siblings(1)

 縁というのは、つくづく不思議なものだ。

 血縁、地縁、旧縁、奇縁……さまざまな種類の縁が存在するが、そのほとんどが、自身の意図しないうちに形成されていたりする。

 切ろうと思えば切れるもの。切りたくても切れないもの。切ってもまた繋がるもの。

 まるで生き物のようなそれは、風のまにまに、水のまにまに、ある意味当人の意思とは関係なく動き、移ろっているようにも思える。

 そして、縁は——成長する。





 ◆ ◆ ◆





 凝った右肩を左手で揉みほぐせば、鈍い痛みがじわりと広がった。新しい年次になってからというもの、デスクワークが多くてほとほと参る。自身が席を外している今この瞬間も、どうせ次から次へと書類が湧き出ているのだろう。

 帰還したあとの自身の机上を想像し、ロナードは短く溜息をついた。

 晩春のこの日。仕事の空き時間を利用して軍の本部へと赴いた。目的は、とある人物に会うため。

 ひと月ほど前に、郊外の裁判所から、国内で2番目に大きな中央高等裁判所へと異動してきた。いわゆる栄転というやつである。周りのサポートもあって、職場には大分馴染めたけれど、職務内容がゆえに気が滅入ることもしばしばだ。人が人を裁くということの難しさを痛感しながら、日々敢闘している。

 汗ばむ陽気の昼下がり。迷うことなく、敷地の中をすたすたと歩く。軍の本部に来るのは初めてではない。父との職場であるここへは、幼い頃から何度か足を運んでいる。凛然と働く父たちに、よく憧憬の眼差しを送ったものだ。

 父たちと同じ道を選ぼうと思っていた時期もある。が、悩んだすえ、結局は違う道を選んだ。軍人になりたくなかったわけではない。軍人と司法官を天秤にかけると、後者のほうが若干重かったというだけである。ひとことで言えば、縁だ。

 ちなみに、これから会いに行く予定のは、迷わず軍人の道を選んだ。これも縁、なのだろう。

 そこかしこでさざめく翠緑の木々。風に揺れる葉っぱが日の光と戯れ、まるで踊るようにきらきらと瞬いている。春の匂いと夏の気配が混在した道を進めば、その先が棟のエントランスだ。

 敷地に入るとき同様、身分証の提示を求められた。着用している黒い法服で職種はすぐに判別可能だが、規則なので仕方がない。

 ファミリーネームのせいだろう。ぎょっとした門衛たちに、ぎこちなく最敬礼された。ロボットのごとく角ばった彼らに会釈すると、ロナードは棟の中へと入っていった。

 入ってすぐに向かったのはフロント。そこは、施設の来訪者や用件を取り次ぐ専門の部署である。

 ここでは求められる前に身分証を提示し、弟に取り次いでくれるよう申し出た。

「ジーク・フレイム少将に会いたいんだが」


 フロントからの内線に驚いた。まさか、が会いに来てくれるとは。

 少将に昇進してから早ひと月。ジークは、珍しく執務室にいた。『将軍』と呼ばれることにはまだ慣れないが、先輩イーサンたちに助けられながら、なんとか任務を遂行する毎日。この日も、ようやくひと息つけるタイミングが訪れた。

 コーヒーでも飲もうか——そんなふうにぼんやりと考えていた矢先、『面会希望者あり』との連絡を受けたのである。

 受話器を置いてから数分後、部屋のドアをノックする音が聞こえた。ドアを開ければ、そこには法服姿の兄がいた。

「久しぶりだな、ジーク。元気にしてたか?」

「ええ。ロナードさんも、お変わりありませんか?」

 挨拶もそこそこに、ジークはロナードを室内へと招き入れた。部屋の中央に設置されてある応接セットを指し示し、そこに座るよう促す。そして、先ほど飲もうと思っていたコーヒーをふたり分用意した。

「先に直接連絡してくれたらよかったのに」

「そんなことしたら、お前無理にでも時間作るだろ? 顔見れたらいいって、それくらいの気持ちで来たからな。気をつかわないでくれ」

 この近くで仕事があったのだというロナード。終了時刻も曖昧だったため、不在ならば、諦めてすんなりと帰るつもりだったらしい。「会えてラッキーだった」と言う彼に、ジークは思わず破顔した。

 昔から、兄の顔を見ると、それだけで安心した。理由はよくわからない。4つ離れているゆえ、生まれたときから一緒にいるが、嫌な思いをしたことは一度もないのだ。理屈などではなく、兄自身の纏う空気がそうさせているのだろう。

