parties(2)

 テーブルの上が、眩いばかりに輝いている。

 フルーツたっぷりのタルトに、爽やかなマスカットジュレ。それから、真っ赤ないちごがふんだんに散りばめられた、ふわふわパンケーキ。

 どこを見てもきらきらとしていて、どこから手をつければいいのか迷ってしまう。甘いものに目がないユリアの視点は、なかなか定まらなかった。

「ほらほら、どれからでも食べて食べて」

「そうそう。アタシの分も食べていいから」

 エマとアイラに急かされ、改めてテーブルを見渡す。所狭しと並べられた、彩り豊かなスイーツ。華やかな見た目とは裏腹に、上品であっさりとした味わいであるということは、口に入れる前からわかっている。

 帝都の真ん中。繁華街から少し外れた路地裏にある、レトロな老舗喫茶店。いわゆる『隠れ家』的なこの店を、三人はデビュー前からよく利用していた。有名になった今でも、時折このように来店し、お気に入りの品々に舌鼓を打っている。

 外壁は煉瓦、それも、栗の表皮のように暗く赤い煉瓦。入り口付近には、鬱蒼と、けれど整然と、蔦が絡まっている。世俗から切り離されたかのごとく清閑な空間だ。

 三人は、店の最奥に設けられた定席についた。四人掛けの丸いテーブル。ユリアから見て右側にアイラが座り、左側にエマが座る。これも定席である。三方を壁に囲まれているため、周囲から三人の姿を見ることはできない。

「このジュレ、初めて見る」

「あっ。これね、まだ試作品でメニューには載ってないんだって。でも、おいしいから食べてみてって、ママさんが」

 マスカットジュレをまじまじと見つめるユリアに、エマが説明する。この日の女子会はエマとアイラの奢りだが、店側の厚意による部分もかなり大きい。

 本日の目的はふたつ。ひとつは、アミルの件で落ち込んでいるユリアを励ますこと。そしてもうひとつは、グランヴァルトとの接見以来、そわそわふわふわしているその理由を調査することである。

 何の前置きもなく、本題に突撃するわけにはいかない。よって、ユリアの様子を見つつ、ふたりは話を広げることにした。

「ジュレから食べてみたら? 喉ごしいいし、食べやすそうだよ」

「うん。そうだね」

 エマに促され、ユリアはジュレの器を手に取った。自身の前へと動かし、両手を合わせる。そうして、艶やかでぷるんとしたエメラルドグリーンを、スプーンで掬い取った。

 ぱくり。

「おいしい……!」

 口内いっぱいに広がる、マスカットの芳醇な香りとほのかな甘さ。想像以上の好味に、蒼い両目が大きく見開かれた。

「おいしいおいしい! これ、甘さ控えめだから、アイラちゃんも食べられるよ!」

 眉を上げ、興奮気味に感動を繰り返す。アイラのほうへと体を向け、ずいっと詰め寄った。

 甘い物が苦手なアイラ。まったく食べないというわけではないが、ほとんど食べない。こうして女子会には付き合ってくれるものの、口にするものといえば、サンドイッチやサラダといった軽食である。

「そうなの? じゃあ食べてみようかな」

 ……が、ユリアがこれほどまでに推してくる味に純粋に興味を惹かれ、ひとくち食べてみた。

「ん。ほんとだ、おいしい」

 ユリアの言うとおりだ。それほど甘くなく、爽やかで後味すっきり。自然とふたくち目を口に運ぶくらい、とてもおいしかった。

 アイラのこの様子に、ユリアは満足そうに破顔した。

 ジュレを皮切りにして、タルトとパンケーキにも手を伸ばす。どちらも幸せそうに頬張り、恍惚とした表情を浮かべた。

「元気になったんだね、ユリア」

 そんなユリアの姿に、微笑みながらエマが言う。細めた榛色はしばみいろの目には、優しさと安堵の色が滲んでいた。

「……ごめんね。心配かけて」

「謝らなくていいよ。元気出ないときは、無理して出さなくていいから。ユリアが無理せず笑って食べられるようになってくれたことが嬉しい。ね、アイラちゃん」

「うん。アタシらに心配かけないようにって思ってくれるのは嬉しいけどさ、かえってそっちのほうが心配なんだよね。もっとアタシらに甘えてよ」

「……っ」

 エマとアイラの優渥な言葉に、ユリアは俯き加減に小さく頷いた。あたたかくて、心強くて、嬉しくて……落涙しそうになるのをぐっと堪える。そうしてすぐさま頭を持ち上げると、くしゃりと相好を崩し、愛らしい花を咲かせた。

 ありがとう、というひとことでは、とても伝えきれない。仲がいい、なんてひとことでは、とても表しきれない。

 けれども、ユリアのその気持ちを、ふたりは最後の一滴までちゃんと汲み取ってくれた。アミルに対する想いも然りだ。

「さっきレイくんから連絡があってね。アミルくん大丈夫だって」

「レイくんとアミルくん、一緒にいるの?」

「うん。今夜はふたりでご飯食べに行くみたいだよ」

「そっか。……よかった」

 今一番知りたいと願っていたアミルの現況。エマの報告を受け、ユリアはほっと胸を撫で下ろした。まだまだ問題は山積しているけれど、不安材料がひとつなくなったことで、一応の安心は得ることができたようだ。

