5
「ねえ、お姉ちゃん。どうして何もしないの」女の子は言った。「魔法少女って正義の味方だよね? なのに何であのおばさんを捕まえてくれないの」
「ごめんなさい」
ユリは繰り返した。夜逃げの後ろめたさが蘇ってくる。何を言われてもしょうがない。自分は税金泥棒、ただの役立たずだ。そんな悲観的な気持ちが次から次へと湧き出てくる。
「弱虫!」女の子は声を抑えなかった。「もういい。わたしがやるもん」
女の子は勢いよく飛び出していった。ユリは反射的に手を伸ばすが、間に合わない。女の子はユリの手をすり抜け、女へと一直線に向かっていく。
「待ちなさい!」
女の子の父親が立ち上がった。しかし、女に「はい、お父さんはストップ」と威嚇された瞬間、その場で凍りついてしまった。
女の子は勢いよく女にぶつかって行った。背丈は女の腰の高さもなかった。その高さから「バスを降りろ。みんなを放せ」って女の足をポカポカ叩く。バスジャック犯は女の子を引き剥がして言った。
「あらあら、勇敢なオチビさんね」
女の子は諦めなかった。女の手を強引に振り払い、何度も何度も女に向かって行った。女もさすがに子供を相手に銃を向ける気は起きないらしい。女の子が突撃してくるたびに面倒くさそうに相手をしていた。
女の子が特攻をかけてる間、大人たちもただ黙って見てたわけではなかった。前方の席に座ってた女の人がタイミングを見計らって飛び掛った。何か爆発するような音が聞こえたのはその直後だった。
バン!
女の人は膝を押さえてうずくまった。
あの拳銃は偽物じゃない――
誰もが確信した瞬間だった。
女もまた誰かが飛び掛ってくるのを恐れたのだろう。女の子を脇から抱えあげて頭に銃口を押し付けて、言った。
「痛っ――」
撃たれた女性客がうめいた。女は別の女性客二人に指示してその女性客を元の座席に戻させた。
「あー、もう面倒くさいわね。あなたたちの相手はもうこりごり。そうだ、運転手さん。次のサービスエリアで止まって。あなたとこの子以外は全員降りてもらうわ」
「待ってくれ」女の子の父親が叫ぶ。「わたしが代わる。だから子供は……」
「ダメダメ。お父さんはこの子みたいに抱えあげられないもの。みんなと一緒に降りてちょうだい」
「しかし」
「しつこいわね。言われたとおりにしないと」そう言って銃口を父親に向けた。これでは手が出せない。
そうこうしているうちに、バスはサービスエリアに近づきつつあった。
「いい? 荷物は置いてってね。降りるのは前から順番に。わたしの指示があるまで立ったらダメ。じゃないとさっきのおじさんみたいに他人の力を借りないと立てないようにしちゃうから」
女はそんな指示をした。もはや女に飛び掛ろうとする人はいなかった。乗客の誰もが、この女はやばいと確信していた。
すでに二人の乗客が倒れている。女の決意が見せかけのものではないこと、引き金を引くことにためらわないことに誰もが気づいていた。たとえ、女の子が人質に取られていなくても、身動きひとつ取れなかったに違いない。
そうだ、しょうがないんだとユリは思う。相手は銃を持っていて、こっちは丸腰だ。魔法の才能がなくおめおめと田舎に帰る敗残者だ。
しかし、その一方で、本当にそれでいいのだろうかと思うユリもいる。
しっかりして、ユリ。あなたが東京に来たのは何のため? 魔法使いになりたかったからでしょ? 正義の味方になりたかったからでしょ? それがどう? 台風をじっとやりすごすように、バスを降りるまでおとなしくしているのが賢明だとでも思ってるの? ここで、女の子を見捨ててそれでぐっすり眠れるの? それならそれでかまわない。でも、あなたはきっとそうはできない。自分にできたかもしれないことを延々と悔やみ続ける。目の下に隈を作って、ご飯も喉を通らなくなるんだわ。
でも……とユリは弱音を漏らす。自分には方法がない。手段がない。力がない。
本当に? あなたは切り札を持っているんじゃなかった? いま使わないでいつ使うの? さあ、勝負に出なさい、ユリ。
「待ってください。天川さん」
ユリは立ち上がった。女は女の子に銃口を突きつけたまま、こちらに向き直った。
「誰よそれ。ふざけてないでとっとと座って」
女の表情はキャップのつばに隠れて見えない。しかし、さっきまで迷いのなかった声に亀裂が入ったように思えた。
「とぼける気ですか」ユリは続けた。「いいでしょう。でも、もしかしたらですけど、わたしの沈黙と引き換えに取引する気はありませんか」
「取引? 何よ、一応聞いてあげる」
「人質」ユリは迷いなく言った。「その子と代わらせてください。どうせ、余計なことを喋りそうなわたしを降ろすわけにはいかないでしょう?」
「誰なの、あんた」
「夢破れて国に帰る元魔法少女です」
バスが停車した。子供がはしゃぐ声が聞こえる。一方でこの車内では二十人ばかりの人間が息を呑んでユリと天川の対峙を見守っている。バスの壁一枚を隔ててまるで別世界だ。
「分かった」
女がそう返事したとき、ユリははっと現実に引き戻されその場にへたり込んでしまった。
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