portents(1)
「あ」
「よう」
微睡誘う早春の昼下がり。
窓の数だけ陽だまりができた廊下、その角で、琥珀と紅玉がぶつかった。
「休憩ですか?」
「ああ。お前は?」
「私もです」
ジークが挨拶代わりに尋ねると、頷いたイーサンに同じように返された。思わず漏れた笑み。陽光に映えた軍服と絨毯の青が眩しい。
現在のジークの肩書きは大佐。イーサンは少将。上司と部下というよりも、先輩後輩というほうが、相変わらずしっくりと馴染む間柄だ。最年少昇進記録を更新し続けている彼らは、およそひと月後、またその記録を更新することがすでに内定している。
「なんか久しぶりだな。こんなふうに話するの」
「そうですね。顔合わせるたびに言っている気もしますが」
『
「だって実際そうだろ? この前会ったのいつよ?」
「エドガーさんの葬儀以来だから……ひと月くらい前になりますね」
「だろ?」
多忙を極めるふたりは、同じ本部の所属とはいえ、基本的に顔を見合わせることすら叶わない。建物内ですれ違うことさえ稀なのだ。
そんなふたりが前回顔を合わせたのは、ともに参列したエドガーの葬儀だった。
「お前、あれからユリア嬢に会ったのか?」
「いえ。仕事には復帰していると元帥から聞いたのですが、本人にはまだ」
「そっか。俺も妹からちょこっと聞いたくらいだが、いつもどおり、笑って仕事してるっつってたわ」
ジークや妹のシンシアを通じ、イーサンもまたユリアとは既知の仲。ユリアの人となりも、歌手になった経緯も、大体は把握している。もちろん、エドガーがユリアにとって、どれほど大きな存在であったかということも。
「あまり周りに心配をかけたくない……というか、気を遣わせたくないんだと思います。自分のせいで周りから笑顔が消えることを、極端に恐れているので」
「……なるほどな」
ジークのこの推察に、イーサンは納得した。伏し目がちに溜息をつき、さすがは兄だなと微笑を湛える。同時に、ユリアの過去を振り返り、胸に暗澹とした思いが込み上げた。
ジークがユリアを本当の妹のように可愛がっていることは、イーサンも知っている。ジークが士官学校へ在籍しているころ、つまり、ユリアがデビューする前からずっと。ユリアのことを見守ってきたジークのことを、イーサンもまた、同様に見守ってきたのだ。
「時の流れってやつは残酷だが、心を落ち着かせるには、ある程度時間が必要だしな。それはお前自身よくわかってると思うが」
「……」
かつてジークには、肉親を蝕む病を憎み、無力な自身を恨んだ時期があった。心に残る傷。消えない痛み。それらを抱えながらも、時の流れに身をまかせる中で、なんとか顔を上げ、前を向いたのである。
だが。
「まっ、ほんとに必要なのは時間じゃねんだけどな。お嬢が笑ってたいんなら、周りはその気持ちを尊重するまでだ。……お前も、いつもどおり笑って接してやれ」
「……はい」
本当に必要なのは、その時間を共有し、
今までも支え支えられてきたように、これからもそうして彼らは生きていく。
今までも、これからも。
特殊なことなど、何もない。
「……とはいえ、夏のサミットが終わるまでは、ろくに休みも取れなさそうだけどな」
と、ここで話題は、今夏開催されるサミットのことへ。鬼神たちの表情が、かすかにげんなりしてしまった。容赦ない現実へと一気に引き戻されたようだ。
年々規模を拡大しつつあるこの一大イベントは、その加盟国の国力も相俟って、それ以外の国々にも影響を与えるまでに成長した。政治、経済、人権、エネルギー……ありとあらゆる問題の国際的な解決を目指し、各国が批准する議定書は、毎年世界中の注目を集めている。
「前回警護したの、昨日のことみてぇに覚えてるわ。……七年周期は早ぇな」
「加盟国が増えないかぎりは、ずっとこの周期でホスト国が回ってきますからね」
「逆に減っちまったら、縮まるってことだからな」
「……減る可能性、あると思いますか?」
「あー……ない、と思う。こんだけデカい集まりから抜けるって、あんま体裁のいいもんとは言えねぇし。けど、今回の議題が議題なだけに、おもしろく思ってねぇ国は間違いなくあるだろうな」
今回の議題は、『竜人とヒトの共栄』について。議題を設定したのは、もちろんガルディア帝国である。
グランヴァルトが即位し、すぐさま提唱されたこの基本指針は、全世界を震撼させた。国内外ともに、賛否両論はもちろんある。けれども、圧倒的に支持する声のほうが大きかった。
大国ガルディアの求心力か、はたまた時代の流れか、この指針は瞬く間に周辺諸国へと波及することとなった。結果、サミット加盟国のすべてが同調。少々年数を要してしまったが、今年、ようやく議定書の批准にまで漕ぎつけたのである。
「表立って否を唱えるのは相当勇気のいることだ。……が、腹にいちもつ抱えてる国はゼロじゃねぇ。実際、妙な噂が飛び交ってる国もあるしな」
「……スハラ、ですか」
国名を口にしたとたん、ジークの目つきが鋭くなった。
砂の監獄——スハラ王国。独裁主義、竜人至上主義、男尊女卑……当然のことながら、国家として、いずれの思想も認めてはいない。しかし、人権保障の程度が著しく低い国であるということは、暗黙の事実である。
それでもなお、サミット加盟国に名を連ねている(ある程度の国力を評価されている)のは、豊富な天然資源がもたらした、ある種の恩恵とも言えるだろう。
スハラの財政は、天然資源の輸出によって大幅な黒字を計上している。産出技術や加工技術は追いついていないため、他国(主にガルディア)に頼るほかはないが、その部分の支出を考慮しても、じゅうぶん高い収益を維持できるのだ。
そんなスハラ。実は現在、ある大きな転換期を迎えようとしている。
「ここ二年のあいだに、あの
腕組みをし、壁にもたれたイーサン。その顔つきは、珍しく厳しいものだった。
スハラの王位第一継承者である七三カモメ眉、もといオマール・ラムジは、実に暗愚だ。とても王の器を持ち合わせているとは言えない。彼だけの責任ではないのだろうが、『仕方がない』のひとことで済ませられる問題でもないだろう。
「あのままヤツが王位を継承すれば、たぶん国民は今以上に苦難を強いられることになる」
「やりきれない、ですね」
「親も国も、生まれる場所は自分で選べないからな」
アミルのことを知っているだけに、焼けただれるようなもどかしさが内攻する。だが、彼らがスハラの民に直接何かできるというわけではない。政治は畑違いだし、そもそも内政干渉は御法度だ。
「いろいろと思うことはあるが、俺らは俺らの職務を粛々と全うするだけだ。サミットでもな」
「……そうですね」
彼らの職務は『守る』こと。たとえそれが、どんなに極悪非道な人物だったとしても。まったく、現実というやつは世知辛い。
彼らの気分とは裏腹に漂う陽気。うらうらとしたそれからは、確かに春の香気がした。窓の外では、小鳥が美しい声をピチュピチュと弾ませている。
歌っている。
「……あ、そうそう。サミットと言やあ——」
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