siblings(2)

 晩春のなだらかな宵闇が迫る頃。

 帝都内の某音楽スタジオでは、男女五人の話し声が、まるで炭酸水のように弾けていた。思い思いに寛ぎながら、譜面を手に取り発言する。

「なあ、ユリア。ギターのこのの音、に変えたいんだけど」

「うん、いいよ」

「ん、じゃあ変える。今から音出して実際に確認すっか?」

「んーん。アミルくん信じてるからいい」

「そりゃどーも。レイたちは? どっか気になるとこあるか?」

「俺は大丈夫」

「わたしも」

「あー……あたしは一箇所だけ。間奏のリズム、少しだけ変えたいの。でも、ギターのソロ部分だから、またお互い弾きながら確認しましょ」

「りょーかい」

「あと二、三日集まれば完成しそうだな」

「だな。また帰って音の整理しとくわ」

 彼らのミーティングは、いつもこんな感じで穏やかに進んでいく。意見を出し合っても、口論になることはまずない。各々、音に対するこだわりはもちろん持っているが、最終的にはアミルが調整して上手く纏めている。彼の音楽センスは抜群。四人からの信頼は絶大だ。

「ねえ、ユリア。曲が完成したらどうするの? やっぱ事前に提出したりするわけ?」

「あ、うん。一応、サミットの担当官には聴いてもらおうかなって。……でも、なんか、ね?」

「ん? ああ。検閲っぽくなるから、あんま気乗りしないんだと。だから強制はされなかった。……けど『先に聴けるのは純粋に嬉しいし、なにより優越感に浸れるので是非聴かせてください』って、すげーにこにこしながら言われたな」

「……面白い人ね」

 あれから二度、アミルを交えての打ち合わせが行われた。場所は宮殿ではなく、いずれも行政府。あちらからは、内務省や外務省、および文部省から計七名が出席し、こちらからは、ユリアとアミル、そしてミトの三名が出席した。

 打ち合わせ当初。堅苦しい場所が苦手なアミルは、がちがちに緊張していた。その様は、まるで釘が打てそうなくらいに凍ったバナナ。けれど、自然体のユリアに感化され(ちょっかいを出され)、すぐにその緊張は緩和した。

「打ち合わせって、もうないのか?」

「うーん……しばらくはないんじゃないかな。ステージの構成云々は、護衛とかの関係で、当日のタイムスケジュールが確定してから協議するんだって。だから、たぶんサミット間際になると思う。また随時連絡しますって言ってたよ」

「そうか。じゃあ、曲を仕上げて担当官に送るってとこまで済ませたら、とりあえずひと段落つくんだな」

「うん」

 アイラとレイの質問にそれぞれ答え、一応の指針を共有する。目下打ち込むベきは、楽曲完成に向けての作業だ。

 今回、サミット用に書き下ろしたイメージソングは、作詞作曲ともにユリアが担当している。

 ポップス、ロック、バラード、ゴスペル——ありとあらゆるジャンルの曲をライティングする彼女の才能は、さすがとしか言いようがない。ガーリーでキュートなものからクールでハードなものまで、見事に歌いこなすその表現力にも、世界中の音楽関係者が注目している。

 もちろん、ここまでの道のりは、けっして平坦なものではなかった。ヒトであることを理由に、後ろ指をさされたこともある。大切なものを失い、心に深く傷を負い、それでも、前に向かって進んできたのだ。

 家族や仲間に、支えられながら。

 だからこそ、作れる歌が——歌える歌が、ある。

「この歌、わたしすごく好き。明るい曲調じゃないけど、アップテンポで元気出るよね。かっこいい」

「わかる。イントロから一番のBメロまでは静かで穏やかなんだけど、一番のサビからラストに向けての盛り上がりはヤバいよね。気持ち昂る。あたし、大サビで泣きそうになったもん」

