portents(2)

「これと、これで……はい、俺の勝ち」

「だーーーっ、またお前の勝ちかよ!! どんだけ記憶力良すぎなんだよ!?」

 頬杖を突きながら微笑むレイと、頭を抱えて吠えるアミル。対照的な二人の傍らにはトランプカードが置かれてあった。無造作に重ねられたその枚数は、圧倒的にレイのほうが多い。

 今しがた、アラサー男ふたりが嗜んでいたのは、『神経衰弱コンセントレーション』。とにかく記憶力が物を言うこのゲームの戦績は、アミルの華麗な三連敗だった。

「もっかい!!」

「そろそろ社長とユリアが来る頃だろ。また今度な」

「うぅ……」

 めそめそとテーブルに伏せるアミルをよそに、レイはカードを掻き寄せる。しなやかな手つきでそれらを集め、丁寧に整えると、ケースに仕舞い込んだ。年はアミルのほうがひとつ上だが、レイのほうが口数も少なく落ち着いているゆえ、端から見れば逆転して見えなくもない。

「粘るわね。いじけるくらいなら最初から挑まなきゃいいのに」

「でも、すごく楽しそうだったよ? カードめくってるときなんて、目がきらきらしてたもん」

 このお馴染みのやり取りを、アイラとエマは少し離れた場所から眺めていた。ここは所属事務所の会議室。アラサー男が職場で、それもカードゲームでじゃれ合うだなんて、実に平和な光景である。

 ちなみに、先日はボードゲーム(リバーシ)でじゃれ合っていた。そのときも、最終的にアミルが吠えて閉幕した。

「悔しいっ!! なあ、エマ。こいつの弱点教えてくれ」

「レイくんの弱点? えー、なんだろ……朝が起きられない、とか?」

「そーゆーんじゃないんだよ! もっとこう……オレが対戦して勝てそうなやつ! なんかない?」

「なんか? ……なんか……うーん……。……わかんない」

「うぉいっ!!」

 レイの妻であるエマに泣きつくも、有益な情報は得られず。よほど悔しかったのだろうが、思いついた腹いせまでもが残念すぎる。

「わたしよりもアミルくんのほうが付き合い長いんだし、何か思いつくことあるんじゃない?」

 騒がしく身悶えるアミルに対し、ふわふわとした雰囲気を崩すことなくエマが笑う。『純真』とは、まさに彼女のために存在するような言葉である。

 エマの言うとおり、ユリアを含めた五人の中で、一番付き合いが長いのはアミルとレイだ。出会った当時、十七歳と十六歳だったふたりは、今年、三十歳と二十九歳になる。

「えぇ……。だって頭で勝てねーし、運動でも勝てねーし、ましてや腕っぷしでなんて到底勝てねーし」

「元不良だからね」

「うん」

「やめろよ嫁さんの前で」

 指折り数えるアミルにアイラが言葉を差し込む。すると、近づいてきたレイが宙に向かって溜息を吐いた。呆れ顔だが、怒ってはいないようだ。

 アミルと出会った前後の時期。旧家の子息であるレイ少年は、見事にグレていた。来る日も来る日もケンカに明け暮れ、伸した相手は数知れず。警察のお世話になったことも、一度や二度の話ではない。

「お前からケンカ売ったことは一回もないんだもんな」

「ない」

「けど、売られたケンカは百パー買ってたんだよな」

「買ってた。……っていうか、無視しても相手が吹っかけてきてたからな。そりゃ応戦するだろ」

「んだよその強者発言」

 レイの肩に肘を置き、アミルは「はっ」と愉快そうに噴き出した。心身ともに近い距離。ふたりのその姿は、まさしく盟友のそれだった。

 そんなふたりを近づけたのは、コンラート・ゲイル。今は亡き奇才ミュージシャンであり、ふたりにとってかけがえのないヒトである。

 部屋を照らす暖かな陽光。四人を包む柔らかな熱。彼らがユリアのバックバンドとして初めてステージに上がったあの日から、もうすぐ、七度目の春が巡ってくる。

「……にしても、社長とユリア遅くね? なんかあったのかな?」

「どこか寄ってるんじゃないか? ケーキ屋とか」

「あり得るわね。ユリア甘いもの大好きだから」

「うん。食べてるとき、すっごく幸せそうだよね」

 重要な話があると、社長ヴォルターから四人に直接連絡が入ったのは三日前。雑誌の取材やセールの告知等、ユリアがひとりで行うものに関しては、とくに四人に連絡が及ぶことはない。四人に連絡が及ぶということは、すなわち、生の音のパフォーマンスが必要な仕事ということである。

