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 女は若い男性客に指示して、自分に飛び掛った男を空いている座席に運ばせた。それから、乗客をいったん立たせ、女性を前、男性を後ろの席に固めさせた。


 ユリは過去のバスジャック事件で似たような事例があることを思い出した。自分より体格のいい相手がすぐには飛び掛ってこれないようにする工夫だ。


 女がすなわち天川なら、そうした過去の犯罪の手口を知って参考にしてもおかしくない。犯罪のプロである「委員会」の一員であるならなおのことだ。


「委員会」のメンバーには魔法を失った元魔法使いも少なくない。捜査官を引退して久しい天川がその一員でも不思議なことではなかった。


 だとすると――ユリは思った。厄介なのはさっき男を倒した方法が何なのかということだ。スタンガンのような単純な武器を使ったトリックならいい。問題は車内に「委員会」の仲間がいて、そいつが魔法を使った場合だ。


 そいつはきっと天川とは別に自分たち乗客を監視しているに違いない。ならばいったい誰が――ユリは前方に並んだ女性乗客たちの頭を品定めするように眺めた。


 そもそも委員会はこの犯行で何を狙っている?


 バスジャックは割に合わない犯罪だ。まずもって、実行犯の逃走がきわめて難しい。実際、国内で起こったバスジャック事件で実行犯が逃げおおせた例は過去にない。最近のバスは車内から気づかれない形で周りに異変を知らせることができる。もたもたしているとたちまちパトカーに包囲されてしまうだろう。


 また、現金の強奪が目的なら銀行でも狙った方がよっぽど割りがいいしだろうし、飛行機と違って高層ビルや原子力発電所に突っ込むこともできない。


 メリットがあるとすれば、警備が手薄なことくらいだ。簡単に武器を持ち込め、一定数の人質が確保できる。つまりは国や社会に対する交渉カードが。実行犯は逃げられなくても、たとえば人質と引き換えに牢に繋がれた委員会の幹部を逃がすという取引くらいはできるかもしれない。


 そこまで考えてはっと我に返る。自分はただの乗客Aにすぎない。こんなことを考えたってしょうがないのだ。 


 ユリは女性としては最後列、すぐ後ろから男性の列が始まる席を割り当てられた。窓際の席に腰を下ろすと、通路側に座った五歳くらいの女の子がじーっと顔を眺めてきた。年齢は五歳くらい。ピンクのダウンジャケットに身をくるんでいた。


「何?」


 ユリが小声で訊くと、女の子も声を抑えて答えた。


「魔法少女さんだ」


 魔法少女とは魔法学校で訓練を受けている魔法素質者のことを言う。


「わたしのこと知ってるの?」


「うん」


「なんで」


 ユリは疑問に思った。同期にはすでに一線で活躍する捜査官もいるが、自分はそうではない。メディアへの露出はゼロに等しいはずだった。


「ニュースに出てた」


「ニュース?」


「学校の卒業式? みたいなのに映ってた」


 先日行われた魔法学校の卒業式のことだろう。あの行事は毎年マスコミのカメラが入る。魔法学校も人材不足とあって、ユリと同期の卒業生は十人にも満たなかった。式から日にちも経っていないし、この女の子の記憶に残っていても不思議ではない。


 ユリが魔法少女だと分かると、女の子の顔がぱあっと明るくなった。「パパ。魔法少女さん」女の子が通路を挟んで斜め後ろの席に向かって言うと、さっぱりした髪型の男性が遠慮がちに手を振ってきた。


「魔法使いが好きなの?」


「うん。ヒナね、魔法使いになるのが夢なの」女の子は目を輝かせながら言った。「ねえ、サインちょうだい」


 サインなど求められるのは当然、はじめてだ。何もこんなときにと思う一方で、少し浮かれる自分がいる。


「後でね」


「後っていつ?」


「みんなが無事、このバスを降りた後かな」


「じゃあ、早く魔法で悪い奴やっつけてよ」


 女の子の言葉がユリの心に重くのしかかってきた。サインを求められて能天気に喜んでた自分が馬鹿みたいだ。そうだ、自分にはそんな価値はない。自分は子供の憧れを受けるような存在じゃない。


「ごめんなさい。それはできないの」


 ユリはなんとか言葉を搾り出した。


「どうして」女の子が間を置かず言った。


 ――魔法なんて使えないから。


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。そう素直に言えばどれだけ簡単だろう。五年間も訓練したのにいっこうに芽が出ず、これからおめおめと故郷に帰るところだと言えればどれだけ楽だろう。

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