「頭がおかしい」子どもたち

ノブリサコ

第1話「あちら側」への扉

「どうして、そこにいたの?」

 私の出身校を知ると、無神経な人はこの質問をする。何度も聞かれた質問で、そんなことを聞く人の中には私がどう壊れているのか暴こうと考えている人もいた。しかし、私自身も答えはわからない。ただ人間が壊れて「あちら側」へ行くのは簡単だということは、在学中に嫌という程わかってしまった。

「あちら側」への扉は常に開いている。まで、覗き込むと律儀に見つめ返してくれる深淵のように。適応障害、依存症、双極性障害、PTSD、パニック障害、うつ病、パーソナリティー障害、統合失調症。「あちら側」への片道切符の種類は他にもたくさん存在する。戻って来られるかどうかは━━━どうなのだろうか。同じ切符で行ったのに、戻ってきた人も帰ってこない人もいる。

 私は、レクペレーション中等教育学校を卒業した。レクペレーションとは「障害児が医療的配慮のもとで育成されること」という意味だ。日本語に訳すと「療育」、発達障害界隈では有名な言葉だ。この学校は、「児童養護施設の状況を鑑み、虐待等により保護者から引き離すべき子供のうち精神疾患がある子どもを集めて一人一人に応じた教育を施す」という行政主導が主導した福祉の一環で作られた。学校名が格好悪いのは役人さんが考えたからだろう。敷地内に、学校・寮・病院・購買・カフェテリアがある。私は発達障害を抱えてはいないけど、発達障害がある生徒はたくさんいた。一緒にいた私の感想は、「生まれる時代を間違えてしまった人たち」だ。「現代で生きるには難しい特性を持ってしまった人たち」と言い換えれば分かりやすいだろうか。看護師や先生たちは違うだろうけど、私にとっては発達がどうこうとかは、どうでもいいことだった。

「あちら側」は、行ったことがない人にはみえないようだ。整数の一に一を加えると、二になるものと思っている。重力は深海に潜ると重くなって、宇宙に行くと無くなると信じている。一時間は六十分で、一分は六十秒だと決まっている。「あちら側」では科学だとかいったものは通用しない。科学が作ったお薬を服用しているのに帰れていないのだから、当たり前だ。「あちら側」では、一に一を足しても一のままなんてよくあることだ。寝そべっても、重力がベッドに体を沈めてくれるとは限らない。時間は同じ速度で流れない。そういうことは、おいおいわかっていただけるだろう。

 不思議なことに、「あちら側」からは外がよくみえるのだ。日曜の朝に放送している幼児向け番組のオモチャをねだる幼稚園児、名門中学校受験のために塾へ日参する目を殺された小学生、回し読みした漫画の考察で盛り上がる高校生、就職活動と耳にしただけで表情が消える大学生、既婚者の同僚と不倫をしている三十代独身OL、我が子に何度もお金をせびられる老夫婦。ゼリーのように透明で柔らかな壁の向こう、元々いた世界の住人がみえる。壁の向こうの幸も不幸も確かにみえるが、どうあがいても「あちら側」にいる限りゼリーの壁を通り抜けることはできない。そして自分がいる「あちら側」の人間の生活を見ては、自分は壊れたのだと実感する。元々いた世界をみないようにする人もいたけれど、皆どうしても気になっていた。同じクラスの由良(ゆら)は「どうして、私がこんなところに。私は病気じゃない。誰も信じてくれない。帰りたい。でも、どうせ帰してくれない。」とよく泣いていたし、個別教室組の敦史(あつし)は「外にはクソッタレの自称健常者しかいねえ」と吐き捨てていた。寮にはテレビ室があり、そこにはいつも消灯時間まで誰かがいた。ゼリーの壁を抜けたなら、そこは身近にいる看護師や先生の住む世界であり、紛れもなく自分がかつて住んでいた世界なのだ。気にしないようにしても、気になってしまう。ただ発達障害を抱える人の中には、思うところがある様子の人もいた。

 私は「あちら側」から帰ってきたが、また行くかもしれない。それに、あの学校の出身というだけで「あちら側」の人間であるようにも思える。あの突然に襲ってくる強烈な不安。発作を繰り返すにつれて不安は大きくなっていく。動悸や息苦しさに、「このまま死んでしまうのではないか。」恐怖する。立っていられない、座っていられない、倒れるしかない。しかし記憶は鮮明。そう、私が使った片道切符の名前はパニック障害。これは、十年で半数の患者が再発すると聞く。抗不安薬のデパスを、今でも御守りとして持ち歩いている。「あちら側」から帰って来たと書いたが、実際は大切なナニカを壁の向こうに置いてきていると思う。それでも、医者からすれば「あちら側」を去った人である。

 今日も「私には病気なんてありません。心身ともに健康です。」という顔をして仕事に行くが、懐にデパスを忍ばせている。私はこれを見るたびに、あの学校に在学していた頃のことを思い出す。帰ってくることができた人、決して帰ることができなくなった人。両者に大した差はない。私のベッドからは朝焼けが見えた。ルームメイトの郁(いく)は、自分のベッドに座って「ここから夕焼けがみえるよ。」と言っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「頭がおかしい」子どもたち ノブリサコ @blueforyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