in the gathering Dusk(3)
会場には、いまだ
「本当に素晴らしかったです! とっても感動いたしました!」
この清かさを一瞬にしてぶち壊したのは、『七三カモメ眉』ことオマール・ラムジ。落とした照明の下でもわかるほどに、顔も髪もてらてらしている。今日も今日とて暑苦しい。
「……それは良かった。彼女の想いが届いたのなら、何よりです」
「我が国にも、彼女のような素晴らしい歌手が欲しいものです!」
「……」
無理やり貼りつけた営業スマイルが引き攣った。「どの口が言ってやがる」と吐き出しそうになるのを懸命に抑え込む。やはりこいつには、彼女の想いなど微塵も届かなかったようだ。
現状、スハラに彼女のようなアーティストが生まれる可能性はゼロに等しい。スハラの民に才能がないわけではけっしてない。事実、彼女の隣でギターを弾いていた彼はスハラの出身だ。
王国の体制が、才能の芽を片っ端から握り潰している。そのことに、ラムジは気づいていない。気づける知恵を有していない。
『無知は罪』とはよく言ったものだと、グランヴァルトは今さらのように痛感した。
「いやあ、ラムジ王子の仰るとおり実に素晴らしかった。若人の凛とした姿には、やはり胸を打つものがありますな」
じめじめしたグランヴァルトに向かい、からりと微笑みかけたのは、ガルディアと一等良好な関係を持つ
翡翠色の目に白髪交じりの茶色の髪。滑舌と歯切れの良さは、聞く者に安心感と安定感を与える。直前が直前だっただけに、それらがよりいっそう身に沁みた。
「はい。我が国が誇るアーティストです」
「ワールドツアー、と言うんですかな。その折に、我が国でも何度か公演してくれて……。彼女の人気は、留まるところを知らないと聞いている」
ライアンはそう言うと、豪快な飲みっぷりで酒をひとくち仰いだ。おおらかで飾り気のないその様は、見ていて実に清々しい。この日参加している首脳陣の中で、グランヴァルトが唯一心から信用できる相手である。
「大変良いものを観せていただきました。今後の活躍が非常に楽しみだ」
目を細めるライアンに、グランヴァルトは頷く程度に頭を下げた。自分が褒められているわけではないのに、ほんの少し胸がこそばゆい。
若くして帝位を継承したグランヴァルトにとって、彼はまさに見本のような存在だった。先代の皇帝、すなわち、自身の父親よりも鑑として慕ってきた部分は多い。
サミット加盟国の中で最年少だった自分をいつも気づかってくれた彼。『竜人とヒトとの共栄』を提唱した際、真っ先に背中を押してくれたのも彼だった。
国力はガルディアのほうが上だが、彼の政治手腕には目を瞠るばかり。民と心を通わせることが何よりも大切なのだと、君主に必要なのは力よりも知恵や優しさなのだと、他国の自分にまで身をもってそう示してくれている。
即位してからのこの八年は、彼の背中を追い続けてきた八年だったと言っても過言ではない。
「失礼。少しだけ、席を外します」
「うん? どちらへ?」
「此度のことについて、彼女に直接謝辞をと……申し訳ありません」
「はっはっ。貴殿は相変わらず律儀だな。……よろしければ、私の言葉も伝えてはもらえないだろうか。『とても感銘を受けた。是非またノース・ランドでも歌ってほしい』と」
ライアンの思わぬ恩情に深々と一礼し、グランヴァルトはゆっくりと立ち上がった。同時に、側で控えていたふたりの従者が、グランヴァルトの両側をすっと固める。離席することに関してほかの首脳たちにも詫びた後、ステージ脇のバックヤードへと爪先を向けた。
三人がテーブルから数歩先に進んだ。
そのとき。
「陛下」
小声でグランヴァルトを呼び止めたのは、会場警護を担当しているジークだった。
「お、ジーク。今日は朝からご苦労だな。ちょっと向こうに行ってくるから、ここ頼むな」
「ユリアのところへ?」
ジークが小さく短く尋ねれば、グランヴァルトはこくりと頷いた。主が何を考えているのか、何をしようとしているのか、ジークにはわかっているようだ。
「すごいな、彼女は。感心する」
ジークにだから言える本音。ユリアとジークの関係を知っているからこその言葉だった。
ユリアがセオドアの娘だと知ったとき、ジークの顔がすぐに浮かんだ。昔から、セオドアの子どもたちとは兄弟のように育ってきたと、グランヴァルトは折に触れて聞いていたのだ。
ジークとは長い付き合いだが、このとき、初めて兄としての顔を垣間見た気がする。
「彼女に何か伝えたいことはあるか?」