 気持ちを刷新し、再びスイーツを堪能する。先ほどよりも軽やかに口まで運び、楽しそうに舌の上で躍らせた。

「ところでユリア」

 しかし。

「わたし、すっごく気になってることがあるんだけどね」

 次にエマが発した言葉により、ユリアの一連の動きはぴたりと静止した。

「陛下と何かあったの?」

 清々しいほどのド直球。突撃することを事前に承知していたアイラでさえも、思わず瞠目するほどだった。

 いつになく真剣な面持ちのエマに、カチンコチンに硬直したユリア。これに瞠目したアイラが加わり、珍妙な沈黙が垂れ込める。

 この状況が、十数秒続いた後。

「え、と……」

 最初に開口したのは、なんとユリアだった。たじろぎながらも、とにかく思考力を復旧させようと、必死に頭を回転させる。上を向いたり、斜め下を向いたり、目を瞑ったり、まるでいとまがない。

「じ、実はね」

 グランヴァルトと接見したあの日の出来事。思い返すのも気後れするほど恥ずかしいそれを、脳内に再来させる。順を追い、訥々とした口調で、すべてを語った。

 彼から謝罪を受けたこと。彼が話を聞いてくれたこと。彼の前で泣いてしまったこと。そして——彼に体を預けたまま、寝落ちしてしまったこと。

「目が覚めたら、ジーク兄の車の中にいて……寝てるあいだのことは、その、ジーク兄から聞いたんだけど……」

 ジークから事情を聞き、見事ユリアの頭は大爆発。顔だけではなく、全身から火を噴くほどの恥ずかしさに、しばし放心してしまった。

「そのこと、おじさんとおばさんには?」

「いやいや、さすがに言ってないでしょ。……言ったの?」

「い、言ってない言ってないっ! 言えないよぉ……」

 両親には話していない。話せるはずもない。話したのは、たった今、エマとアイラが初めてだ。

 両手で顔を隠すようにしてうなだれる。胸が苦しい。こんなにも居た堪れない気持ちになったのはいつぶりだろうか。洞穴ほらあながあったら引き籠りたい。

 と、そのとき。

「恥ずかしさだけ?」

 左側から、エマにこう問いかけられた。

 柔和な声とともに注がれたその眼差しは、まるで陽だまりのようにあたたかかった。

「ユリアが今感じてるもの、恥ずかしさだけ?」

「……どういうこと?」

「うーん、と……なんて言えばいいのかな……あっ、うん、質問変えよう。ユリアは、陛下と話すとき、どんな気分になる?」

「え? どんな、って……」

 唐突になされた、突拍子もない質問。なぜこのような質問が飛び出したのか。エマの真意はわからないが、とりあえず、戸惑いながらも答えを探してみることに。

 ——緊張する。当然だ。本来は、会うことすらできない存在なのだから。

 ——安心する。彼の纏っている雰囲気、話し方、笑い方。それらすべてに心が落ち着く。前述と矛盾するかもしれないが、そう感じてしまうのだから仕方がない。

 そして何より、

「——楽しい」

 これが、本音。

 飾ってもいない、偽ってもいない、衷心からの感情である。

「うんうん。そうだよね。『もっと話したい。もっと一緒にいたい』って思ったりしない?」

 ユリアの心のもつれをほどくように、柔和な声でエマが続ける。一連の発言は、ユリアのことを知り尽くしているからこそのそれであった。

 エマに感化され、ユリアの解けた感情が、ゆっくりと口から零れていく。

「…………思、う」

 彼ともっと話したい。彼ともっと一緒にいたい。

 彼とともに時間を過ごしたいという、実にシンプルな感情。けれど、この感情を的確に表現する言葉が見つからない。

 顔の赤みは引いた。なのに、胸の苦しみが和らぐことはない。それどころか、さらに酷くなる一方だ。

「恋だね」

「恋ね」

 ふたりが口を揃えて発したこの単語により、それはますます増悪した。

「こ、い……? ……えぇっ!?」

 過去最大級の衝撃が、ユリアを襲う。頭をハンマーで殴られたよりも、強い衝撃。実際に殴られたことはないので比較しようがないが、おそらく、過言ではないと思う。

「『恋』って単語、自分の気持ちにしっくり馴染んだんじゃない?」

「なじ……? えっ、あ、わ、わかんない……」

 『恋』。頭の中の辞書に、一応は登録されている。曲を作る以外で検索することは滅多にないが、一応は。まさか、こんな形で検索することになるなど、夢にも思わなかった。

 彼に対して抱いている感情は、一国民としての敬愛。それ以外の感情を抱く余地などない。……そう、思っていたのに。

「で、でも! でもねっ! もし、その……わたしの気持ちがそうだとしても、相手は陛下だし、そもそも陛下にとって、わたしはただの国民だし……っ!」

「……いや。ね、アイラちゃん」

「あー、うん。そこは意外と……」

「?」

 ユリアの必死の弁明に、顔を見合わせたエマとアイラ。ふたりは、グランヴァルトがユリアに示す言動が、何か特別な感情に起因しているということに気づいていた。

「わたしが、陛下に、恋……?」

 二人に指摘された自分の気持ちを復唱する。エマの言うとおり、なぜか自分の気持ちにしっくりと馴染む気がした。しかし、あまりにも非現実的なこの状況に、困惑するよりほかはない。

「……」

 その様子を、至極満悦した様子でエマが見守る。まるで陽だまりのようにあたたかい眼差し。歳を重ねるごとに、本当に彼によく似てきた。

 生まれる場所と好きになる人は選べない——五人で過ごすようになり、たくさんの人たちと関わっていく中で、エマが強く感じたことである。

 妹のように可愛くて、自分の半身のように尊くて。そんなユリアが、初めて心から好きになった人。

 正直、周囲がどう見るか、どんなふうに思うか、はっきりと想像することはできない。きっと、思いもよらない苦難が待ち構えているのだろう。壁は厚くて高い。

 でも、それでも、自分は……自分たちは、ユリアの中に芽吹いた気持ちを大事にしたい。

 目の前で忙しなく百面相をする、愛しい彼女が幸せになること。

 それが、一番の願いなのだ。

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