルの真剣な眼差しが、真っ直ぐに向けられる。ロナードは、その眼差しに応えることができなかった。

 目線を下に落とし、質問に対する答えを探す。アミルの質問は、ロナードにとって、どんなペーパーテストより難しいものだったのだ。

 そして。

「わからない」

 悩んだ結果、こう答えることしかできなかった。情けないかもしれないが、これが精いっぱい。その理由を、ゆっくりと語る。

「今回の担当候補から、俺はすでに外れているんだ。上司に進言して、先日正式に確定した」

「え、なんで……」

「いろいろと講釈を垂れたが、とにかく司法官に何よりも求められるのは公正さだ。……今回の件、俺は公正に裁ける自信がない。言い方は悪いかもしれないが、彼だけなら裁ける自信はある。でも、俺は彼だけじゃなく、お前も見てしまう。どうしても、お前のことを真っ先に考えてしまう」

 どのような形であれ、公正さを欠いてしまうおそれがあるケースは担うべきではない。いわば、これは鉄のルールだ。

 以前は、確かに偏った司法判断が下されていたこともある。竜人がヒトを裁くときに顕著に。それは否めない。

 だが、皇帝が変わり、時代が変わっていく中で、法曹界もまた変わってきた。この黒を纏っているかぎり、司法官としての矜持を侵すわけにはいかないのだ。

「悪いな。力になれなくて」

「へ? いやいやいやいや、なんで謝んだよ。お前が謝ることなんてひとつもねーじゃん。実際助かってるし、感謝してるし」

 ぶんぶんと音が聞こえそうなほど首を振ると、アミルはわずかに語気を強めた。ロナードの気持ちはありがたいが、謝罪は到底受け容れられない。

 頭を使うのは苦手だ。けれども、社会人としての経験はそれなりに多く積んできた。仕事上、採るべき立場があることだって重々理解している。

「お前に迷惑がかかるようなことだけはしたくない。オレは、おっちゃんに真実を話してほしいんだ。この事件が単なる復讐じゃないことくらい、オレにだってわかる。だからこそ、ちゃんと全部話してほしい」

 最初は、シャレムの現況を確認できればいいとの思いから会うことを希望した。しかし、今なお黙秘し続けているということを知り、その思いだけで会うことはできないと考え直した。

「まさか……彼を説得するために面会するのか?」

「できるかどうかわかんねーけどな。十六年ぶりだし、オレがスハラを出るときも、まともに話してねーし」

 アミルがスハラを離れた当時、ライラを喪ったばかりのシャレムは、とても話ができるような状態ではなかった。ボロボロのシャレムを残して移住するのは心苦しかったが、彼の親戚に後押しされ、持病を抱える母親とふたりでガルディアに渡った。そんな母親も、移住後すぐに病状が悪化し、わずか二年で亡くなった。

 彼と話すのが怖くないと言えば嘘になる。十六年という月日は、けっして短くはない。

 それでも、話さなければ。彼の味方でいるために。

 もう、あの頃の自分じゃない。

「たしかに、状況を変えるのは難しいかもしれない。……が、お前のその気持ちは、必ず彼に伝わると俺は信じている」

「……」

「行ってこい。消沈して戻ってきても、食事くらいは付き合ってやる」

「……次はオレに奢らせろよ」

 もう、ひとりじゃない。

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