「歌詞も、相変わらず核心ついてくるよね」

「うん。すごい刺さった」

 今回の楽曲に対するエマの所感に、アイラが大きく頷いた。

 シンプルかつ耳に馴染むメロディー。それでいて、重厚で壮大な曲調は、おそらく聴く者すべてを魅了するだろう。これに加え、情緒豊かで繊細な歌詞も、曲をより味わい深いものにしている。

 ユリアの生み出す歌は、そのどれもが、脆くて儚くて力強い。

「エマちゃん……アイラちゃん……」

 この上ないほどの称賛を受け、ユリアは勢いよくふたりに抱きついた。「大好き!」と「愛してる!」を連呼し、喜びにぷるぷると体を震わせる。

 曲をひとつ作るごとに深まる絆。離れたところから静かに見守るアミルとレイも、一様にそれを噛み締めていた。

 音を通して結ばれた縁。

 今、またひとつ、彼らの軌跡が描かれた。


 コンコン——


 突として響いた硬い音に、五人揃って視線を送る。視線が集められたのは部屋のドア。代表して、近くにいたレイがそちらへと向かう。誰がどのような目的で訪れたのか、彼らにはわかっていた。

 ドアを開けたレイは、その人物とひとことふたこと親しそうに交わすと、室内へと招き入れた。

「ユリア。迎えだぞ」

 そう言ったレイの隣に立っていたのは、軍服姿のジーク。少将に昇進し、コートのデザインが変わったことで、少しだけ印象も違って見えた。が、いずれにせよ、鮮やかなロイヤルブルーは、彼の銀髪にとてもよく映える。

「来るのが早かったか? もしまだなら外で待っているが……」

「ううん、大丈夫。あとは片づけるだけだから、ちょっと待っ——」

「何言ってんだよ。せっかくジークが迎えにきてくれたのに。あとはオレらがやっとくから、もう帰れ」

「え、でも……」

「いーから」

「わっ!」

 ユリアの腕をぐいっと引っ張ると、アミルはそのままジークに引き渡した。よろけたユリアをジークが受け止める。

「いいんですか?」

「おう。お前ら会うの久々なんだろ? 水入らず、楽しんでこい」

 戸惑い、心配そうに問うたジークに、にかっと笑ってアミルが答えた。

 本部所属のジークだが、昇進前はほとんど帝都にいなかった。よって、ユリアと顔を合わせるのは、エドガーの葬儀以来およそ三ヶ月ぶり。といっても、葬儀の際はろくに会話もできなかったため、まともに会うのは半年以上ぶりだ。

 次にプライベートで会える日が、いつになるのかわからない。それを見越したうえでのアミルの発言だった。ほかの三人にも、その意図はちゃんと伝わっているようだ。

 仲間の厚意に素直に甘えることにしたユリアは、ジークと揃って挨拶をすると、職場をあとにした。

 これから、ジークの運転で、兄妹馴染みのレストランへと移動する。

「安心した」

「……え?」

 乗り込んだ車内。ルームミラー越しに会話を交わす。

 外はもうすっかり暗くなったが、念のため、ユリアは後部座席に座った。ジークの車に乗るのは、両手では足りないくらい久方ぶりである。

「いつもどおりに仕事していると聞いて、無理しているんじゃないかと思っていた。……が、お前の顔を直に見て、そうじゃないとわかった」

「……ごめんね。心配かけて」

「謝らなくていい。今も昔も……彼らは本当にいい仲間だな」

 イーサンと話をしたときは、『いつもどおり』という言葉が、わずかに胸に引っかかった。それは、無理をしているのではないかという懸念からだったのだが、どうやら杞憂に過ぎなかったらしい。