「陛下を
「そうか」
ユリアの勇姿に感動したのは、兄であるジークも同じ。……否。ある意味、この会場にいる誰よりも、強く思うことがあるかもしれない。兄妹のあいだに入るなど、無粋な真似だった。
肩をポンと叩き、改めてこの場をジークに託す。
不安要素は、すでに共有してある。
ざわめきが大きくなった場内。最後のプログラムである宴が始まった。給仕たちが足早に食事や飲み物を運び、芳しい香りが相乗効果でひとときに花を添える。
ここまですべてが滞りなく進んでいる。重要なその一端を担ったのは、まぎれもなくユリアだ。もうすぐ、今年のサミットも閉幕する。
「ユリア・マクレーンと話がしたい。少しだけ時間をもらえるかどうか、マネージャーに確認してくれないか?」
バックヤード前にて、そう声をかけられた帝室直属の護衛官が、中のスタッフにグランヴァルトの御旨を伝える。とたんに騒然となった現場。なんの前触れもなく皇帝自ら姿を現したのだ。無理もない。
場内の人目を避けるため、グランヴァルトとふたりの従者は、いったんバックヤードの中へと入った。それほど広くはないスペースを、慌ただしくスタッフたちが往来している。
まもなく、奥からユリアが出てきた。傍らにはミトが付き添っている。衣装はそのまま。だが、ステージ上とは一転して、普段のふわふわとした柔和な雰囲気を纏っていた。
「疲れているところ申し訳ない。どうしても、直接礼を言いたくてな」
「そ、そんなっ……わざわざご足労いただき、大変恐縮です……!」
突然のことに、狼狽えながらもユリアは勢いよく頭を下げた。荒ぶる胸中の手綱を握り、どうにかひとことだけ発する。まさか直々にねぎらいの言葉をかけに来てくれるなどとは夢にも思わなかった。
「もう引き上げるのか?」
「あっ、はい。今、機材の搬出を行っているので、それが終わりしだい、わたしたちも引き上げます」
「そうか」
遠くからかすかに聞こえる搬送音。スタッフたちは、ユリアが歌い終わったあとも、せっせと仕事を続けている。
「ここに来る直前、ノース・ランドの国王から言伝を頼まれた」
「……ライアン王から、ですか?」
思わず首を傾いだが、もちろん名前は知っている。会場で、グランヴァルトの隣に座していた人物だということも。自国民から厚い支持を得ている名君だということも。
実は、ユリアが二年ほど前にノース・ランドで公演を行った際、王室から花が届けられたという出来事があった。自分のような他国のアーティストにまで心を配ってくれるのかと、驚きとともに感恩したことを今でもよく覚えている。
「ああ。『とても感銘を受けた。是非またノース・ランドでも歌ってほしい』と。……改めて、心から礼を言う。今回のサミットに相応しい、本当に素晴らしい歌だった」
彼とこうして話をするのは3回目。「ありがとう」と告げた彼の声は、これまでで一番優しいものだった。
差し出された右手。一瞬取ることを躊躇ってしまったユリアだったが、恐る恐る両手で彼のその手を包んだ。柔らかな熱が、体の内側にゆっくりと溶け込んでゆく。
不安はあった。緊張も、していた。
けれども、今この瞬間、それらすべての感情からようやく解放されたのだ。代わりに込み上げてきた安堵と例えようのない喜びに、泣きそうになるのを必死でこらえる。
ユリアが再度頭を下げれば、グランヴァルトの右手に力がこもった。
「ほかの四人は? できれば、彼らにも礼を言いたいんだが」
「……え? あっ、四人とも奥にいますので、すぐに呼んでまいります!」
不意に話を振られたミトの肩が飛び跳ねる。グランヴァルトの意図がすぐには呑み込めず、ワンテンポ遅れてしまったが、すぐさま振り向いて駆け出した。床を叩くヒールの音が、ものすごい速さで遠ざかっていく。
「ここにいる者は皆、いい顔をして働くな。それに優秀だ」
「はい。……みんなのおかげで、わたしは今日も歌うことができました」
「たしか、イーサンの妹もいるんだろ?」
「はい。いつも素敵なコーディネートをしてくれて」
「妹は繊細な仕事をするんだな。あいつからは想像できん」
口もとに指を当て「今の、あいつにはオフレコな」と冗談めかして言ったグランヴァルトに、ユリアは笑って頷いた。
仄暗いバックヤードが淡彩に染まる。しだいに慌ただしさが薄れ、笑い声が空気に馴染んだ頃、奥から四人がやってきた。
——その時だった。
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