 この日、マネージャーのミトが休暇を取得しているため、社長がユリアの送迎を買って出た。現段階で約束の時間よりも半時間ほど遅れているが、本日の業務内容が社長からの『お話』だけゆえ、皆それほど焦ってはいないようだ。

 四人がいつものように緩くのんびり会話をしていると、

「悪ィな。遅くなった」

「ごめんね!」

 ノックと同時にドアが押し開けられ、ヴォルターとユリアが入室してきた。

 武骨で大きなヴォルターの手に握られた、シックでお洒落な紙袋。少々アンバランスな気がしないでもないそれは、四人の仮説が真であるということを証明する物であった。

「こいつがショーケースに貼りついたまんま固まっちまってよォ」

「だって全部美味しそうだったんだもん」

 眉を顰めて抗議するユリアの頭を、ヴォルターがわしゃわしゃと撫でる。

 シュトラス邸からここまで来る途中、ユリアの希望でスイーツ店へ立ち寄ることとなった。そこはヴォルターの知り合いがオーナーを務める店で、ここにいる全員が馴染みの店。味もデザインも、信頼に足るクオリティだ。

「お前らの分も、こいつが唸りながら選んでっから。仕事の話は、それ食ったあとにでも聞いてくれや」

 ヴォルターは、にやりと口角を上げると、シャツの袖を捲り上げ、自ら紅茶の用意を始めた。毎度奇抜な色のシャツだが、驚くほど似合っている。この日は、燃えるような赤だった。

 前職が前職だったせいか、彼はとにかくフットワークが軽い。手際も良く、しかも紳士的だ。……外見だけで判断してはいけないという、典型的な例だろう。

 テーブルに着いた四人に、ユリアが唸った戦果を支給する。甘いものがあまり得意ではないレイとアイラにはビターなものを、自身を含めた甘党三人には生クリームたっぷりのものを、それぞれチョイスしたようだ。何度食べても飽きることのない極上の味わいが、五人の味覚を刺激する。

 甘味を添えた贅沢な時間。笑いの咲く柔和な時間。

 いつもと変わらない、五人の時間。

 しばし至福のひと時に浸っていた彼らだったが、紅茶をサーヴしていたヴォルターがどっかりと腰を下ろしたことで、この時間は惜しくも終了してしまった。

「さァて、と。美味いモン食って余韻に浸ってるトコ申し訳ねェんだが……仕事の話始めてもいいか?」

 そう尋ねたヴォルターの口角は相変わらず上がったまま。だが、その目は鋭く真剣だった。幹部まで務めた退役軍人は伊達じゃない。

 仕事モードへと頭を切り替えた五人。軽く居住まいを正す。

 場の準備が整ったと判断し、一度だけ咳払いをすると、ヴォルターはおもむろに口を開いた。

「今から四ヶ月後にサミットが開催される予定だ。それは知ってるな? ……で、だ。二年前同様、また帝室からパフォーマンスの依頼があった。参加国の要人の前で、歌を披露してくれってな」