 ふたりきりの会話は久方ぶり。せっかく兄が設けてくれた貴重な時間だ。有意義に過ごさなければもったいない。

 ジークは、淹れ立てのコーヒーをロナードの前に差し出すと、向かい合うようにして自身も腰を落ち着けた。

帝都こちらに戻ってきても忙しそうですね」

「まあな。ある程度想定はしていたが、処理する案件の質も量も、地裁とはかなり異なる。人員もそれなりに配置されてはいるが……足りない部分はどうしても多いな」

「住居を郊外あちらにしているのは、奥さんの仕事の関係ですか?」

「ああ。それもあるし、一番の理由は息子を転園させたくなかったってことだ」

「確かに、環境が変わるのは、大きな負担になるでしょうね。……休みは取れますか?」

「あー、と……取れることは取れる。が……」

「休まりませんか」

「休まらないな」

 休日の我が家を思い浮かべれば、必然的に苦笑が浮かんだ。その原因は、もちろん息子である。

 ロナードの息子は三歳。やんちゃ盛りで、とにかくじっとしていない。彼の周りには、常に音が溢れているのだ。

「まあ、共働きで普段なかなか一緒にいてやれないからな。園では真面目に頑張っているみたいだし、せめて親の前でくらいは息抜きさせてやりたい」

 そう笑ったロナードの顔は、まさしく父親のそれであった。蒼い双眸に滲むのは、溢れんばかりの無償の愛。

 学生時代に出会った妻とは、かれこれ十年の付き合いになる。年齢は同じ。大学の同級生だった。いろいろ……本当にいろいろあったが、今では無事に思い出へと変わった。

 妻は、ヒトだ。

「……やっぱりすごいですね。ロナードさんは」

 仕事もして、子育てもして、周囲のことも気づかって……ジークは、そんなロナードのことを、心の底から尊敬していた。当の本人は、『自分の両親やお前の両親がしてくれたようにしているだけだ』と事もなげに言うけれど、そんな単純なものではないはずだ。

 はたして自分は、彼らのようになれるのだろうか。想像することすらできない未来に、たとえようのない不安をおぼえてしまう。

「相手の要ることだし、こればかりは縁だ。焦ったって仕方がないし、心配したところでどうなるものでもない。……お前はお前だ。大丈夫。なるようになる」

 まるでジークの心中を見透かしたかのようなロナードの至言。驚き、目をしばたかせるジークに、ロナードがふっと微笑みかける。

 現在ジークに恋人がいないことは、ロナードも知っている。過去に付き合った人物とは、すべて長続きしなかったことも。いつも言い寄られてOKしては、愛想がなさ過ぎて別れを切り出されていたことも。相手に落ち度がなかったとは言えないが、ジークに落ち度がなかったとは絶対に言えない。

 そんな女泣かせに、珍しく気になるヒトができたらしい。詳細は聞いていないし、そもそも恋愛感情があるかどうかも定かではないが、良縁ならば、きっとうまくいくだろう。

「お前も二十六か……早いな」

 感慨深そうにロナードがこう言えば、

「それを言うなら、ユリアでしょう。もう二十二ですよ」

 すかさずジークにこう返された。悪戯そうに眉を吊り上げる実妹の顔を思い浮かべ、「確かに……」と納得する。

 ジーク以上に浮いた話のないユリア。べつに事務所から禁止されているわけではないが、今現在、恋愛とは無縁の生活を送っているらしい。恋愛についての楽曲も多数制作してはいるけれど、付き合っている男性がいるだとか、気になっている男性がいるだとかいう話は、いっさい聞いたことがないのだ。

「とにかく仕事ひと筋だからな。それはそれで問題ないとは思うんだが」

「なんというか、誰かとそういう関係になること自体想像できませんよね。本人に聞こえたら怒られそうですが」

「……まあ、そもそも」

「……誰でもいいわけないですしね」

 成人していることさえ失念しそうなほど天真爛漫。とはいえ、意外にも女丈夫であることは兄たちもちゃんと心得ている。それでも、悪い虫がつかないように、注意深く目を光らせておかなければ……。

 このことを以心伝心で確認し合ったふたりは、揃ってコーヒーカップを傾けた。外の陽気とは裏腹に、鋭い冷気が室内を覆う。

「あ、そうそう。ユリアといえば」

 一転。ジークのこのひとことで、直前の空気がぱっとほどけた。これに対し、ロナードが頭上に疑問符を飛ばす。

「今夜、時間が合ったので、私がユリアを迎えに行くことになったんです」

「そうなのか。悪いな、世話になる」

「もうすぐ誕生日だからと、『美味しいもの』を『たくさん』お願いされました」

「……悪いな、世話になる」

 サミットが約二ヶ月後に迫る中。ユリアのスケジュールは、日増しに過密になっている。課せられたミッションは限りなく大きい。だが、あの小さな体で懸命に挑む姿を目の当たりにすると、わがままのひとつやふたつ聞いてやりたくなるというものだ。

「サミット当日は、お前も警護に当たるんだろう?」

「ええ。おそらく、私の旅団と、オランド中将の師団が、場内警護の中心になると思います」

「そうか。……なら、安心だな」

 兄が見せた穏やかな顔つき。その裏側にわずかな翳りが差したのを、弟は見逃さなかった。

「……やはり、ロナードさんもが気になりますか?」

「……」

 ふたりの表情が、とたんに険しくなった。今この場に第三者が居合わせれば、慄然とすること必至だろう。

 ジークの言う『あの噂』とは、スハラ王国にまつわるものである。

「スハラの軍部は、第一王子に対し、かなり不満を持っていると聞いたが」

「はい。順当にいけば、次期国王はオマールです。……が、軍部は第二王子を推しているようですね」

「第二王子は、第一王子の異母弟らしいな。どんなやつか知ってるのか?」

「いいえ。見たこともありません」

「……本当に、どこまでもきな臭い国だな」

 十代の頃。親友であるコンラートを通じ、ロナードはアミルと知り合った。同い年ということもあり、すぐに打ち解けたが、出身がスハラであるということに驚かなかったわけではない。あの砂の監獄からよく出てこられたものだと、純粋に関心を寄せたりもした。

 彼から過去を打ち明けられたとき、苦しくて悔しくて泣きそうになったことを、今でも鮮明に覚えている。

「今も昔も、国民への横暴な振る舞いは変わらない。だが、ここ最近の情勢の不安定さは、近年類を見ないほどだ」

 混乱の影響がサミットに及ばなければいい——そう願ったロナードの胸中に、一片のくゆりが不穏な影を落としていた。

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