in the gathering Dusk(2)

「会場が騒がしくなってきたね」

「ああ。調印式から首脳たちが戻ってきたみたいだな」

「いい加減、ここで缶詰にされんのも飽きたんだけど」

「仕方ないでしょ。うろうろ外なんて歩けないんだから」

 ステージ裏では、バンドメンバー四人が、ぽそぽそと小声で話をしていた。

 大きな舞台への登壇を控えているが、調子はいつもどおり。それほど緊張はしていないようだ。これまでに培った経験、かつ、ひとりではないという安心感が、ここでも大きく作用しているのだろう。

 帝国のナショナルカラーであるロイヤルブルーを基調とした衣装。中世の宮廷衣装をシンプルにリデザインした長めのジャケットは、気高さと遊び心を巧く兼ね備えていた。男性陣はパンツ、女性陣はアシンメトリーのチュールスカートをそれぞれ着用し、編み上げのショートブーツが絶妙な華を添えている。全身を担当したのは、もちろんシンシアだ。

「お待たせ……!」

 そのシンシアの最終確認を終えたユリアが、四人のもとへと小走りで駆け寄ってきた。登壇前の、いわばルーティン。センターに立つ彼女の容姿は、シンシアによって常にチェックされている。

 上品なロイヤルブルーのチュールドレスに身を包み、髪をハーフアップにしたその姿は、まるで御伽噺に登場する姫君のようであった。

「よっし、全員揃ったな。んじゃあ、いつものアレやっとくか」

 アミルのこの言葉が合図となり、メンバー全員で円陣を組む。これも、七年前からずっと行っている、登壇直前のルーティンだ。

 アミルを中心に、ユリア、レイ、アイラ、エマの順でサークルを作る。がっちりと肩を組めば、互いの緊張感がわずかに伝わってきた。

 円陣の外側では、シンシアを含めたスタッフが、その様子を静かに見守っている。

「今回の歌も上出来だ。あとは、やれるだけやって、とにかくベストを尽くそう。それから……」

 まるで糸が切れたように、プツッとアミルの言葉が途切れた。その場にいた全員の視線が、アミルに注がれる。

 冴えない表情。言い淀んでいるような、思案に沈んでいるような、緊張とは違う心情がそこには反映されていた。なにかひどく、葛藤しているような……。

 刻一刻と時間が迫る。けれど、誰ひとり急かすことなく、次に紡がれるだろう二の句を待った。

 アミルの口が、ゆっくりと動き始める。

「今回のことで、みんなにはいっぱい心配かけたと思う。ほんと、ゴメンな。……正直、気持ちの整理もついてねーし、アイツの顔なんか見たくもねーけど、でも、今日のこのステージは絶対に成功させたいんだ。それに——」

 水滴が落ちるように吐露されたのは、メンバーに対する謝罪と、今日に至るまでの葛藤。

 それから——

「オレは大丈夫だから。……みんながいるから、オレは大丈夫」

 メンバーに寄せた、深い信頼と篤い想い。

 大切な居場所を作ってくれた彼らのために、大切な居場所を手にした自分のために、過去に捕らわれるのは、もうやめる。

 瞳に煌々と光を宿し、意を強くしたアミル。そんなアミルの姿に、四人の表情はおのずと和らいだ。アミルに寄せる彼らの信頼と想いもまた、同じくらい深く篤いのだ。

 声を出して気合を入れると、五人は円陣をほどいた。意識はもうすでに、ステージ上へと向けられている。

 担当者から、登壇してくれとの指示があった。会場のざわめきも、波が引くように、しだいになだらかなものへとなっていく。——時間だ。

 準備は整った。あとは五人が……ユリアが合図を出せば、幕は上がる。

「……」

 仄暗いステージ。その中央に立ち、ユリアはそっと瞑目した。

 自身の気持ちを落ち着けるためではない。気持ちは、不思議なくらい落ち着いている。今、ユリアの心の中に浮かんでいるのは、とある情景だった。

 十年前。「一緒に音楽をやろう」と、アミルが誘ってくれた、あの日の情景。

 本来、この場所には、自分ではなくコンラートが立っているはずだった。コンラートが歌っているはずだった。コンラートが亡くなったから、結果として自分はここに立っていられるのだ。

 けれど、あの日。アミルは、はっきりとこう言ってくれた。


 ——勘違いすんなよ。お前はコンラートの代わりなんかじゃない。オレは、お前と一緒に音楽がやりたいんだ。


 そのとき決めたのだ。自分は、『月』であり続けようと。

 彼らが自分を照らし続けてくれるかぎり、自分は、精いっぱい輝き続けようと。

「……——」

 瞑目を解き、一度だけ大きく深呼吸すると、ユリアはステージ裏へと合図を送った。ビロードの厚い緞帳どんちょうが、ゆっくりと上がっていく。

 緞帳が上がり切った次の瞬間。オクターブ高いピアノの音が、静寂しじまに柔らかく滑り込んだ。

 から、Aからのマイナー・トライアド、そしてまたGへと還ってくる、切なく印象的なアルペジオ。エマが9小節を奏でたあと、ユリアがその歌声をメロディに乗せた。


  どれくらいの時間を裸足で走ってきた?

  傷だらけの 孤独な体を震わせながら


 蒼白い照明が、ステージ上にユリアを浮かび上がらせる。まるで暗闇に咲いた光の花。あまりにも幻想的なその演出に、会場全体が息を呑んだ。


  はじき出された名もない星 夜空に溶けた

  誇りだけは失わないでと


 徐々におり重なる楽器たち。

 ハイハットが心地よく響き、リズムよくベースが弾ければ、ギターのコードが伸びやかに躍った。それに合わせ、照明の明度も増していく。

 ユリアが作ったこの曲は、一瞬にして観衆を惹きつけた。独特の透明感を有する美声が、曲の情景をつぶさに描き出す。

 描き出されたのは、向かい風に阻まれ、聳える壁に遮られながらも、ただ偽りなく生きたいと願う少年少女の姿だった。


  誰かが誰かのためにそっと

  涙を流すこの世界をもっと——


 大サビに向かって溜められ、盛り上がっていく旋律。かっこよさも、美しさも、派手やかさも……内包された何もかもが、とにかく洗練されていた。

明日あすを照らす灯火を今、繋いで——」

 歌の最後の音はだった。会場の隅々まで、ユリアの代名詞とも言える『魅惑のロングトーン』が響き渡る。

 曲に込められた本当の願いは、生み出した本人ユリアにしかわからない。感じ方も、受け取り方も、聴く者によってそれぞれ異なるのだろう。そこに歪みが生じることは否めないし、同調圧力など働く余地もない。

 それでも、壮大なメロディーに乗せられた真っ直ぐな歌詞が、何百人という人々に一度に届けられた事実に変わりはないのだ。

 総立ちとなった観衆。

 割れんばかりの拍手喝采に包まれながら、魂を込めた五人の演奏は終了した。

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