 もちろん、気丈に振る舞っている部分はある。それは一目瞭然だし、当然のことだ。けれども、強がっているわけでもなければ、空元気でもない。

 すべては、彼ら四人のおかげ。もう、昔のユリアではない。

「うん。……みんなには感謝してる。とっても」

 後部座席に置かれたふたつのクッション。その内のひとつを、ユリアはきゅっと抱きかかえた。流れていく街の灯りを眺めながら、十年前の出来事を回顧する。

 コンラート・ゲイル——兄の親友で、アミルとレイの音楽仲間だったヒト。自分に歌うことの喜びを教えてくれたヒト。

 自分は『自分のままでいい』と、優しく教えてくれたヒト。

 彼を喪ったとき、自分は声を失った。そのショックで、表情までも失ってしまった。

 笑えなくなった。怒れなくなった。泣けなくなった。……空虚になった自分を、嘲笑うことさえできなくなった。

 そんな自分を、信じて諦めずに音楽の道へと連れ戻してくれたのが、彼ら四人なのだ。

 彼らと一緒なら、どんなことだって乗り越えられる。もう二度と、自分を見失ったりしない。

 彼らとの縁は、自分にとって、かけがえのない宝物だから。

「……あ、そうだ」

「どうした?」

 窓の外からルームミラーに視線を戻すと、ユリアはジークに声を投げかけた。ミラーに映るジークの不思議そうな顔に向かって、用意していた言葉をようやく告げる。

「昇進おめでとう。まだ直接言ってなかったよね」

「え? ああ。ありがとう」

 いったい何を言い出すのかと思えば。

 相変わらずの突拍子のなさに、ジークは可笑しくて嬉しくてつい笑ってしまった。こまやかで真っ直ぐな言葉も、実にユリアらしい。

「将軍になったら、やっぱり遠征行く機会って増えちゃうの?」

「多少は関係あるかもしれんが、それほど顕著になることはないと思うぞ」

「ふーん。それって誰が決めるの? お父さん?」

「いや、一概にそうとは言えない。……でもまあ、最終的に決定するのは元帥だな」

「そっかー」

 兄として慕うジークが昇進することは、純粋に嬉しい。とても嬉しい。だが、着実に父やもうひとりの父と同じような道を進んでいるのかと思うと、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。

 仕事だから仕方がない。それも、国を守るという重責を担っているのだ。寂しいなどと言っている場合ではない。

「だけど、しばらくは予定ないんでしょ?」

「サミットがあるからな。当日は、会場の警護を担当することになった」

「え? ほんと?」

 まったくもって予期せぬ明るい返答に、ユリアは顔を綻ばせた。運転中のジークに向かい、前傾姿勢でずいっと迫る。

「ああ。オランド中将と私の隊でな。だから、安心して歌ってくれ」

 これに対し、ジークはハンドルから片手を離すと、自身の顔の横に迫った妹の頭を撫でてやった。前を向いているため、妹がどんな表情をしているのか確認することはできないが、容易に想像がつく。

「うん、ありがとう。頑張るね」

 頼もしい兄の言葉にほんの少しはにかむと、ユリアは再びシートに背中を預けた。細い腕でクッションをぎゅっと抱き締め、その小さな体から喜びを放出している。

 サミット当日。兄だけではなく、イーサンの姿も見られると知り、俄然やる気が湧いたようだ。

「……」

 ユリアのその姿に、ジークはミラー越しに柔和な眼差しを注いだ。口もとに笑みを湛えながら、小さく安堵の溜息を漏らす。

 二十年以上経った今でも、妹が可愛いという気持ちは変わらない。同時に、皇帝直々に大舞台での歌唱を託された妹のことを、心の底から誇らしく思う。

「……」

 皇帝——グランヴァルトのことを思い浮かべ、ジークは再度小さく嘆息した。

 幼なじみとも呼べる関係ゆえ、彼がどのような人物であるかはじゅうぶんによく心得ている。昔から破天荒だったが、その傑出した人格は、とてもひとことでは言い表せないほどに素晴らしい。

 ジークは知っている。彼の立場と性格上、誰かひとりにこだわりを持つというのは、非常に珍しいことだ。そんな彼が、ユリアに直接コンタクトを取ったと聞いて、とにかく驚いた。彼は、ユリアのことが相当気に入っているらしい。

 これも、兄の言う『縁』というやつなのだろうか。


 蒔かれた種が芽を出し、花を咲かせ、大きな実を結ぶように。

 彼と彼女の縁もまた、成長するのだろうか。

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