 五人の目が一様に大きく見開かれる。口々に驚きの声をあげ、内容を消化しようと奮闘する様子が見て取れた。

 間を置くことなく、ヴォルターはさらに言葉を続ける。

「『帝室』からってのは表現的にちと温ィな。正確には『皇帝』直々だ」

 二年前の建国祭でのパフォーマンス。これにいたく感銘を受けたグランヴァルトが、依頼の文書を事務所に送付してきたというのだが、なんと直筆だったらしい。

 それを受け取ったのが二日前。期限は十日とのことだが、いちにちも早く返信するに越したことはないだろう。

 互いに顔を見合わせ、驚きの色を濃くする五人に、声のトーンを一段階上げたヴォルターがゆっくりと告げる。

「要は、『接待』ってやつだが……もちろん受ける受けないは自由だ。けどまァ、断るハードルは間違いなく高ェわな」

 二年前と類似しているようにも思える今の状況。だが、皇帝直々の依頼となれば、それだけで、見当の仕方も対応の仕方も必然的に変わってくるというもの。

 ここで、一同の視線が、ユリアに注がれた。決定権は、ユリアにある。

「……」

 険しい表情で俯き、ユリアは思案に耽っていた。

 普通であれば、是が非でも引き受けるべきなのだろう。皇帝が自分たちの音楽を高く評価し、重要な場面で採用したいと申し出てくれている。歌手として、一国民として、これほど名誉なことなど他にあるだろうか。

 二年前のグランヴァルトとの接見を回顧する。ユリアの歌に感銘を受けたと語った彼の姿に、ユリアは感銘を受けた。この国の民であることに、改めて誇りを抱いた瞬間だった。あの時の気持ちは、宝物として、今もずっとユリアの中にある。

 しかし、ユリアには、どうしても拭うことのできない懸念があった。

 ちらりと視線を横に動かす。不安を滲ませたユリアの蒼眼が、アミルの鳶色とぶつかった。

「断るなんて選択肢ねーだろ?」

「でも……っ」

 ユリアの懸念材料は、どうやらアミルに関係しているらしい。そしてそのことは、アミル本人だけではなく、他の面々も承知しているようだ。

 参加国の中には、アミルの生まれ故郷であるスハラ王国ももちろん含まれている。そのトップの前で、パフォーマンスという名の接待をすること。彼らに求められているのは、そういうことだ。

 おそらく出席するのは、二年前と同じく第一王子。

 アミルが、この世で最も憎む相手である。

「オレのことは気にすんな。大丈夫だから。……お前の思うとおり、やればいい」

 優しい声。穏やかな語り口で、アミルが言う。

 本当は、顔を見ることさえ厭わしい。あの顔を見るたび、死んだ友人の泣き顔が、叫び声が、脳裏に浮かぶ。……今この瞬間も、浮かんでいる。

 けれど、私怨で仕事をふいにするわけにはいかない。それに、これは自分の仕事ではない。ユリアの仕事だ。彼女の——大切な大切な彼女の信用を損なうことだけは、絶対にしたくない。

 ……いや。

「……違うな。悪い。言い方変えるわ」

 それだけではない。それだけではないはずだ。だって、今自分は、

「引き受けてほしい。ガルディア帝国民として」

 この国の、民なのだから。

 色素の濃い肌や目。少しだけイントネーションの異なる言葉。

 十五の頃。スハラ国籍を捨て、ガルディア国籍を取得しても、自身のアイデンティティを探る日々が続いた。当てもなく砂漠を歩くような感覚。深い沼に足を掴まれるような感覚。そんな中で、大好きな音楽だけが、自身のよすがとなってくれた。

 自由に表現できる場を、ともに音を奏でる仲間を、この国が与えてくれたのだ。

「陛下に認められたお前のこと、同じ国民として、オレは誇りに思う」

「アミルくん……」

 陽光を反射し、ゆらゆらと揺らめくユリアの双眸。ほかでもないアミルが懸念を払拭してくれたことで、ユリアの心は定まった。下がっていた眉尻をきりっと吊り上げ、大きく頷く。

「決まりだな」

 ユリアとアミル、そして全員の顔を見渡し、ヴォルターは笑って静かに目を伏せた。ある意味、二年前の建国記念祭よりも複雑な案件になるかもしれない。けれど、満場一致の賛成に、これ以上話すことなど何もない。あとは、いつもどおり、彼らを信じてサポートするだけだ。

 ——見てっかコンラート。お前が愛した音楽仲間たちを。

 窓の外。霞む空に向かって、ヴォルターはそっと問いかけた。

 ふわふわとした暢気な声が、どこからともなく聞こえた気がした。

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